ふざけんな!この10年のウミを出せ

 昨夜、夕食を食べながら、女優の田中美佐子の「ファミリーヒストリー」(NHK)を観ていた。この番組、めったに観ないのだが、たまたまテレビをつけていて最後まで観た。エンドロールには、ディレクター、金本麻理子とあった。こういう番組もやっているんだな。

 金本さんといえば、このブログで「テレビの報道ドキュメンタリーとしては、ここ数年では最高傑作だと思った」と書いたNHK BS1スペシャルの「レバノンからのSOS~コロナ禍 追いつめられるシリア難民~」を一人で撮影・編集したディレクターだ。

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 ギャラクシー賞月間賞受賞、第75回文化庁芸術祭 テレビ・ドキュメンタリー部門優秀賞受賞、放送人グランプリ2021大賞など数々の賞に輝いたこの番組が、今週再放送される。 

 関心ある方はぜひご覧ください。金本さんのインタビューもあります。
 12月25日(土)前1:00〜3:00(金曜深夜)NHKBS1 
・・・・・・・

 19日のTBS「サンデーモーニングでいくつか「なるほど」と思ったコメントがあった。

 「1週間の振り返り」の14日。

 日米台の議員などが参加し、インド太平洋地域に関するオンラインのシンポジウムがおこなわれた。安倍元首相が中国を念頭に「圧力に屈しない」とし、さらに日米など志を同じくする国々は台湾が関係する国際機関に参加することができるようにすべきだと語った。中国政府は、「身勝手な台湾独立勢力を支持するのは間違っている」と反発した。

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シンポジウムで発言する安倍元首相(TBS)

 これに田中優子さん(前法政大総長)が以下のコメント。

 《私は台湾の成立事情からみて、中国がいつまでも台湾は中国の一部だと言い続けるのは無理があるだろうとは思っています。しかし、「台湾有事」という言葉が出てくるように、これは非常に大きな火種になる。つまり、中国とアメリカの戦争を誘い出してしまうようなテーマでもあるわけです。

 ですから、ほんとうにもっと慎重に、裏の方から、徐々に、っていうんでしょうか、少しづつ少しづつ進めていかなければならない問題だと思うんです。

 これ(安倍氏の発言)は、あまりにもあからさまで危険な気がします。私が心配するのは、沖縄なんです。沖縄県というのは、ほんとに台湾から近いところまでいろいろな島が続いているわけで、そこが戦場になるということを想像しただけで非常に懸念しますし恐ろしいことだと思います。》

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田中優子さん(サンデーモーニング

 私も「一つの中国」は無理で、台湾は独立した国家と認められ、国際機関にも正式に迎えられるべきだと思う。しかし、いったん国際常識になってしまった「一つの中国」原則をどう変えていったらいいのか。実際の外交では「慎重に、裏の方から、徐々に」進めよ、に賛成する。

 それにしても、田中優子さんが、台湾は中国の一部ではないと言ったことには、時代の流れを感じた。

 

 次に15日。国交省建設工事の建設受注統計の書き換えが発覚した。

 これに田中秀征さん福山大学客員教授)がコメント。

 《ぼくは25年前、経済統計を統括するような立場にいた。そのころは日本の統計数字に対して大変な誇りを感じていました。正確さ、公正さ。日本国内だけじゃなくて外国からも日本の統計数字というのは、一目も二目もおかれていたんです。

 こういうこと(統計書き換え)が起きるようになったのは、この10年ですね。3,4年前に「勤務統計」という不正事件がありましたね。2年ぐらいしたら、今回のこの書き換え事件なわけですよ。日本が出す数字に対して、信用されないというのが一番恐れることで、他国について文句言えなくなるんですね。・・・

 残念でしょうがないですね。ゆるみが出てるとしか言いようがないですよ。》

 

 GDP算出にも使用される国の基幹統計を書き換えるとは尋常な話ではない。8年前から二重計上して水増ししていたという。全国を巻き込んだ大掛かりな書き換えは、いったい何のためなのか、誰が指示したのか、徹底して解明すべきだ。

 政府機関のこうした根本からの「ゆるみ」、というかモラル崩壊は、「この10年」、つまり安倍内閣で現れてきたように私も思う。文書を隠ぺい、改ざん、廃棄するなど、最低限の常識や倫理の基盤がないがしろにされてきた、まさに亡国の内閣だった。

 さらに、経済界でも、日本を代表する企業で次々に大がかりなごまかし(不正会計の東芝、データ不正の三菱自動車神戸製鋼所、完成検査不正の日産自動車SUBARUなどなど)が発覚し、日本がまるで別の国になったかのようだ。

 この10年の日本の底知れぬモラル崩壊を象徴するのが森友文書改ざん問題だ。

 財務省の公文書改ざんを命じられて自殺した近畿財務局の元職員、赤木俊夫さんの妻が国などに賠償を求めていた裁判で、15日、突如、国側が請求を認めた。

 赤木さんがうつ病を患って自殺し、妻の雅子さんが国と当時の佐川宣寿理財局長に合わせて1億1200万円余りの賠償を求めて提訴していた。これを国は全面的に認めて裁判を終わらせたのだ。

 赤木雅子さん「ふざけんなと思いました。国は誰のためにあるのか。夫は国に殺され、きょうも打ちのめされました。お金払えば済む問題ではない」

 

 「朝日川柳」より
 また改竄またあの人の在任中 (福岡県 伊佐孝夫)16日選

 金積んで負けるが勝ちとほくそ笑み 兵庫県 尾末幸子)
 あの人を守る一億安いもの (埼玉県 高柳茂)以上17日選

 卑怯者金と力はありにけり大阪府 小山安松)18日選


 私も政府に言いたい。ふざけんな!

 政府はここまでして何を隠したいのか、誰をかばいたいのか。はっきりするまでしつこく追求しよう。

飯塚繁雄さんの逝去によせて

 飯塚繁雄さんが18日、埼玉県上尾市で亡くなった。

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11月13日の集会で。お顔にむくみが出ていた(朝日新聞より)

 家族会(拉致被害者家族連絡会)の代表を11日に退いたばかりでの訃報に驚いた。体調がよくないことが退任の理由だったが、よほど悪かったのだろう。

 心身ともに強い負荷のかかる役目を横田滋さんから引き継いで、83歳の高齢まで14年もつとめた。任期中、目に見える形での拉致問題の進展がなく、妹の田口八重子さんについても新たな情報がほとんど出てこなかったことは心残りだったろう。申し訳ないと思う。ごくろうさまでした。心よりご冥福をお祈りします。

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(朝日朝刊19日付)

 飯塚繁雄さんは、拉致被害者田口八重子さん(拉致当時22)の長兄で、私と仲間たちは何度も取材させてもらった。いろいろな思い出がある。

 ご自宅にうかがったある時のこと、繁雄さんは、帰国した蓮池薫さんから得た情報を細かくメモした手帳を取り出して、「これは、あまり外に出してないだけどね」と言いながら私に見せてくれた。薫さん手書きの地図もあった。

 拉致事件の核心に迫る情報に驚いた私は、そこから仲間と取材を進め、独自に当時はけっこう高かった衛星写真を購入して位置を探し、八重子さんはじめ横田めぐみさんや蓮池、地村夫妻などが一緒にいた招待所の場所を突き止めることができた。

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 これは2006年4月の日テレ「バンキシャ」で放送された。かなりのスクープだったと思うが、こういう情報は、その後の日本政府のインテリジェンスに生かされているのだろうか。

 飯塚繁雄さんの妹、八重子さんは1978年に失踪したあと、1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)に日本人化教育をした李恩恵(リウネ)の可能性が高いとされた。

 警察が李恩恵の身元判明を発表したのが1991年。一般向けの発表では匿名だったが、マスコミは警察から「田口八重子」の名前を知り、繁雄さんだけでなく兄弟姉妹の家や脳卒中で入院中の母親のもとにまで押しかけた。

 そのすさまじさを繁雄さんは『妹よ~北朝鮮に拉致された八重子救出をめざして』という著書にこう書いている。

《夜中でも朝でもおかまいなしに、「飯塚さーん、〇〇について聞かせてくださーい」と大声を出し、戸を叩くのです。

 うちが戸を開けないでいると、今度は隣を起こし、「お隣さんは実はこうなんですが、何か聞いてますか」などと聞き回られました。》(P104)

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2004年、日テレ刊

 雑誌には興味本位の記事があふれ、嫌がらせの電話もきた。「家族みなが裏で北朝鮮とつながっているのでは」などと心無い噂を立てられたりもした。

 こうしたつらい体験を経て、繁雄さんは家族、とくに子どもたちを守るため、八重子さんについては一切沈黙することにしたという。家族のあいだでも北朝鮮、拉致などの話題を避けるという徹底ぶりだったようだ。1997年に横田さんたちが家族会を立ち上げ、行動を起こしたときにも、繁雄さんは参加していない。

 転機は2002年の小泉訪朝だった。9月17日、家族会は飯倉公館で平壌からの情報を待っていたが、繁雄さんはふつうに会社に出勤し定時まで働いて帰途についた。そのとき外務省から携帯に電話があり、男性の声でいきなり「お気の毒ですが、妹さんは亡くなってます」と言われた。実感のわかない複雑な気持ちで帰宅すると、奥さんが繁雄さんの顔を見るなり、泣き崩れたという。

 政府が当時、北朝鮮の言い分を確認することなく、そのまま鵜呑みにし、「事実」として、横田さんや有本さんら家族会の人々に伝えたことが後に大きな批判を浴びるが、飯塚家に対しても同じだった。さらに酷いことに、繁雄さんには面会もせず、電話一本で「亡くなってます」と一言伝えただけだった。

 翌日、繁雄さんは詳しい情報を聞くため、会社には「私用で休む」と断って外務省を訪ねている。男性と女性の二人が現れ、男性が無表情で「田口八重子さんは、残念ながらお亡くなりになりました」と断言した。繁雄さんは次の言葉を待ったが、その男性は何もしゃべらず5分くらい沈黙していたという。繁雄さんはあきれ果ててそのまま帰ってきた。すでに北朝鮮が提示していた死亡年月日さえ、教えてくれなかった。

 当たり前の人間の気持ちすら持ちあわせていないような政府の対応に、繁雄さんは黙っていられなくなった。繁雄さんは、ここで一つの決心をする。それまで八重子さんの息子で、自分が引き取って育ててきた耕一郎さんや他の家族を守るために沈黙を守ってきたが、このままでは何も進まない。「李恩恵とされる日本人女性」や「T.Yさん」ではだめだ。八重子さんの実名を出してどうどうと救出を訴えようと決めたのだった。

 これは横田滋さんが、めぐみさんの実名を挙げて活動し始めた気持ちに重なる。繁雄さんにとっては大きな決断だった。

 こうして繁雄さんは9月26日の記者会見で初めて拉致について語ることになる。
(つづく)

 次回からは、意外に知られていない八重子さんの拉致について書いていきます。

豚が扇風機になる-屠畜のお仕事

 きのうは、屠畜に縁のある日だった。しかも屠畜に関して非常に違ったイメージを学んだ。

 午後、新宿オリンパスギャラリーで、寺本 雅彦 写真展「命は循環し、魂は巡礼する~ 血となり祈となる」(12月16日〜27日)を観る。

 バングラデシュで撮影した、ムスリムにとって最大の祝祭「イード」(牛や羊を神様に捧げる祝祭)のための屠畜がメインテーマ。

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寺本雅彦さん

 町の表通りで、路地で、あけっぴろげの空間で屠畜が行われる。屠畜を見る子どもたちが印象的だ。こうやって目の前で屠畜を見ながら育つ子たちは、ハンバーグや唐揚げの形でしか動物の肉を見ない日本の子たちとどう違ってくるのか。

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路地での屠畜でもイスラムの経文を唱える


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牛が屠られるのを見る子どもたち

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《子供達は家畜が死ぬ前日まで彼らに餌をやり、その頬を撫で微笑みかけていました。
そしてイードの当日、泣き叫び家畜の命乞いをすることもなく、静かに、だけれどもしっかりと足を立ちにつけて自分の目でその姿を目に焼き付け、そして、その肉を食べる。

テレビやネットで情報として見る事とは根本的に違う、五感を通じて自分が当事者であることを理解する。

それはとても大切なことで、同時に我々が見失いつつあるもの。

僕は飲食店を経営しているので、普通の人よりも多くの食肉をその手で切り分け調理します。しかし忙しい毎日の中、グラムやキロ単位でビニールに包まれている存在に対して、命を頂いていると意識することは正直あまりありませんでした。

だけれども命が果てる瞬間、肉に変わる瞬間をその目で見た今。

彼等の命を消費するものではなく、身体に取り入れる存在に感じたいと僕は思います。

肉となり、血となり、そして祈りとなる存在。

共に歩むことで彼等の魂は昇華され、やがて僕の生きる意味にもつながっていくと思いました。》(寺本雅彦さんの案内文)

 ダッカで観た屠畜の光景から静かに哲学していく寺本さん。いい写真展だった。

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これは日本(岡山県)の牛塚。牛を供養する鼻輪の山。この風習はずいぶん前からあるそうだ。鯨の供養を番組で取り上げたことがあるが、日本人の生き物に対する感性は独特のものかもしれない。

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 夜は一転、屠畜を全く違った角度から見る人の話を聴く。

 グレートジャーニーで知られる探検家の関野吉晴さんが主宰する「地球永住計画」の「賢者に訊く」。ゲストは栃木裕さん(元芝浦屠場労組委員長)

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三鷹で「屠畜のお仕事」を語る栃木さん

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ナイフさばきも披露してくれた



 栃木さんは実は、先日このブログで書いた《「雪風」に乗った少年》の義理の息子Tさんである。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20211130

 栃木さんは、日本の社会にある屠畜に対する否定的な見方や差別は、「殺す」という言葉に由来するという。多くの人は「動物を殺すなんてかわいそうだが、我々が生きるためには仕方ない」「屠場の人も殺すことをいやがっているのだろう」などと考えている。また、「殺す」という言葉を「命を解く」「殺しているけれど活かしている」などと言い換えて「免罪符」を得たかのようにふるまっている。

 魚や野菜にも「生命」があるはずなのに、「殺すのがかわいそう」などという人はいない。お寿司屋さんに「魚を殺すことの是非」を問う人はいない。このような状況のなか、賭場で働く人たちは、「感謝して生命をいただいている」「殺すことで活かしている」などという「美談」を語らされたりする。「殺す」を「命をいただく」という言葉に言い換えるのではなく、「殺す」という言葉とまっすぐに向き合いたいと栃木さんは言う。だって、「殺さなきゃ食えないだろ?」。

 そして、屠畜の仕事は「高い技術を必要とする誇りの持てる仕事」「とてもやりがいのある、楽しくて面白さのある仕事」だという。

 栃木さんは、一つおもしろいエピソードを披露してくれた。栃木さんの高校時代の友人がこう語ったという。

「子どもの頃、自分の家では豚を育てていて、私はその豚の世話をしていました。子豚たちは、生まれて半年たったある日、出荷されていきました。私はあのかわいい子豚たちが殺されたかと思うとかわいそうで肉を食べられなくなりました。

 ある暑い夏の日、私が扇風機の前で涼んでいると、母親から『あの豚はその扇風機になったんだよ』といわれました。その話を聞いてから、私は豚肉を食べられるようになりました。」

 つまり、家畜はペットではなく「経済動物」で、それらを収穫して生計を立てている人たちはたくさんいて、肉や皮革製品は生活に欠かせない。米は八十八もの手間がかかるから「米」という漢字になっているといわれるが、肉もまた同じように多くの人たちの関りを通じて作られている。

 「生命をいただく」という言葉で素材への感謝を表現することは否定しないが、まずはそれを作った人たちへの感謝を表現すべきでは、と栃木さんは言う。家畜を育てる畜産農家、賭場まで運ぶ運搬の人たち、家畜を屠畜して枝肉などにする賭場の人たち・・。つまり、「いただきます」という感謝の言葉は、額に汗して働く人たちの知恵や技術、その労働に対してなされるべきではないかという。

 目からウロコの刺激的な話で実におもしろかった。

 また、俗に言われる「屠畜される前の牛は涙を流す」は間違いで、牛は眼球を濡らすためにつねに涙を出している、殺されることを予期することはないなど、我々の過剰な感情移入をたしなめられた。

 ただ、会場からの「持続可能な地球をという趨勢のなか、ビーガンや代替肉をどう思うか」という質問に対して、「大豆も生命だということを忘れている。同じ生命だ。肉を食べたらいいでしょう」と栃木さんは答えたが、ここでの論点は、生命の価値ではなく、地球環境への負荷という問題であり、今のレベルの肉の生産は温暖化にとっても、エネルギー効率から言っても続けていくわけにはいかないと思う。

 これについては別の機会に考えよう

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栃木裕著『屠畜のお仕事』(解放出版社

 

一人ひとりと深く向き合う―小松由佳写真展『シリア難民 母と子の肖像』

 先日の「『彼は早稲田で死んだ』を読んで」には大きな反響があった。当時、早稲田以外の大学でも暴力支配があり、その記憶を書き送ってくれた人もいる。

 また、私の大学時代の友人から連絡があり、「革マルから暴力を受けていないなどとブログに書いているが、お前は塩酸をかけられたのを忘れたのか」と言ってきた。
 彼によると、一緒に革マルに対峙していたとき、革マルが液体の入ったビンを投げてきたという。「お前に液体がかかって、おれはお前の陰になっていて少ししかかからなかったが、コートに穴があいた」とのこと。その記憶は鮮烈ではっきり覚えているという。
 そういわれると、「塩酸」という言葉にひっかかるものがあり、何かそれにまつわる出来事があったような気もしてきた。樋田さんは、当時の記憶の一部が完全に飛んでいることを本に書いているが、緊張の連続だったので、私も記憶がブツ切れになっている。

 私と同じ法学部1年だった水島朝穂君も、『彼は早稲田で死んだ』に触発されて当時について書いている。彼がいまも持っている当時の資料は貴重だ。

直言(2021年12月13日)『彼は早稲田で死んだ』――早大川口君事件50年を前に

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真ん中で演説するのが樋田さん。1年生ながらカリスマ的な人気があり、暴力を追放する運動をリードした。(水島君の資料より)

 樋田さんの本は、多くの人たちが封印してきた記憶を呼び覚まし、語りつがれていくきっかけを作ってくれた。
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 小松由佳写真展「シリア難民 母と子の肖像」を観に富士フォトギャラリー銀座へ行く。(10日から16日まで)」

 由佳さんとは、4年前、1歳の子を連れてヨルダンでシリア難民取材をした彼女を撮影し、NNNドキュメント「サーメル 子連れ写真家とシリア難民」を制作したときからのご縁だ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20170919

 

 驚かされたのは今回の新しい展示の手法だ。難民の肖像を観ながら、その被写体の語りを耳で聴くのだ。イヤフォンからその難民のアラビア語の音声が流れ、スマホ画面に出る日本語訳で内容を知るシステムが用意されていた。

 語っているのは政治的なことがらではなく、それぞれの個人的な境遇や日常の苦労話、家族と故郷シリアへの愛だ。  

 明かりを落とした部屋で、黒い背景に浮かぶ人々の表情を観ながら音声を聴いていると、私と二人だけで向かい合って語りかけられているような錯覚におちいる。とても深い共感、感情移入が起きた。

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明かりを落とした空間に、スポット照明の当たったモノトーンの肖像が浮かぶ


 彼らの語りから、自ら体験した悲劇が見えてくる。ほとんどの難民が、アサド政権による爆撃や拷問などで死傷した家族がおり、避難地の劣悪な環境で心身に異常をきたし、経済的に追い詰められている。

 

レイス
「僕はレイス、10歳です。家族が大好きです。
 僕には、弟とお母さん、そして病気のお父さんがいます。お父さんは(シリアで拷問を受けた後遺症から)6年間も歩くことができません。お父さんは僕や弟と(外で)遊べず、僕たちと出かけられません。お父さんが僕や弟と遊んだり、出かけたりできるようになる治療があればいいのに。

 シリアに残してきた家の、自分の部屋やおもちゃが恋しいです。
 僕が大きくなったら、お父さんのような病気の人を治療するお医者さんになりたいです。病気のお父さんたち全員が、治療を受けて、治って、それぞれの子供と一緒にいられるように・・・。」

 

アリア
「ユカ(小松由佳さんのこと―注)・・本当にここの生活は快適じゃないわ。
 夫は脊椎版ヘルニアを患っていて、あまり働けずにいるし、私もあまり体の調子が良くないのに、きつい仕事をこなさなければならないし。

 シリアでの生活は、もう素晴らしく美しかったわ!(砂漠でベドウィンとして暮らしている)家族がとても恋しいわ。
 ここでの生活は苦しいことばかり。
 夫は牛から乳を絞り、私はそこからヨーグルトを作って売っているの。

 シリアで戦争が始まる前、私たちは幸せな生活を送っていたの。家を2軒、車も2台持っていたのよ。私たち夫婦の夢は、子供たちにきれいな服を買ってあげて、最良の学校で教育を受けさせて、豊かな生活を送ることだった。でも戦争が起きて、その夢は失われてしまった。

 子供たちは朝5時に起きて準備をして、6時に家を出るの。そうして7時に学校に着くのよ。家の近くから発車するスクールバスもあるんだけど、代金が払えないの。すごく高価なのよ。子供一人当たり、月に500リラ(日本円で約4000円)よ。とても払えないわ。雨にびしょびしょに濡れながら、子供たちが学校から帰ってくることもたくさんあるの。

 娘は、インターネットがないとできない宿題があるのに、家にはインターネットが無いの。何故うちにはインターネットがないの、と娘は私を責めるのよ。
 私たちの家計はとても苦しい。」

 

ダリア・ハーリッド(35歳の女性)
「私にはファーティマという娘がいます。彼女には、生まれつき手足がありません。
(おそらく)その原因は、2017年に起こった(イドリブ県ハーン・シェイフーンでの)化学兵器の攻撃によるものです。
 化学兵器が使われたとき、私はそこで刺激臭を嗅ぎました。その後、(私のように)そこで化学兵器による攻撃を経験した多くの妊婦が、流産したり、奇形の赤ちゃんを出産しました。

 私の夫が(シリアで戦闘に巻き込まれて)負傷してから、私たちはトルコに行くことに決めました。夫とファティーマが治療を受けるためです。
 夫は脊髄を損傷し、体が麻痺していました。治療を受け、娘のファティーマの障がいが改善されるようトルコに来ましたが、残念ながらそれはかないませんでした。

 私たちは(家賃が安い)古い倉庫に住んでいます。私や子供たち、障害がある夫を支援してくれる人は誰もいません。ここでの私たちの状況は本当に悲惨です。

 夫は身体が不自由で、娘には障がいがあります。そして長男はまだ7歳です。
 私はいつも家族の世話をしなければならず、外に働きに出ることができません。」

 

アブドゥルバセット
「お母さんと兄弟と僕は、バルコニーに座って昼食を食べていて、お父さんとお兄さんは地下の倉庫にいました。
 突然、ヘリコプターが飛んできて、樽爆弾を落とし始めました。お父さんはみんなに、「早く家の中に避難して」と言いました。ところが投下された樽爆弾がドアの前で爆発して、お母さんと妹が亡くなってしまいました。
 僕の両足も切断され、姉の夫は体に麻痺が残るようになり、妹は手と足を骨折しました。姉は体のいたるところに傷がつきました。

 お母さんは僕たちのためにおいしい料理を作ってくれて、家族でよく旅行に出かけました。お母さんは僕が寒くないように、(寝ているときに)いつも僕に布団をかけてくれました。僕や兄弟たちみんなをとても愛してくれました。
 お母さんが亡くなってかtら、僕はすべてを失ったように思います。人生で最も大切なものを失いました。魂を失いました。
 お母さんが亡くなって、僕は自分のことを自分でやらなければいけません。
 いつも神に感謝しています。」


(発言は抜粋。小松由佳さんの許可を得て、ここに紹介した)

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会場で配られた「音声ガイド資料」。難民たちの語りが日本語と英語に翻訳されている

 私がため息まじりに「つらく重い話ばかりですね・・」と言うと、「悲惨な境遇の難民をことさら選んだわけではないのですよ」と小松さん。マスとしての難民のイメージからは分からない、リアルな等身大の難民の姿に近づけた。

 静止画である写真は、観る人の想像力でイメージを広げていくメディアだ。想像のとっかかりになるのがキャプションだが、音声情報を写真にのせるのは、想像を深くし、独特の効果をもたらすように思われた。
 由佳さんは動画にも挑戦している。動画の情報量は写真に比べて圧倒的に多いが、想像力に任せる部分は少なくなる。

 今回のような写真と音声のコラボは、写真の新たな可能性を開くかもしれない。

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この日は特別に、難民とはどういう存在かについてのトークがあった

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語っているのは由佳さんの夫、ラドワンさん、その右がラドワンさんの甥のムハンマドさん

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左から由佳さん、ラドワンさん、ムハンマドさん

 写真というメディアの可能性というと、尊敬する写真家、鬼海弘雄さんの言葉がよみがえってくる。

鬼海弘雄さんが語る「写真の可能性」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記 (hatenablog.jp)

ネット上の誹謗中傷と既存メディア

 ツイッターの匿名アカウント「Dappi」の「ウソ投稿」で名誉を傷つけられたとして、立憲民主党参院議員2人が、損害賠償を求めWeb関連会社を提訴した。

 以下は13日、テレ朝の「モーニングショー」が報じた内容。
《「野党がギャーギャー」「屑(くず)中の屑」。Dappiには野党議員を激しく攻撃する書き込みがある。昨年10月には、森友学園問題に関連して、公文書の改ざんを命じられ自殺した近畿財務局の職員に関連して、「近財職員は杉尾秀哉や小西洋之が1時間吊るしあげた翌日に自殺」との投稿を載せた。

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立憲の杉尾秀哉議員(左)と小西洋之議員が会見

 (略)杉尾議員「こうしたフェイクニュースがネット空間で横行している。これに対して、きちっと警鐘を鳴らさなければならない」。

 このWeb関連会社は、自民党から年間80万円の業務を受注していた。同党の東京支部連合会は、「講演の文字起こしを依頼している。Dappiの存在は報道で初めて知った」。同社は、2001年に創業、従業員は17人。

 Dappiのツイッターには、「日本が大好きです。偏向報道するマスコミは嫌いです。国会中継を見てます」。17万人以上のフォロワーがいる。「立憲共産党はいつもそう。批判ばかりで建設的議論をする気ない」「左派マスコミの印象操作が悪影響を与えたケースは枚挙に暇がない」。野党やマスコミを批判・中傷した記事やコメントを紹介する投稿が目立つ。野党幹部を名指しして「屑中の屑」と非難する一方で、政府与党に対しては、「よくぞ国会で言った」「まさに国民のために働いた総理」などと賛美する投稿が多い。(後略)》
https://www.j-cast.com/tv/2021/12/13426934.html?p=all

 以下が問題になったDappiの投稿だ。これはひどいな。

 

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 Dappiの正体と政治党派とのつながり、金銭の授受などを徹底究明してもらいたい。

 

 Dappiにかぎらず、フェイクニュースや自殺にまで追い込む人格攻撃など、ネットでの匿名投稿が問題になっているが、ネットの誹謗中傷・炎上について、作家・監督の森達也氏がこんな指摘をしている。

 「そもそもこういう状況は日本だけなんですよ。海外ではこんなにネットが炎上しません。韓国とか中国は一時そういう時期があったけど、今、全然してないんです。
 理由は明らかです。総務省が2年前に発表したデータによると、ツイッター匿名率世界比較で、日本は匿名率が圧倒的に高い。75.1%です。アメリカ35.7%でイギリスは31,0%。ほぼ独走状態。匿名だからこそ平気で人を罵倒できるし、追い詰めることができる。匿名性の高さを言い換えれば集団性の高さだと思うけれど、この現実を考慮しないならば、日本のネットのリテラシーも育たないし、既成メディアもずっとネットに委縮し続けることになってしまう。

 韓国も一時、ひどかったんです。SNSで誹謗中傷を受けた映画女優とか何人か自殺した。あの時に韓国は、実名制などを一時は導入しただけでなく、ツイッターユーザーも匿名をやめて名前を出そうとする動きを見せた。現在の韓国の匿名率は31.5%です。ネット上の誹謗中傷を厳罰化するという議論の前に、日本のこの匿名性との親和性の高さについて、考えなきゃいけないんじゃないかな、と思います。」(『創』11月号「岐路に立たされたジャーナリズムの危機的現実」より)

 

 今の日本人は、人前で意見をはっきり言うことをいやがる傾向にあるようだ。私も経験があるが、カメラを持ってごく普通の街頭インタビューをするさいでも、応じる人が非常に少ない。応じてくれても、「顔はモザイクかけてミッキーマウスみたいな声にして」などと注文する人がいる。外国から日本に来た人は、テレビを見てモザイクの多さに驚く。異常だという。こういうことも、森氏のいう「匿名性との親和性の高さ」と関係しているのかもしれない。

 人前では何も言わずに、陰で匿名でコソコソ言う。これなら責任を取らないですむ。これでは民主主義的な言論に相応しくない。

 一方、ネットが普及した今、既存メディアこそ自らの果たす負の役割を直視せよという意見がある。以下、「山口真一のメディア私評」(『朝日新聞』12月10日)より。

 眞子さんの結婚をめぐる激しいバッシングの経緯を点検すると、はじまりは小室家の金銭トラブルをある雑誌がスクープしたことで、テレビの情報番組が続き、ネットの炎上につながっていった。

 ここで起きたのが既存メディアとネットとの「共振現象」だ。ネット上の批判的な声を踏まえて既存メディアがネガティブな報道をし、それを知った人がまたネットに投稿し―と繰り返すことで相乗効果が起きる。ネットの炎上に既存メディアが加担するのである。プロレスラーの木村花さんが命を絶った事件も、テレビの人気番組がきっかけとなってネットで攻撃があふれた。

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ネット上で激しい非難・誹謗中傷が巻き起こった

 

 SNS上で最も拡散しやすいのは「怒り」の感情を伴う投稿だという。「インターネットが登場する前から、既存メディアは批判を煽れば視聴率や購買部数に繋がることを知っていて、商業的な手法として多用してきた。しかし、もう意識を変えなければいけない。インターネットの普及した現代では、その手法はかつて以上に大きな悲劇を生むからだ」。

 そして、山口氏は既存メディアに対してこう注文をつける。「重要なのは、自身の高すぎる影響力を認識したうえで、個人への批判的感情を過剰に煽るのをやめることだ。文字だろうと、映像だろうと、報道や論評に先にいるのは一人の人間であることを忘れてはいけない」。

 たしかにそうだなと思う、ネットの時代、既存メディアは「公共性」という重要な役割をいっそう自覚する必要がある。

『彼は早稲田で死んだ』を読んで

 昨日12日の『産経新聞』読書欄に樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』(文芸春秋)の書評を寄稿した。

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13日の「産経新聞

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 この本を読んで、あらためて半世紀前の川口君事件とその後の運動の記憶をたどった。

 私が早稲田大学に入学したのは1972年(昭和47年)。11月8日、第一文学部(一文)の2年生、川口大三郎君が「革マル派」(日本共産主義者同盟・革命的マルクス主義派)に集団リンチを受けて虐殺された。

 早大革マル派の拠点で、学生自治会早稲田祭を牛耳ることで莫大な資金を吸い上げていた。第一文学部(4500人)と第二文学部(2000人)は毎年一人1400円の自治会費を学生たちから授業料に上乗せして「代行徴収」し、革マル派に渡していた。これだけで900万円超になる。

 早稲田を支配するため革マルは日常的に「敵」とみなす学生や教員にキャンパス内で暴行し、登校できない学生も多かった。実は川口君事件の前にも、登校できなくなった学生、山村政明さんが文学部キャンパスの隣の穴八幡神社境内で焼身自殺している。
早大を暴力が支配した時代 - 高世仁の「諸悪莫作」日記 (hatenablog.jp)

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11月9日毎日新聞夕刊。これが第一報で、メディアもこのときは「内ゲバ」として扱った

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11月9日の朝刊一面。川口君が殺された8日、私は、ベトナムに戦車を送るな!とこのデモに参加していた。

 革マルは川口君を「中核派のスパイ」だとしたが、実際は政治党派に属さない「普通の」学生だった。しかも川口君は、文学部自治会の部屋で殺されていたことが判明、私たち学生はこれに怒り、立ち上がった。川口君事件後の数か月は学生の「蜂起」だった。たぶん前にも後にも、少なくとも早稲田大学で、あれほど大衆的な激しい改革運動はなかっただろう。ほんとうに多くの学生が立ち上がった。

 

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11日夕刊。「一般学生、詰め寄る」。写真キャプションは「リンチ殺人事件で革マル派学生に抗議、論争する一般学生」。周りを多くの学生が取り巻いているのがわかる

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11月12日朝刊。この写真のキャプション「ヘル姿の革マル派学生をとり囲む一般学生たち」とある通り、私たち学生は、数と迫力で革マルを圧倒した

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14日付け毎日。連日大集会が開かれた。

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18日付け毎日。写真は、川口君学生葬で「学生のバ声をあびながら川口君の母、サトさんの前に立ち、黙ってうなだれる田中第一文学部自治会委員長」

 当時の私の日記には、級友たちと討論して事件に抗議するクラス決議をあげ、ビラに刷って配り、「暴力反対」を叫びながら自然発生的にデモ行進したことなどが書いてある。まさに「蜂起」という言葉にふさわしい盛り上がりだった。私の書いたクラス決議が毎日新聞の写真に写っていたなどとも書いてあったので、図書館で探したら、あった。(下の写真)

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大隈像の下に私の書いた1年26Rのクラス決議の立て看板がある。私はロシア語が第一選択のR組で第二選択の26組と合同クラスだった。隣の立て看板はスペイン語クラスの27S。多くのクラスで暴力を糾弾する決議が上がった。(17日付け毎日新聞

 革マル派をリコールして新しい執行部を選ぶ学生大会が学部ごとに次々に開かれた。「革マル派」は全国動員をかけて阻止しようとしたが、我々学生たちが人数で圧倒し、素手スクラムを組んではねかえした。

 革マルが「インターナショナル」を歌うのに対して、私たちは早大の校歌「都の西北」を歌って団結を固めた。

 

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11月14日の夕刊。学生たちが徹夜集会で革マルを追求していたら、当局は機動隊に要請して革マルを救い出した。

 学生たちの怒りは革マルだけでなく大学当局にも向かった。当局は革マルの暴力に目をつぶり、事実上容認してきたからだ。また、私たち学生から徹夜で追及を受けていた革マルを当局は機動隊を入れて助けた。

 大学当局と革マルは裏でつながっているのでは、と多くの学生が思うほど、その癒着ぶりはひどかった。

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15日付け毎日。早大の村井総長がインタビューで、「派閥抗争」つまり内ゲバにすぎないとの見方を示し、「一種のケンカだ」とまで言っている。「いやあ、困ったものです」とでも言いたげな、無責任極まる発言を連発。今回記事を読んで怒りが再燃した。

 各地の小中学校でいじめで自殺に追い込まれる児童・生徒が相次いでいるが、「いじめはなかった」と見て見ぬふりをする学校や教育委員会が、当時の早大当局に二重写しになる。また、水俣病が確認されたあとの国や県の患者無視の姿勢にも通じるかもしれない。

 早稲田大学革マル派との腐れ縁を絶ったのは、川口君の死から25年も経った1997年になってからだった。

 学生たちの運動の先頭に立ったのが、私と同じ1年生の樋田毅さんだった。小柄で当時はヒゲをたくわえていた彼のアジ演説は「聞かせた」。左翼党派の政治用語は使わずに、分かりやすい言葉でじゅんじゅんとしかも熱く語りかける。「ヒゲの委員長」としてカリスマ的な人気があり、革マル派自治会を次々にリコールする運動の中心になった。

 私は樋田さんと共通の友人がいたので、学部は違うが、一晩飲んで語り合ったことがあった。当時は、革マルの「エネミーナンバーワン」として狙われるなか、みんなの期待をかけられて大変だったろうな。

 私も革マルの暴力と闘っていたが、民青系自治会のある法学部だったので革マルの暴力を受けたことはない。(一度だけ、一般学生と革マルとの小競り合いのとき、足で蹴られたが)

 暴力追放の運動の盛り上がりを、革マル派は暴力でつぶしにかかった。運動の主要メンバーが次々に暴力により負傷し脱落していく現実に、暴力には暴力で対抗すべしとの主張が次第に支持を広げ、あくまで非暴力を貫こうとする樋田さんを追い詰める。敵の暴力から身を守るには「正しい暴力」が必要だとする主張が現れるのは、多くの非暴力による抵抗運動に共通する「生理」だろう。

 運動が分裂しかかるなか、樋田さん自身が革マル派に襲われ、鉄パイプで重傷を負う。心身ともに傷つきながら、樋田さんは闘いの場から退場し、運動は挫折した。
 私にも大きな敗北感が残り、あの運動を振り返ることをためらわせていたが、本書ではじめて当時を俯瞰できた。そして、現代のさまざまな課題に共通する普遍的な意味を見出せたような気がする。

 この本を読んでいると、当時の樋田さんや私を含む学生たちが、私が取材したことのある香港やミャンマーで暴力に立ち向かった若者たちと重なってくる。

 樋田さんは本書を、「不寛容に対して私たちはどう寛容で闘い得るのか」半世紀を経た今も考え続けていると締めくくっている。理性と非暴力がいかにしてむき出しの暴力を克服できるのか。これはいま世界に問われている課題でもある。

岸田内閣で拉致問題の進展はあるのか5

 言論を守るため権力と対峙するジャーナリスト、フィリピンのマリア・レッサ氏(58)とロシアのドミトリー・ムラトフ氏(60)へのノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェーの首都オスロで開かれた。ムラトフ氏は「われわれは独裁権力への対抗手段だ」と演説。レッサ氏は弾圧下でも事実を追求する決意を表明した。(毎日新聞

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ムラトフ氏。ロシアでは権力に逆って多くのジャーナリストが命を失っている(NHKニュース)

 世界各地で報道の自由がどんどん狭められている。

 中国武漢で初の新型コロナ感染者が確認されてから2年がたつが、あらためて当時の報道に対する弾圧が問題だ。現地の状況を発信し続けた市民ジャーナリストの張展さんが逮捕され実刑判決を受けたのだ。

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NHKニュースより

 武漢でコロナの取材をしていた少なくとも10人が拘束されたままで、中国で現在拘束中の記者・市民ジャーナリストは少なくとも127人に上るという。
 報道の自由度では、中国は北朝鮮に次いで最下位レベルとされている。

 先日、張展さんへの弾圧でアメリカが抗議した。

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NHKニュースより

 一人のジャーナリストへの弾圧に対しても名前を挙げてしっかり批判し、釈放を要求している。日本政府も「民主主義サミット」で人権をうんぬんするなら少しは見習ってほしい。
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 昨日11日、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)は臨時総会を開き、拉致被害者田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さん(83)が体調不良のため代表を退任し、横田めぐみさんの弟拓也さん(53)が後任に就くことを決めた。新しい事務局長には八重子さんの息子の飯塚耕一郎さん(44)が就いた。

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退任した飯塚繁雄さん。何度も取材させてもらい多くの思い出がある(テレ朝ニュースより)

 拉致問題が進展しないまま、とうとう代表まで世代を超えてしまう。とてもつらい。

    退任する飯塚繁雄さんは体調不良とのことだが、早く回復されることをお祈りします。

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 前回のつづき。

 田中実さん、金田龍光さんの生存情報を含む北朝鮮からの「中間報告」をなぜ日本政府は受けとらず、情報の存在自体を隠すのか。

 「特定失踪者問題調査会」の荒木和博さんは自身のブログでこう書いている。

《(前略)北朝鮮ストックホルム合意以来(あるいはその前から)、リストを何度も出してきました。そこには田中さんも金田さんも入っていました。しかし、状況証拠から推論すれば、言い方は悪いですが横田めぐみさんや有本恵子さんら「目玉商品」がなかったために、なかったことにしているとしか思えません。北朝鮮側からすればそういう人たちを返せば日本の世論がどうなるか分からない。平成14年(2002)と同様逆に火を付けてしまうのではないかという恐怖感があります。だから自分から言ったと言える田中さんや金田さんたちで終わりにしたい。

 一方日本政府も、例えば金田さんがいたと認めれば警察断定(在日なので現行法では拉致認定の対象にならない)しなければならず、そうすればマスコミからは「何度も情報が出ていたのになぜ認めなかったのか」と詰め寄られます。それよりは知らん顔をしていた方が良いということだと思います。被害者のことを考えていないという意味では日本政府も同じようなものだ、と言ったら言い過ぎでしょうか。(後略)】
http://araki.way-nifty.com/araki/2019/02/news292831215-2.html

 日本政府が中間報告を受け取らないのは、この2人の情報では「点数が稼げない」からだろう。田中実さんは政府認定の被害者だが、家族会に参加する親族がいないし知名度も低い。横田めぐみさんや有本恵子さん、田口八重子さんなど家族ともども名が知られた中心的な拉致被害者の生存情報でなければ、家族会も世論も納得しないだろうと判断したと思われる。

 有田芳生参院議員は、去年10月26日の質問でこのあたりを直截に突っ込んでいる。

《政府は帰国していない十二人の政府認定拉致被害者に序列をつけているのですか。ありていにいえば横田めぐみさんや有本恵子さんたちの生存と帰国のめどが立たないうちは、田中実さん、金田龍光さんの生存確認はしないということですか。拉致問題解決への道筋のなかでの田中実さん、金田龍光さん個人の位置づけについて明確にお答えください。》
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/203/syuh/s203002.htm

 これにも政府はまともに答えていないが、こうした姿勢のままでは、打開の道が見えてくるはずがない。

 もちろん、拉致は北朝鮮の国家事業であって、拉致被害者はすべて把握されており、いまさら「調査」などする必要はない。しかし、ストックホルム合意」で北朝鮮に「調査」を約束させたのは、拉致は「完全に解決された」と言い張る北朝鮮に、「調査したら、実は拉致された人がもっといました」と言わせるための方便だ。だから、北朝鮮が、調査したらもう二人いましたと回答してきたのは一つの「前進」と見なければならない。はじめから100%の回答を北朝鮮がするわけはない。そんなことは分かり切ったことだ。

 「中間報告」を受け取ったうえで、その不十分点をつき、さらなる「調査」を要請するなどの形で交渉をつなぐ中からさらなる展開を作っていく。それを怠ったために、今のように北朝鮮とのパイプが完全に「切れた」状況に陥っているのではないか。

 岸田内閣が拉致問題を進展させるには、まず、安倍内閣のこの大きな「失策」を転換する道を示さなければならない。

 さらに言えば、安倍内閣が制裁一辺倒の強硬路線から突如、「無条件で日朝首脳会談を」へと揺れる、無原則な対北朝鮮外交を繰り広げる背景には、家族会、救う会との不正常な関係があると思われるが、これはまたの機会に書こう。