おととい、自転車で小平霊園に寄った。
いつもより車も人も多い。線香の香りがする。花が供えてあるお墓も見える。ああ、お彼岸なのか・・とやっと気づいた。毎朝、線香を焚いてご先祖におまいりしているのに忘れていた。
実はサイクリングコースに小平霊園や多磨霊園を入れてある。霊園は道がまっすぐで交通事故の心配もなく、自転車で走るにはうってつけなのだ。
お彼岸の霊園でサイクリングは不謹慎だなと早々に退散した。
もう秋分だ。公園のそばを通りかかると大音響の虫の音に包まれる。
23日から初候「雷乃収声(かみなり、すなわちこえをおさむ)」。空には秋の澄んだ雲が広がる。
28日から次候「蟄虫坏戸(むし、かくれてとをふさぐ)」。虫たちが土の中へと潜っていく。
10月3日から末候「水始涸(みず、はじめてかる)。田んぼから水が抜かれて涸れるの意。
今日、東京は30度近くまで気温が上がって暑かったが、季節は次第に冬に向かっていく。
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タリバン政権下で女性の権利がどうなるか懸念されている。
報道担当のザビフラ・ムジャヒド幹部は、女性の権利について、「シャリア(イスラム法)の枠組みの中」で尊重するとのべたという。(8月15日)
実際に大学が再開してみると、男女共学が認められていない。
タリバンは《9月12日、女性が大学で教育を受ける際の規制を発表した。男女共学は認めないほか、頭部を覆うスカーフ「ヒジャブ」の着用を義務付け、男性教員の直接指導を禁じるなどした。》(ニューデリー時事)
教師と学生は同性が原則だという。
ただでさえ女性教員は少ないうえ、大学を去り、海外に逃れたものもいる。理系など女性教員がほとんどいない科目もある。これでは社会における女性の権利は大幅に後退してしまう。
21日、タリバンのムジャヒド幹部は、女子生徒が、日本の中学校と高校にあたる中等教育の学校に再び通うことを近く認める方針を明らかにしたという。大学と同じく、男女共学は認めないだろう。
このニュースで思い出したのが、日本のある大学の入学式での学長式辞だった。
それは兵庫県立芸術文化観光専門職大学で、日本で初めて、国公立で演劇やダンスの実技が本格的に学べる大学として、今年4月に開校した。学長は、劇作家・演出家の平田オリザ氏だ。
平田氏は式辞で、東日本大震災やコロナ禍を通じて、科学への信頼がゆらぎ、フェイクニュースで社会の混乱も見られるなか、大学で身につけるべきは、科学的に考え、理性によって行動する習慣だと語る。
《具体的に考えてみましょう。
いま、この会場にいる新入学生八四名のうち六九名、八二%が女子の学生です。しかし教員における女性の割合は二五%にすぎません。すぐに見て分かるように、こちらの壇上に並んでいるのも来賓の皆さんも大半が男性です。私は学長として、この状況を少しでも改善していきたいと考えています。
こういったジェンダーギャップの壁のことを「ガラスの天井」と呼ぶことは、皆さんご存じかと思います。しかし、そのガラスの天井は、本当に無色透明の透き通ったガラスでしょうか?
実は、大学を作るのには、厳しい設置基準があります。この大学に全国から集まった教員の皆さんは、文部科学省の厳しい審査をくぐり抜けてきた精鋭の先生方です。
教員の審査には、研究の業績などの他に教員としての履歴も対象となります。例えば教授になるためには准教授を何年以上やっていなければならないといったことです。
現在、すべての大学における教員の女性比率は二五%前後です。しかも、新しい大学を作る際には、各分野ごとに、講義内容にふさわしい経歴を持った先生を採用しなければなりません。本学で言えば、マネジメントなど分野によっては、まだまだ、もともと女性教員の少ないセクションもあります。
もう皆さんはお分かりになりましたね。
普通に大学設置の基準を守っていては、どんなに努力しても女性教員はすぐには増えないという結論になってしまうのです。
これを打破するためには、何か強力な政策や、他の新しい基準が必要になるでしょう。私自身、制度の壁を破れなかったことに対する深い反省を背中に負って、いまここに立っています。
(略)
このように、数字や制度を論理的にたどっていくと、無色透明に見えたガラスの天井にも、いろいろな傷や曇りやひび割れがあることが見つかるのです。それが「科学的に考える」という態度です。(略)》(大学HPより)
https://www.at-hyogo.jp/news/2021/04/000124.html
平田学長のいうように「科学的に考える」と、男女平等の問題は、一人ひとりができるところから変えていきましょうなどと言っても埒があかない。政治の力で制度を変革していかないと前に進まない。
日本でさえ、大学における女性の権利はこんな状態なのだから、アフガニスタンの今後は非常に厳しいだろう。
タリバン指導部の頭(=政策)を変えるための方策に国際社会は知恵を絞らなくてはならない。