23日のブログでは菅直人首相が大衆受けするパフォーマンスで、エイズ問題を捻じ曲げるきっかけを作ったとの指摘を紹介した。
アメリカから輸入した非加熱血液製剤で日本で1800人がエイズに感染、500人が死亡したとされる悲劇について、当時の政治家は―右も左もこぞって―このウラには誰か「悪者」がいてそれは安部医師だと断定していった。
安部医師は96年7月に衆院で証人喚問されている。手ぐすね引いていた議員らは、ここぞとばかり安部医師の「責任」を追及した。
思うような答えが得られない議員の中には、捨て台詞を吐くものまでいた。枝野幸男議員(当時さきがけ)は安部医師に向かって「今度、東京地裁の刑事部でお会いするのを楽しみにしています」と恫喝している。まだ、逮捕もされていない段階で、国会に呼ばれこんなことを言われたのだ。政治家は、安部は悪者という認識で一色になっていた。これは怖い。
もっと怖いのは、検察が証拠隠しをしていたことだ。
例えば、検察は97年、多額の国費を使って、エイズウイルスの発見者とされるシヌシ博士とギャロ博士をフランスとアメリカに訪ね、宣誓供述調書を作成しておきながら、安部医師に有利になるとして、これをひた隠しにしていたことが判明している。
村木さんの事件では、証拠を捏造したのだから、証拠を隠匿するくらいは当然ずっと続けられてきたのだろうと思う。
すでに紹介したように、80年代前半の時点では、エイズとは何か、それはどんなメカニズムで感染するかについては不明なことが多く、日本だけでなく世界の血友病専門の医師らは、不安を感じつつも、非加熱血液製剤によるメリットの大きさがはるかにまさっているとして、使用を止めることはなかった。
医療にはパーフェクトはなく、メリット、デメリットの比較考量のなかで医療方針が判断される。安易にここに「責任」を持ち込むことは百害あって一利もない。
エイズ問題から離れるが、終末期の臨床医によると、「苦痛を除くこと」と「延命努力」ではどうしても後者に重点が置かれるとして、その理由の一つに医師の自己防衛的心理があるという。延命努力をしないと訴えられる可能性があるからだ。
《患者の存命中には見舞いに来なかった親戚が現れて、医療行為の中断を「殺人だ」などと主張する「遠くの親戚現象」が頻発するようになりました。近年日本人の多くが。かつては想像できなかったほど他罰的になっています。メディア、警察、そして裁判所までが、システム破綻による「医療事故」を個人のミスによる「医療過誤」とみなす風潮にあるのは事実で、医療看護の道を選択する者はそれを敏感に感じているように見えます》(大井玄、サングラハNo80)
どこから我々は、それほど「他罰的」になってきたのか。
(つづく)