リビア紀行―携帯電話考

takase222007-09-02

8月31日は革命記念日の前夜祭だった。(写真)
トリポリの「緑の広場」には市民が動員され行進と集会が行われた。
夕闇のなか花火が上がった。すると、若者がいっせいに花火の方に向かって片手を挙げた。
特別な儀式かと思ったら、何のことはない、携帯電話で花火の写真を撮ろうとしているのだった。
リビアというと鎖国同然の状態が長く続いた特殊な国家というイメージが強く、携帯電話が普及しているとは思っていなかったので、ちょっと意外だった。
携帯電話の普及率はトリポリ市内にかぎっては、日本のそれに近いだろう。
タクシーに乗ると、運転手は必ずと言っていいほど携帯で誰かとおしゃべりをはじめる。役所の窓口でも、市場の売り子も、客などそっちのけで携帯電話でのおしゃべりに余念がない。
リビア人の会話に費やすエネルギーと時間は巨大なものだ。
新聞売店を取材していたら、買いに来たお客が、ほぼ例外なく売店のおじさんと話しこんでいく。
金曜日、モスクのそばのお茶屋は、礼拝までの時間つぶしに立ち寄る男たちでいっぱいになる。水パイプ片手に夢中でおしゃべりする男たちの声でやかましいことこの上ない。
カダフィ大佐は、原稿なしにかるく3時間くらいは演説するというが、音声によるコミュニケーション能力に重きをおかれる国なのだろう。リビア人は、アラブ人のなかでは相当おとなしい方だと言われているが、それでも大変なおしゃべりやである。
これに対して、日本人は圧倒的に読み書き民族だとあらためて気づかされる。昔から男は余計なことは口に出さず、「メシ、フロ」で済ましてきた日本人なのである。
通勤電車ではほとんどの人が黙って下を向き、メール打ちに忙しい。同じ携帯電話でも使い方が全然違うのだ。リビアではまだメール携帯が普及していないが、将来もし普及しても、日本のような光景にはならないだろう。
娘の携帯の使用法を見ても、電話として使うのはごくまれで、ひっきりなしに友だちとメールのやり取りをしている。今の中高生はメールによって、我々の若いときよりはるかにひんぱんに文章を作り、読んでいると思う。たとえ、それが顔文字まじりの軽い文章であっても、かなりの量に達するはずだ。読み書き民族のDNAはしっかり受け継がれている。
ところで、日本の若者の読み書き量の増加と、読解力の低下が同時に起きているのはなぜだろうか。