去年のきょう、玄関先に、ふきのとうを発見したと日記に書いてあった。今年はどうかなと見ると、あった!たった一つだが、いとおしい。春近し。
お知らせです。
【高世仁のニュース・パンフォーカスNo.33「アフガニスタン・リポート② “女性の権利”をめぐるタリバンと国際社会の緊張」】を公開しました。
女性の権利もたしかに大事だが、これが政治問題化して、タリバン政権のいっそうの孤立化を招き、飢餓線上の人々がさらに苦しむことを危惧します。
先日、NHK『国際報道』で、タリバン政権による女性の権利の制限が強化されたことを伝えていた。
去年12月、タリバン政権は、女性が大学で学ぶことを禁止した。(この問題については12月の本ブログで書いている)
政府は「イスラム教徒の女性が髪を覆うためのヒジャブをNGO職員が適切に身につけていなかったからだ」とその理由を説明している。
テレビの女性キャスターとして活躍していたバヤートさんは、2021年夏のタリバン復権のあと、キャスターの仕事ができなくなり、NGOで働いていたが、今回の措置で、仕事を失った。自分の暮らしも追い詰められているが、困っている女性たちへの支援がストップすることを懸念している。
男女の区別に厳しいアフガニスタンでは、女性のケアは女性スタッフしかできないため、多くのNGOが活動停止に追い込まれているという。
東部の町、ジャララバードの医学部で学ぶ女子学生たちは、「タリバンから“家に帰らないと殴る”と脅された」。すると、男子学生たちも講義をボイコットし、連帯して抗議してくれたという。女医がいなければ女性患者を診ることができないので、絶対に必要な専門職である。
大学教育禁止もNGO勤務禁止も、やったら社会が混乱するだけなのに、なぜこんな措置が打ち出されたのか。国際社会との対立が高じることによって、保守強硬派を中心に、どんどん強硬な措置に走っているのではないかと思われる。
タリバンは、女性を守るために、ヒジャブは、家族以外の男性の前では、目以外を覆ってかぶることを求めている。
しかし、首都カブールの街中を歩く女性たちの中には、顔を出してヒジャブをつけている人も多い。WFPの食糧支援活動を取材したとき、女性スタッフで目以外を覆うかぶり方の人はいなかった。NGOスタッフともなると“近代化”された女性が多く、タリバンの指示を時代遅れと思うのではないか。
しかしタリバンは、“乱れた”かぶり方を放置したままだと、欧米の批判に屈したことになり、統治の正統性にかかわると考えたようだ。
両者が互いにどんどん強硬な応対をする負のスパイラルに入っているのではないか。
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タリバンの女性に関する政策のベースにある考え方を理解することが必要だなと思っていたところ、高橋博史『破綻の戦略~私のアフガニスタン現代史』(白水社)を読む機会があった。高橋氏はカブール大学留学を経て、外務省のアフガニスタン専門家として勤務し、駐アフガニスタン大使もつとめた。ムジャヒディン各派やタリバン幹部にも知己をもち、非常に深く広い見識がある。
この本に披露されている、いくつか興味深いエピソードを紹介したい。
911同時多発テロのあと、米国がアフガニスタンに侵攻。タリバン政権は倒れ、新たにできたアフガニスタン政府に対し、日本は公務員人材育成プログラムを実施した。アフガニスタンの公務員を日本に留学させ、2年間で修士号を取得させるというもの。
高橋氏は、留学を終えて以前の職場「女性省」に職場復帰した女性に会った。帰国後、課長に抜擢されたと喜ぶ彼女。父親は小さな日曜雑貨店を営んでいるという。
高橋さんは彼女に、「さぞかし、ご両親はあなたを誇りに思っているでしょうね。とくにあなたのお父さんは」と言った。
彼女は一瞬、顔を曇らせ「父は私に対し、日本に留学して異教徒になりおって、一家の恥さらしだ、と怒鳴ります」と言った。
その理由は、彼女によれば、お父さんは、「私たちの考える近代の価値観は、神の教えに反していると考えているからだ」という。
高橋氏は、アフガニスタンに住む多くの人々は人権、男女同権といった近代の価値観を受け入れず、頑固に否定するが、それは部族社会の規範が優先するからだと解釈する。
「私はアフガニスタンに生活して、時折、中世の世界にいるのではないかと錯覚を起こす経験をしました。(略)
非命に斃(たお)れた友人の息子の消息を尋ねた際、数十年過ぎた今でも、友人の息子は父の仇を討つため、その相手を探すことを諦めず、仇討ちの機会が訪れるのを待っていると聞きました。血讐という近代の価値を真っ向から否定する世界がアフガニスタンであると言えます。」(P231-232)
その部族社会の規範、掟の中核にあるのが「ノムース」というものだという。
死を賭けるほど重要な守るべき「ノムース」とは、いったい何か?
(つづく)