最初で最後の拉致集会


 きのう23日、東京都庁前の都民ひろばで、「北朝鮮による拉致被害者救出のための集い」が開かれた。特定失踪者の家族、関係者が全国から参集する初めての集会だ。
天気にもめぐまれ、たくさんの人―TBSは800人と報じていた―が参加した。
 いろいろ、考えさせられる集会だった。
主催した特定失踪者問題調査会の荒木代表は、メールニュースにこう書いている。
《今回特定失踪者の67家族と家族会4家族、合計71家族(若干漏れがあるかも知れませんが)120人余の方々が壇上に上がりお訴えをされました(一部非公開の方を除く)。家族会の飯塚代表には来賓としてもご挨拶いただきましたが、認定者と未認定者の家族がこれだけ多数、一同に会して訴える機会はおそらく最初で最後になると思います。先ほどご家族の訴えの写真を見ていてお一人おひとりのご様子が蘇ってまいりました》
2002年9月17日、小泉訪朝で金正日が拉致を認めたとき、「生存者」として北朝鮮が挙げた中に、知らない名前があった。曽我ひとみさんだ。政府も拉致問題に関わる市民団体、メディアでこの問題を取材していた我々も、全くノーマークだった。
ひとみさんとお母さんのミヨシさんは、78年夏に佐渡で失踪していたが、警察も近所の人たちも「家出」だと見ていた。北朝鮮の発表で、地元だけでなく、日本中が驚いた。そこで、全国から、行方不明になったうちの息子、娘も拉致されたのでは、という問い合わせが寄せられるようになった。
その受け皿として発足したのが「特定失踪者問題調査会」で、地道な調査、啓蒙活動から「しおかぜ」という北朝鮮向けラジオ放送まで手がけている。本来、政府がすべき仕事を手弁当でここまで続けてきた荒木代表とメンバーには心から尊敬の気持ちをいだいている。
守る会の三浦小太郎代表がHPで集会を報告している。http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00401
《政府認定の拉致被害者家族の方々が、増元照明氏をはじめ登壇したことの意義は大変大きかったと思います。ご家族のお一人は「小泉さん訪朝までは、私達も『拉致疑惑』とされ、政府から見捨てられていたのです、私達も失踪者家族の方々も立場は一緒です」と訴えておられたのは心をうちました。特定失踪者の方々すべてが拉致された方々どうかはわかりません。しかし、まだ私たちの知らない、すでに身寄りもなくご家族もいない方々が知らぬうちにさらわれている可能性もあるのです。私達は、ただ一人のいまだ北朝鮮が認めていない知られざる同胞を救うことは、日朝の偽りの国交正常化よりも比べ物にならないほどの価値を持つという意識を持つべきではないでしょうか」
集会では政府への批判が相次いだ。 
《式典の最後に荒木和博代表が再び登壇、厳しい表情で、この問題が解決しないのははっきり言って日本政府の責任であると、これまでの政府の様々な姿勢を批判しました。特に強調されたのは、2005年、細田官房長官(当時)の国会答弁でした。(略)「先方も政府で、彼らのこの領土の中においてはあらゆる人に対する権限を持っておりますので、これは我々が説得をして、そして彼らがついに、実は生きておりました、全員返しますと言うまで粘り強く交渉をすることが我々の今の方針でございます」と、簡単に言えば、事実上北朝鮮政府が考えを変えるまで何もできませんと答えたに等しいのに、当時はこの発言をマスコミも全く問題にせず、また国会でもこれ以上議論にはならなかった、細田氏個人の問題ではなく、ここに今の日本政治のある意味象徴があると述べました》
調査会のニュースで、真鍋貞樹副代表が「方法論の違いから」退会したことを知った。これについて荒木代表は;
《あのような体制の国家に奪われた国民を取り返すのですから、どう取り返すかという方法において違いが出るのは当然です。活動の中では様々な葛藤も生じます。しかし登り方は異なっても最終的に目指す山頂が同じであれば良いと考える次第です》と述べている。
今回のような集会が開かれるのは、拉致問題が「曲り角」にあることを示していると思う。その解決の方法をめぐっては、タブーなく見直しも含めて、議論し、試行すべきときなのだろう。