国会での政府側の答弁を聞いていると、ごまかすための無理な理屈ばかりが目立つ。
個別的自衛権から集団的自衛権へと、グラデーションで重なり合うようなイメージをつくり、それが「切れ目のない」対応であるかのように強弁する。
しかし、この二つは「自衛」と「他衛」で、全く別物だ。
弁護士が日本を揺さぶる危うさよ (大阪府 小野 暁)
きのうの朝日川柳の佳作だが、たしかに、高村、北側、枝野、橋下と弁護士出身の政治家がうごめいているな。
とくに法案の与党協議を主導した自民の高村正彦副総裁。
安保法制は違憲だとの専門家の圧倒的な声を打ち消そうと、10日、11日の衆院憲法審査会で、高村氏、こんなふうに言っている。
《憲法の番人は最高裁判所であって、憲法学者ではありません》
《憲法の番人である最高裁判所が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理》
そして、その判決こそ、1959年の「砂川裁判」の最高裁判決で、高村氏によれば、この判決は《自衛権に関する最高裁の判断として「唯一無二」のもの》だという。
判決全文は最高裁のHPにある。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf
結論から言うと、この判決が集団的自衛権を認めていると解する憲法学者はほとんどいない。
判決にはたしかに、「憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである」
「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」と書かれている。
これは個別的自衛権について言及していると理解するのが常識となっている。この判決を集団的自衛権の根拠づけに持ち出すことは、そもそも理屈として間違っている。
「砂川事件」最高裁判決という土俵の上で闘っても「合憲論」は勝ち目がないのだが、実は、この土俵そのものが、とんでもない事情で作られたものだった。
この最高裁判決は、日本が米国にまるで植民地のように扱われた「屈辱判決」であって、普通の独立国なら恥ずかしくて人前に出せないしろものである。
『検証・法治国家崩壊〜砂川裁判と日米密約交渉』(岩波書店)という本がある。
オビには;
《日本人はまだ、この驚くべき全貌を知らない〜
2008年4月、アメリカの国立公文書館で驚愕の資料が発見された。いまから半世紀前、日本の最高裁がアメリカ政府の政治工作により、そのシナリオ通りの判決を出したことがわかったのだ。そしてその判決は、在日米軍に治外法権を与えるだけでなく、以後、日本国民に対するさまざまな人権侵害を可能にする「法的根拠」をつくりだすことになった。
大宅賞作家の吉田敏浩が、機密文書を発掘した新原昭治、末浪靖司とともに、最高裁大法廷で起きた「戦後最大の事件」の全貌をあきらかにする》
いったい、どんな「事件」だったのか。
(つづく)