原発事故−非常を日常として生きる

きのうの朝日新聞夕刊に、京都大学原子炉実験所の今中哲二助教授のインタビューが出ていた。

今中哲二氏/figcaption>
今中氏は、チェルノブイリ事故の影響をもっともひんぱんに現地に通って調査してきた研究者だ。以下の部分を共感を持って読んだ。
「私はかつて、『夢のエネルギー』と期待された原子力にひかれて研究の道に入った。ところが、原発安全神話は1979年の米スリーマイル島原発事故で崩れ、86年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で地に落ちた。事故後、欧米では『このままではやばい』と対策を強める雰囲気が生まれた。しかし、自然災害の多い日本こそ、明日は我が身と受け止めて原発のリスクに正面から向き合うべきだった。
 チェルノブイリ原発の30キロ圏内は、事故から四半世紀たった今も封鎖されたまま。住民たちはこの間、放射能のリスクと向き合ってきた。『人はいつまでも非常事態下では生きられない。非常を日常として受け入れるしかない』。現地を知るウクライナ人研究者の重い言葉だ。日本でもこれから汚染が続く。残念ながら、放射能と共存するしかない時代に入ったのだ

きょう、福島第一原発の近くで取材活動をしている複数のフリーランス・ジャーナリストに電話をかけて話をきいた。
その一人に松林要樹さんがいる。
彼は以前、うちの会社でADのバイトをしていたのだが、おととし、「花と兵隊」という未帰還兵の映画をつくり、それ以降、「監督」と呼ばれている。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090801
彼は20キロ圏内で泊り込んで取材を続けていたのだが、取材を切り上げて、今夜東京に帰りますよ、という。http://d.hatena.ne.jp/motokiM/
政府が、22日午前0時から20キロ圏内を災害対策基本法に基づく「警戒区域」に設定、退去しないと罰金や拘留が科せられることになったからだ。
この間、多くのフリーランス原発近くに入って取材してきた。彼らから、原発からの距離が同じでも、場所によって放射線量が非常に違うと聞いていた。同心円で切る区域割りは、きっと問題を生じるだろうと思う。
これだけ時間が経っているのに、どうやら、政府も東電も、30キロ圏内の正確な測定をやっていないようだ。
大手のメディアはこれまでも入っていなかったから、今後、フリーも入れないとなると、中の様子が分からなくなってしまう。そこが心配だ。
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さて、夜は、今月10日放送の「情熱大陸」の打ち上げで、弘中惇一郎弁護士と鍋を囲んで飲んだ。
「被害者と検察とマスメディアが一本の線につながることほど、人権にとって危険なことはない」
弘中さんのこの言葉を、自戒をこめて番組の中で流すことができた。自分にとっては、これがもっともうれしいことだった。
正直に言うと、弘中さんに知り合うまで、「ロス疑惑」の三浦和義氏、「薬害エイズ」事件の安部英医師、ライブドアホリエモンこと堀江貴文氏らをみな「クロ」と思っていた。
自分自身を振り返っても、やはりマスコミの刷り込みはすごいと思う。
衝撃だったのは、弘中惇一郎氏が編著の『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実―誤った責任追及の構図』(現代人文社2008)だった。ここに登場するのは検察だけでなく、火をつけたたくさんのマスコミ人、菅直人氏はじめ政治家が根拠なく安部を断罪している姿だ。怖い。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20101019
酒を飲みながら、チェルノブイリに行って、原発の処理には最低50年はかかることが分かりました、と言った。
TV局のプロデューサーやディレクターまじえ、みなで楽しく飲んでいるなかで、「私たちがトラブルに巻き込まれたらお願いしますよ」とお願いしたら、弘中さんが「50年先を見据えて、思い切って仕事してください。顧問料なき顧問弁護士になりますから」といってくれた。
「無罪請負人」「最強の弁護士」などと評される人からのありがたい言葉。大いに励まされた。