襟元のブルーリボンはブローチか (千葉県 得重一枝)
9日の『朝日新聞』に載った読者の川柳だが、横田滋さん死去の報に、ながく拉致問題を動かせないでいる日本の政治への不満が噴出している。
多くの政治家が、拉致問題に取り組みますと言って、横田さん夫妻に会いに来たが、はたしてどこまで真剣なのか。
夫妻が私にこうもらしたことがある。
「『拉致問題で何をしたらいいか、おっしゃってください。その通りに一生懸命やりますから』と言われるのですが、何をしたらいいかを考えるのが政治家じゃないですか。それに必ず『がんばってください』と激励されますが、私たちの方が政治家の先生にがんばってと言いたいです」
ブルーリボンバッジとは、現代の「免罪符」なのか。
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拉致問題は1997年2月に「破裂」し、はじめて社会の関心を引くことになる。メディアが一斉に取材に動き、安明進氏に取材申請が殺到した。
一方、彼の証言の信憑性に疑問をなげかける人々も少なくなかった。
亡命した北朝鮮工作員は、韓国の情報機関、国家安全企画部(安企部、当時)の管轄下におかれるため、そうした人物の証言には政治的な思惑が入りやすく、場合によっては謀略がしかけられることもあるというのだ。
安企部といえば、その前身は韓国中央情報部(KCIA)。1973年、東京のホテルから金大中氏を拉致したことで知られる、日本では悪名の高かった組織だ。
また、亡命者が事実を誇張するため、他人に聞いたことをあたかも自分が目撃したとして語ることもありうる。
私が安明進氏の目撃証言にいたる不思議な「めぐりあわせ」で書いたように、安明進氏や韓国安企部があらかじめ、1997年2月4日のインタビューに「めぐみさん拉致」情報を「仕込む」ことは不可能だった。「取材状況」としては、捏造を疑わせるものはない。
また、私は2月4日のあと何度も追加・確認の取材のために安明進氏に会い、拉致関連情報だけで数十時間のインタビューをしている。仕事柄、疑ってかかる習性があり、意地悪な聞き方もしたし、くせ玉のようなひっかけ質問をあらゆる角度から投げた。その上で、めぐみさん(らしい日本人女性)目撃関連の情報については、安明進氏の証言は信用してよいと結論づけている。
これは私の取材者としての確信である。
何かそれ以外に、安明進氏が真実を述べていることを証明することはできないのか。北朝鮮での裏どりが不可能である以上、難しいと思ったが、つねに気にはなっていた。
そこに、彼の証言の信憑性を占なう一つの出来事が起きた。
1998年3月末、安明進氏は『北朝鮮拉致工作員』(徳間書店)という本を出した。
最終ゲラを私に見てほしいと安氏が希望したため、私は出版の1ヵ月近く前に中身を読むことができた。
読み進んでいった私は、ある言葉に引っかかった。
「えくぼ」である。
「彼女が笑うと深く窪んだえくぼは、見る人に心優しい印象を与えていた」
えっ、めぐみさんは「えくぼ」があったのか!?
横田さん夫妻には繰り返し取材しているが、めぐみさんに「えくぼ」があったという話は聞いたことがない。めぐみさんに関する新聞、雑誌の記事のファイルをすべて読み直したが「えくぼ」の記述はない。
安氏の勘違いか。
ひょっとすると、安氏が見たというのはめぐみさんとは別人なのでは。
私はとんでもない誤報をやらかしてしまったのか。
ゲラを読んだ翌日の3月5日、いてもたってもいられず、横田滋さんに電話を入れた。
めぐみさんには「えくぼ」があったんですか。
「ありましたよ」
これまで、「えくぼ」の話をマスコミなどに語ったことはありますか。
「そう言われてみると、話したことはなかったと思います」
警察には?
「警察にも話していません」
すぐに川崎市の自宅を訪ねた。
滋さんとは違って、早紀江さんは「えくぼなんてあったかしらね」と言う。
アルバムのページを繰って、めぐみさんの小さい頃へとさかのぼっていくと、「えくぼ」を確認できる写真が出てきた。
「そうそう、あの子、笑った時にキュッとほっぺがくぼむのね」と、早紀江さんは思い出にひたるように、じっと写真を見つめている。
唇の端のすぐそばに小さく出るえくぼではなく、にこっと大きく微笑んだときに限って頬の中ごろが深く窪むタイプのえくぼだ。普段は出ないため、早紀江さんは「えくぼ」の存在を忘れていたという。
「えくぼ」は滋さんの家系の遺伝だそうで、そういわれると、めぐみさんの顔の下半分は滋さんに似ているような気がする。
滋さんにとっては、えくぼがあるのは当たり前で、あらためて、めぐみさんの「特徴」として意識することはなかったという。
安明進氏の言うとおり、「えくぼ」はあった。
そして、あらかじめ安氏が「えくぼ」の存在を知ったうえで作り話をすることは絶対にできなかったのである。
(つづく)