マスコミと検察の暴走―菅直人首相の原点

takase222010-10-22

菅直人氏が政治家として名を上げたのは、厚生大臣のときのいわゆる「薬害エイズ」問題での「謝罪」だった。
ウィキペディアの「菅直人」にはこうある。
薬害エイズ事件の処理に当たり、当時官僚が無いと主張していた行政の明白な過ちを証明する“郡司ファイル”(当時の厚生省生物製剤課長・郡司篤晃がまとめていたのでこの別名がある)を菅直人指揮の下にプロジェクトを組んで発見させ、官僚の抵抗を押し切って提出。血液製剤によるエイズに感染した多くの被害者たちに対して、初めて行政の責任を認めた》
薬害エイズ民事訴訟に裁判所から和解勧告が出された直後の96年2月9日、菅直人厚生大臣は会見を開いて「1983年当時、厚生省内に、非加熱製剤が危険だという認識があった」と発表。「隠されていたエイズ研究班のファイルが発見された」として郡司ファイル9冊を取り上げての緊急記者会見だった。
2月16日には、患者らに対して「国の責任を認めて謝罪」した。(写真)
こうしたなか、1月25日には安部医師に対する「殺人罪」による告訴が行われ、4月には安部医師が、衆参両院で参考人として質問され、7月には衆議院で証人として喚問された。そして8月、東京地検特捜部に「業務上過失致死罪」で逮捕され、翌9月に起訴されるという流れになる。
このタイミングで、菅大臣の言動は、巨大なパフォーマンス効果をあげ、英雄視されたわけである。安部医師起訴への露払いになったともいえる。
だが、『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』によれば、事実関係に大きな誤りがあるという。
厚生省が新庁舎になったとき面積は増えなかったので、「使わないものは倉庫に入れろ」との指示で、郡司氏は新聞記事や雑多なメモなど「ゴミファイル」を倉庫に入れた。それを倉庫から取り出すだけで「隠していた」ものを「大発見」したことになったのだった。問題とされたのは、ある技官が書いた全くの個人的メモだったという。
つまり、菅大臣は、意味もなく「謝罪」したというのだ。
これについて川田龍平氏が、「菅大臣が謝罪したとき、皆が泣いて喜んでいたけれど、自分は全然うれしいとは感じなかった。だって、何を誤っているのかわからなかったから」と言ったという。
弘中弁護士らが書いた本は、菅直人氏について、「この謝罪のため、エイズ問題の本質は、悲劇から事件へと捻じ曲げられました」と書く。そして国民を誤解へと導いた「人気取りだけの政治家」と酷評している。
エイズ問題は、菅氏は民主党の代表選のスピーチでも誇らしげに指摘した自分の実績である。政治家としての「原点」の一つであるだけに、彼の今後のパフォーマンスを見る上での参考になる。
(つづく)