北朝鮮は何人を拉致したのか?(3)

 3日のNHKスペシャルウクライナとロシア 訣別の深層」を観る。
 登場したうちの二人の言葉がとても印象に残った。

 一人は、言論統制で先日発行を停止したロシアの独立紙『ノーバヤ・ガゼータ』のスタッフ。戦争に反対する彼女は、後の世代のことを憂慮していた。

「少なくとも今後数年間は、暗く陰鬱で理解しがたいものであることは間違いありません。
 私の世代の未来が失われたことが残念ですし、私には幼い子どもがいます。

 息子には誇りを持てる国がないことがつらいです。自分の国は侵略者であり、国の意見に同調しないなら必要とされないのです。

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 こう言って彼女は涙を見せた。

 ロシア国民全体にとっての、世代を超えた大きな災厄としてとらえて悲しんでいる。

 

 もう一人は、ロシア侵攻で、留学していた米国から祖国に戻ったウクライナ人で、いま医療品はじめ戦時に必要な物資を調達するボランティアをしている。

 これはプーチンの戦争であって、一般のロシア人に責任はないという意見があるが、彼は全く違う考えで、むしろロシアの普通の人々に対して怒っているという。

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プーチンにではなく、ロシアの普通の人々に怒っているのです。

 ロシア人はもう20年もプーチンに何もしていない。もし大統領が気に入らなければ、国から追放すればいい。私たちがマイダン革命でやったように。(略)

 もし何もしないなら、その政府を肯定しているのと同じです。(略)それは人を殺すことを支持していることになる。」

 

 ロシアの独立系機関の調査でも、プーチンの支持率は侵攻後上昇し、ウクライナへの「軍事行動」を国民の81%、圧倒的多数が賛成しているという。

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(テレ朝「モーニングショー」より)

 国民の「責任」とはいったい何か。私たちも考え続けるべき問いだと思った。

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 前回、元北朝鮮工作員安明進(アンミョンジン)の、「北海道から拉致された男性」についての証言を紹介した。

 安明進は、1997年2月4日、私たちの取材に、横田めぐみさんらしい日本女性を北朝鮮の工作機関で目撃したと証言した。
 安明進は、単にめぐみさんに似ている日本女性を見たというだけでなく(それだけだと他人のそら似かもしれない)、工作員養成所の彼の教官が彼女を「ニイガタから連れてきた」と証言したことが重要だった。この証言は日本で拉致が大きな社会的関心を持たれるようになる上で、決定的な役割を果たした。

 安明進に注目が集まり、のちに彼は日本に長期滞在して日本のマスコミ取材を「メシの種」にするようになる。マスコミの質問は、拉致問題だけでなく核ミサイル開発や金ファミリーの後継者問題や「よろこび組」など、明らかに彼の知識の及ばない範囲にも広がり、安明進の証言にも新しいものが付け加わっていった。
 その代表的な例が「めぐみさんは金正日一家の家庭教師をしている」と複数の工作員から聞いたという情報だ。これについてはかつてこのブログでも触れた。

takase.hatenablog.jp


 さらに2007年、安明進覚醒剤の密売で逮捕され、過去の証言にまでさかのぼって疑問視されるようになる。

 安明進と個人的にも親しく付き合った私の見るところ、初期の安明進証言は信頼できる。

 先の「北海道拉致」は、1997年に私たちがはじめて安明進から聞き出し、1998年3月に出版された安明進北朝鮮拉致工作員』(徳間書店)にも出てくる事件だが、めぐみさん拉致と同じく、安明進はその男性が拉致された状況を教官から聞いている。

7)金賢姫(キムヒョンヒ)が「招待所のおばさん」から聞いた拉致された日本人たちがいる。

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(文春文庫)
「ある人は、連れてこられるときから強く反抗したために、北朝鮮に着いたときには満身傷だらけの姿であった。
 ある日本の男性は、とても心がきれいで大工仕事をよく手伝ってくれたという。
またある日本人女性は、北朝鮮で外国人と結婚させられたという。
 ある日本人夫婦は、海辺でデートを楽しんでいたところを拉致され、北朝鮮で結婚式を挙げたという。
 また、拉致された人のなかには、まだ高等学校に通っていた少女もいたという。その女生徒は金持ちの娘だったのか、自分のものを洗濯することさえできなかったという。・・・」(『忘れられぬ女』文庫版 P249~)

 この中には、日本政府が認定した被害者も入っていると思われる

takase.hatenablog.jp


8)曽我ひとみさんは韓国から軍事境界線を越えて北朝鮮に逃げた米兵4人の一人ジェンキンズさんと北朝鮮で結婚した。ひとみさんは、パリッシュという米兵の妻となったレバノン拉致被害者のシハームさんからこう聞いたという。

86年ごろ、平壌産院で子どもを出産したとき、イギリスから来た日本女性と会った。彼女は夫も日本人だと言っていた。眼鏡をかけていた。

 これは「また聞き」だが、蓮池祐木子さんも地村富貴恵さんも同じ平壌産院で出産しており、多くの拉致被害者がこの産院を利用することがわかっている。

 シハームさんがこの産院で会ったのは、特徴(「イギリスから来た」「近視」など)からいって、有本恵子さんの可能性が高いと思われる。

 北朝鮮の説明では、有本恵子さんは1985年12月27日、石岡亨さんと結婚し、翌年娘を出産、88年11月4日、ガス中毒で一家3人が死亡したことになっている。出産時期はシハームさんの話に一致する。

 

 前々回に書いた「最低線」の31人に加えるべき拉致被害者がどのくらいいるかを推測する材料を挙げてきた。

 以上から一つ見えてくるのが、拉致被害者に一定のグループ分けがありそうだということである。

①蓮池夫妻、地村夫妻、田口八重子さん、横田めぐみさんたちは同じ招待所で暮らし、交流があったことが分かっている。

曽我ひとみさんは、拉致直後はめぐみさんと同居したが、ジェンキンズさんと結婚してからはまったく他の日本人に会っていない。

③帰国した拉致被害者が交流した中に、田中実さん、金田龍光さんなどは含まれていない。

 これは拉致被害者を管轄する部署が複数あったからだろう。①は労働党の対外情報調査部、②は人民軍偵察局、③は労働党連絡部が管轄したと推測できる。
(つづく)