砂川判決にみる「植民地」の屈辱

takase222015-06-23

きょうは、20万人が亡くなった沖縄戦終了70年の「慰霊の日」。
糸満市平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が行われた。

この日に合わせて、実の兄弟が、敵味方に分かれ、沖縄の戦場であいまみえるという数奇な運命を辿った東江(あがりえ)兄弟のお兄さんが沖縄を訪問している。
カリフォルニア州在住のフランク・ヒガシさん(96)。
フランクさんは両親が移民していた米国で生まれ、いったん家族で沖縄に帰ったが、19歳のときに単身渡米、そこで徴兵された。沖縄戦には、米軍通訳兵として従軍。家族を案じて沖縄行きを志願した。
70年前の6月、フランクさんは本島北部の山中に隠れる自分の家族を捜した。「敵」の「鉄血勤皇隊員」で弟の東江康治さん(元名桜大学学長)との接触に成功し、必死の説得で投降を促し命を助けた。
《21日、フランクさんは、ことし4月に86歳で他界した康治さん宅を訪れ、遺影と対面。「もう一度会いたかった。それだけが唯一の心残りだ」と声を震わせた。》 
沖縄に来るのはこれが最後かもしれない、とフランクさんは言ったそうだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=120855&f=i
(この兄弟を描いた、2011年8月に「最後の絆・沖縄引き裂かれた兄弟−鉄血勤皇隊と日系アメリカ兵の真実」(フジテレビ特番)には弊社が制作協力した)

 沖縄戦を知る人は次々に鬼籍に入っていく。
 でも、追悼式で、自作の詩「みるく世(ゆ)がやゆら」(平和でしょうか)を朗読した高校3年の知念捷(ちねん・まさる)さん(17)を見て、若い人たちへの頼もしさも感じた。
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国会は、22日夜に開かれた衆議院本会議で、24日までの会期を9月27日までの95日間延長することを、自民・公明両党や次世代の党などの賛成多数で議決した。通常国会としては過去最長の延長幅となる。
これで、法案が参院送付後60日たっても採決されない場合、衆院で再議決できる憲法59条の「60日ルール」の適用も可能だ。安全保障関連法案をどうしても成立させようというのだ。
 沖縄から、この流れを逆転する風が吹いてこないかと夢想する。
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19日の「砂川判決」の話のつづき。

1959年3月30日、「米軍駐留は憲法違反」とする「伊達判決」が出て、日米両政府は大ショックを受ける。
翌日の3月31日、駐日大使のダグラス・マッカーサー二世大使(マッカーサー元帥の甥)から、ダレス国務長官宛に極秘公電が送られた。

私(大使)は今朝8時に藤山(外相)と会い、米軍の駐留と基地を日本国憲法違反とした東京地裁判決について話し合った。私は、日本政府が迅速な行動をとり、東京地裁判決を正すことの重要性を強調した》
 判決翌日の早朝には、米国大使が外相に会って、早くあの判決をひっくり返すべきだと言っている。しかも、高裁をふっとばして直接に最高裁に跳躍上告するようにと迫っている。
 これに対して
 《藤山(外相)は全面的に合意するとのべた。(略)藤山は、今朝9時に開かれる閣議でこの上告(跳躍上告)を承認するようにうながしたいと語った》
 朝8時に米国大使に言われたことをその直後、9時からの閣議で決めようというのである。
 そして、4月3日。
 《自民党の福田幹事長は、内閣と自民党が今朝、(略)最高裁に直接上告することに決定した、と私に語った》。
 大使の外相への指示から、はやばやと、たった3日で跳躍上告を決めている。
 話をはしょると、マッカーサー大使は、なんと裁判の判決を下す、最高裁長官の田中耕太郎とも密談を重ねていた。
 1959年12月16日、最高裁大法廷で砂川裁判の判決が言い渡された。
 「原判決を破棄する。本件を東京地方裁判所に差しもどす」
 「伊達判決」をくつがえす逆転判決だった。

 政府、自民党、司法などのトップが米国大使の指示に従ってコントロールされるまま、異例にはやいスピードで米国の望む判決がくだされている。
 日本は米国の植民地と見まがうほどの屈辱的な事件である。
 法治国家崩壊」は決して大げさではなかった。

(つづく)