日本に裸婦像が乱立したわけ1

 テレビはスポーツ一色である。陸上世界選手権競歩で初の金メダル、女子バスケアジアカップ4連覇そしてラグビーワールドカップアイルランドに勝利・・・そのたびに「ニッポンすごい!」とスタジオが大盛り上がり。喜ばないと非国民扱いされそうだ。ちょっと異常じゃないか。
 そもそもスクラムを組むのはなぜか、ラグビーの基本のルールも知らないのに「すごい」と騒ぐかみさんに、「愚民化政策にのせられないように」などと嫌味を言ってはうるさがられている。
 明日から導入の消費税にしても、いつもながらの「これでお父さんのお小遣いが減るのではと・・」とか「かけこみでトイレットペーパーを両手で抱えた主婦が・・」みたいな小市民的な情景描写ニュースばかり。

    税はどうあるべきか、もっと鋭い切込みができないのか。山本太郎の消費税廃止の主張に惹かれる今日この頃。消費増税はうちのような零細企業に相当なダメージを与えるに違いない。今月末の超厳しい資金繰りで憔悴したせいか、不満が噴き出てしまう。
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 なぜ裸婦像がいろんなところに建っているのか、昔から不思議でならなかった。子供心に、こういう「いやらしい」ものをみんなに見せていいのか、とも感じていた。
 しかし、裸婦像を前に、中学校の美術の先生から「恥ずかしがってはダメだ。芸術なんだから正面からちゃんと見なさい」と言われた。芸術とは常識と違うものなんだなと無理に納得しようとしたが、違和感は消えなかった。
 海外に出て、その違和感は大きくなった。裸婦像がこんなに多いのは日本だけではないのか。
 だいたい裸婦像に、「自由の旋律」とか「希望の空へ」などと抽象的なタイトルをつけて図書館や公民館などの公共施設にドーンと飾ってあるのは、いったいどういうわけなのか。
 この長年の疑問を解いてくれたのは、いま開催中の国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」だ。といっても、私が観に行ったわけではなく、トリエンナーレに関する新聞記事による。
 「彫刻家の小田原のどかさん(33)は、日本に乱立する裸婦像に関する『事実』を作品化する。『私も持つ女性の裸体が利用された、という告発の作品です』」
 取り上げたのは、東京都千代田区三宅坂小公園.にある《平和の群像》。

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 これこそが、日本の公共空間における女性ヌード像の第一号であるという。そして、この像は日本の戦後のイデオロギー的転換を具現化したものだった。
 「三美神を意識した3人の女性の裸像だが、戦前は同じ台座の上に、軍人の騎馬像が建っていた(三宅坂一帯は帝国陸軍の拠点だった)。《寺内元帥騎馬像》は戦時中の金属回収によって撤去されたが、戦後、残された台座を再利用して設置されたのが《平和の群像》である」

 小田原のどかさんは、「三つの裸婦像『平和の群像』は、台座が大きすぎてアンバランスと思っていた。(略)戦中の金属供出でなくなった陸軍大将の台座を再利用したものとわかった。旧陸軍の参謀本部があり、軍国主義の象徴だった三宅坂に残った空の台座に『新しい日本』の平和の象徴として、女性の裸を『安易に載せた』と怒りを感じたという。

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たしかに台座がちょっと大きい。台座のすぐ右に国会議事堂が見える

 国立国会図書館にある連合軍司令部(GHQ)の報告書には、空の台座は平和的シンボルで埋めるべきだと記されていることもわかった。小田原さんは『反省もなく裸婦像を作って宣伝した』この場所から全国の公園などに裸婦像が広まったとみる。『彫刻は長期間残る人工物。その場所の歴史や文脈を考える視点を持たないと』」(朝日新聞7月30日夕刊)

 要は、GHOが日本を「平和国家」に転換すべく、軍事色を一掃しようとした方針への迎合が、平和のシンボルとしての裸婦像の乱立(しかも公共空間における)となって現れたという解釈だ。
 国会図書館に行ったついでに三宅坂小公園に行ってみた。

 おお、これが日本に裸婦像が広まった第一号か。私の昔からの違和感は間違っていなかったらしい。
 スマホで写真を撮りながら像の裏側に回ると・・・・そこには意外なものがあった。
(つづく)

かんぽ報道でNHKに圧力

 大きな政治スキャンダルが二つ発覚した。

 まず、毎日新聞がスクープしたかんぽ生命とNHKを巡る問題。
NHKの自律揺るがす 経営委「統治」口実に かんぽ報道、異例の注意》9月26日
 「かんぽ生命保険の不正販売問題をいち早く報道したNHKの番組を巡り、日本郵政グループが抗議や申し入れを繰り返し、NHK経営委員会が上田良一会長を厳重注意していた。個別番組への介入と受け止められかねない経営委の対応や、続編の放送を延期して番組編集の根幹である「自主自律」を揺るがした執行部の判断の是非が問われている。【NHK問題取材班】」

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毎日新聞より

NHK報道巡り異例「注意」 経営委、郵政抗議受け かんぽ不正、続編延期》
毎日新聞2019年9月26日
 「毎日新聞が入手した昨年10月23日付の文書の一部。NHK経営委員会が同日、上田良一会長を「ガバナンス体制を強化」するようになどと厳重注意したことを、日本郵政長門正貢社長ら郵政グループ3社長宛てで伝えている
 かんぽ生命保険の不正販売問題を追及したNHK番組を巡り、NHK経営委員会(委員長・石原進JR九州相談役)が昨年10月、日本郵政グループの申し入れを受け、「ガバナンス(統治)強化」などを名目に同局の上田良一会長を厳重注意していた。郵政側から繰り返し抗議を受けた同局は、続編の放送を延期し、番組のインターネット動画2本を削除した。会長への厳重注意は異例。複数の同局関係者は「経営委の厳重注意は個別番組への介入を禁じる放送法に抵触しかねない対応だ」と批判し、「郵政の抗議は取材・制作現場への圧力と感じた」と証言する。」

 NHKは1年以上前にクロ現でかんぽ生命保険の不正販売を報じていた。
2018年4月24日(火)《郵便局が保険を“押し売り”!? ~郵便局員たちの告白~》
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4121/
 この放送の後、NHKに圧力をかけて続編の放送を延期させたという。ここまで露骨なメディアへの圧力があったとは。しかも、一連のやりとりには放送行政を所管する総務省の元事務次官、鈴木康雄・日本郵政副社長もかかわっていたことも判明。政権がらみの介入と言わざるをえない。

天下りNHKにドス利かす  (徳島県 一宮一郎 朝日川柳28日)
 メディアにかかわるすべての企業、個人が声をあげ、実態をさらに追及してほしい。
 NHKは今年、クロ現でふたたびかんぽ生命の問題を検証している。 
2019年7月31日(水)《検証1年 郵便局・保険の不適切販売》
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4316/index.html
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 つづいて原発マネーが電力会社幹部20人に3億円以上も「還流」していた問題だ。

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朝日新聞27日夕刊

 《関西電力の岩根茂樹社長は27日午前、記者会見を開き、関西電力原子力発電所がある福井県高浜町の元助役から会長や社長など経営幹部や社員、合わせて20人が金品を受け取り、その総額はおよそ3億2000万円にのぼることを明らかにしました。そのうえで岩根社長は「関係者や社会の皆様に多大な心配をおかけし、深くおわび申し上げます」と陳謝しました。
 このなかで岩根社長は会長や社長などの経営幹部や社員、合わせて20人が、去年までの7年間にわたって3億2000万円相当にのぼる金品を受け取っていたことを明らかにしました。
 金品を渡していたのは関西電力原子力発電所がある福井県高浜町森山栄治元助役でした。岩根社長は森山元助役について、「地元の有力者で、さまざまにお世話になっている。金品の返還を申し出たが、厳しい態度で拒まれた。関係悪化をおそれ、返せなかった」と述べるとともにこれらの金品は一時的に受け取ったものだったと釈明しました。
 こうした金品の受領は金沢国税局の税務調査で指摘され、すでに一部もしくは全部を返還し所得税の修正申告をしたということです。
 岩根社長は「関係者や社会の皆様に多大な心配をおかけし、深くおわび申し上げます」と陳謝しました。
 森山元助役はすでに亡くなっていますが、関係者によりますと原発関連の工事を請け負う地元の建設会社から受注に絡む手数料を受け取り、この一部を関電の経営幹部に渡していたことが税務調査で判明したということです。
 岩根社長は今回の問題を受けて「私も含め、報酬の返上を行った」と述べすでに社内処分を行ったとしましたが、処分内容の詳細については「差し控える」として説明しませんでした。》(NHKニュース)
 絵に描いたような原発ムラの醜い「カネ」のスキャンダルだ。記者会見でのコメントにもまったく誠意や反省が見られない。これまで通りの原発行政を進めることに「国民の理解」が得られるはずがない。
関電のトップよ「よくもそんなこと」 (三重県 山本武夫 28日朝日川柳)

 国連本部での気候行動サミットで、スウェーデンの高校生グレタさんが世界の大人たちにHow dare youと追及したが、こういうとんでもないことへの我々の怒りを国政を変えることに結びつけなければ。

橋本昇『内戦の地に生きる』

 たまたまつけていたEテレ日曜美術館」に藤原紀香がゲストで出ていた。クリムトの特集(6月9日の再放送)で、彼女はクリムトが大好きなのだという。私はクリムトには関心がないが、藤原紀香のファンなので見入ってしまった。

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 彼女のブログにはこの番組に出演したことがこう書かれてある。
 《大好きなクリムトと、シーレを、時代背景から掘り下げている番組でした
プロデューサーさん方から、衣装はクリムトの世界観で、とお話がありましたので
TAE ASHIDAの このドレスを選びました
明日の放送、ぜひご覧ください 》
 ドレスもクリムトずくめなのか。けっこうこだわりの人なのである。それしても、もう48歳というのに、この艶やかさはどうだ。
 しかし、彼女、女性に嫌われる女では常にランキング上位に入る。私の周囲の女性(娘や妻を含む)にも受けがよくないので、大っぴらに褒めたりできないのがつらいところだ。苦労した過去があり努力の人で勉強家なんだが・・。好かれる人、嫌われる人はどこが違うのか、考えてしまう。
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 写真家の橋本昇さんから今春発行の著書『内戦の地に生きる―フォトグラファーが見た「いのち」』(岩波ジュニア文庫)をいただいた。
 橋本さんとは、10年ほど前、写真家仲間の年末の忘年会で知り合った。私とほぼ同年という気安さもあって飲んでは激論を交わしたりする間柄だが、彼の過去の仕事についてはよくは知らなかった。
 この本を読んで、橋本さんが紛争地を含む大きな国際ニュースの現場に立ってきた一線級のジャーナリストだと知った。橋下さんはこの本を日本の若者へのメッセージとして書いたという。

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 本の目次には世界の紛争地が並ぶ。
 ソマリア 1992年
 ボスニア・ヘルツェゴビナ 1994年
 南アフリカ 1994年
 ルワンダ 1994年
 シエラレオネリベリア 1996年
 アフガニスタン 2001年
 パレスチナ 2002年
 南スーダン 2003年
 カンボジア 2006年
 飯舘村 2011年~

 最後が飯舘村というのがおもしろい。ここ日本にも「戦い」の現場があることに気づかされる。

 橋下さんは、ベトナム戦争を取材した団塊の世代の次の世代である。そしてこの世代の日本人で、彼ほど長く、そして多くの国際ニュースの現場を踏んだフォトグラファーは珍しいだろう。他には遠藤正雄さん、長倉洋海さんくらいしか思いつかない。

 本を開いてみる。陰影を効果的に使った写真が印象に残る。本格派の報道写真である。

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1994年 南スーダン

 かくも多くの悲惨が起きるこの人間の世界に絶望したくなるが、橋本さんは状況に入れ込みすぎず、写真家として冷静に観察している。一方で、あまりの悲惨さに、揺れる取材者の気持ちもそのまま吐露されている。

 1992年のソマリア、街の通りに何人も死体がころがる極限の飢餓が襲っていた。

 《男の子が虚ろな眼でこちらを見た。カメラを構えて男の子にレンズを向けシャッターを切った。男の子の目がレンズの先を追う。その間、ずっと体が震えているのを感じていた。ここまでの飢餓の現実を目の当たりにするのは初めてだった。

 どうして自分はここにいるのか?自分の健康な体を恥ずかしいとも感じた。写真を撮るということで正当化している自分の存在。何十年の人生まで問われているように心が揺れ、心の中で何かが激しく交差した。》(P18) 

    橋本さんは多くの場所で飢餓を取材しているが、2003年の南スーダンの記述はとくに印象に残る。そのなかで橋本さんは日本の飽食に思いを寄せる。

 《町中に所狭しと溢れる食べ物屋、24時間営業のコンビニ、毎日これでもかとグルメ情報が流れてくるテレビ、今や、我々にとって「食」は飢えを満たすだけのものではなく、「美味いもの」「便利なもの」を提供するという一大産業となった。》

 そして、その便利さ、豊かさの陰で一年間に1900万トンもの食品―世界の7000万人が1年間食べていける量―が捨てられているという現実に考え込む。
 人びとが命をつなぐWFPの配給を取材したあと、橋本さんはある少女と出会う。

 《少し離れた所で誰もいなくなった地面に、一人の少女が座り込んで地面にこぼれ落ちた米を拾っていた。こぼれ飛んで土に混じった米を小さな箒で集めては、手のひらに乗せ、指先で一粒一粒摘んで木のお椀に入れている。

 たった一人で無心に米を拾い集めるその姿を見た時、すべての事がストンと腑に落ちた気がした。いつの間にか忘れてしまっていた米の一粒に一粒に“命”を見るということ。“食べる”ということは“生きる”ということなのだ。

 その時、腹を満たした末に思案していた“清貧”という言葉などはこっぱみじんに大地に吹く熱い風に吹き飛ばされていった。そして、“生きている”ということへのシンプルな感動が心の奥から湧き起こってきた。それは一人の少女が教えてくれた命への感動だった。》

 橋下さんの本は、感じたままの飾りのない率直な筆致で書かれており、とても読みやすい。
 本を書くきっかけになったのは、ある日、所属していた通信社のパリ本社から現像されたポジフィルムが入った大きな段ボール箱がたくさん届いたことだったという。今やデジタルの時代で、送られてきたのはデジタル処理された後の役目を終えたフィルムだった。それを手に取った橋本さんには、シャッターを切ったときの光景、音や臭いまでがまざまざと蘇った。
 「はじめに」で橋本さんは本のモチーフについてこう書いている。
 《苦悩、悲しみ、怒り、祈り、そして愛や憎しみ。紛争の現場、飢餓の現場から、人々は生きる事の意味を問いかけていた。
 フォトグラファーとして見てきた様々な光景。アフリカのどこまでも続く赤い大地、そこに突如現れる動物達、カンボジアの青々と広がる水田に憩うアヒルや水牛、アフガニスタンへと続く荒野にくるくると巻き起こるつむじ風・・・。そんな光景に出合うたびに、この奇跡の星地球の、私達をとりまく世界は「詩」なのだなぁと感じていた。
 そしてこの長い地球の歴史の中で、私達は皆、遠くの星の瞬きのような、ほんの一瞬の時間を生きているに過ぎないのだと思いながらシャッターを切っていた。取材現場で出会った人々から受け取ったのは、そんな私達への一人一人の“命の詩”だったと思う。》
 その詩を紹介しながら、ジュニア新書の読者である若い人々に、こんな問いを投げかけている。
 「人間の一生もまた一篇の詩だとしたら、あなたはどんな詩を書きますか」

 海外の出来事に関心が持ちにくいと言われる今の若い人に読んでほしい一冊である。

 

 よくこれだけたくさんの現場に行けましたね、と感心すると、「それは俺がシグマ(写真通信社、現在はGetty Images)に所属していてアサインメント(仕事の指示)があったから。自分ではとても行けないよ、経費がすごくかかるし」と橋本さんはいう。
 ここが今の紛争地ジャーナリストと決定的に違うところだ。私の周りの紛争地ジャーナリストたちはフリーで、トラック運転手などのバイトで資金を作っては取材に使う。ジャーナリストが、お金を得る手段としての「職業」にはなっていない。
 いま通信社に所属することは非常に狭き門になっているから、この状態は続くだろう。取材をお金にする仕組みがなければ、報道を持続可能な活動にはできない。

 紛争地を取材してきたフリージャーナリストの遠藤正雄さんは「紛争地に行くと、各国のメディアが来てるのに、日本人がいないんですよ。恥ずかしいですよ」と嘆いている。https://takase.hatenablog.jp/entry/20150218
 いまや紛争地を取材するフリーランス絶滅危惧種である。

 日本のジャーナリズムの先細りをどうすればよいのか。橋下さんの本のページを繰りながら、そんなことも考えた。

東電旧経営陣への無罪判決によせて2

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 きのうの夕方、おつかいで駅前に行ったら夕焼けで空が赤く染まっていた。天変地異が起きるのではと思うほど強烈な色合いで、多くの通行人がスマホをかざしている。台風17号はもう大丈夫なのか。
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 鉄道のフェンス沿いに鮮やかな黄色。マツヨイグサ(たぶんオオマツヨイグサ)だ。花は夕方に開くので「宵待ち草」や「月見草」とも呼ばれる。これは朝出勤のときに見た花がしぼんだ状態。北アメリカ原産で明治期に帰化し、野生化したらしい。アスファルトのすきまから元気に育っている。
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 東電の旧経営陣3人に対する無罪判決についての続き。

 裁判の過程で、東電の担当者も、国の長期評価(今後30年内にマグニチュード8前後の地震福島県沖を含む三陸沖北部から房総沖の間で起きる確率は20%程度)を否定することはかなり難しいと考えていたことも明らかになった。
 無罪判決を妥当とする読売新聞の社説でさえこう書いている。
 《ただ、刑事責任が認定されなかったにせよ、原発事故が引き起こした結果は重大だ。想定外の大災害だったとはいえ、東電の安全対策が十分だったとは言い難い。
 2年3か月にわたる公判では、東電の原発担当者や地震学者ら20人以上が出廷した。津波対策が必要だと考えていた、と証言した部下もいた。危機感が共有されず、組織として迅速な対応が取れなかった実態が浮かび上がった。
 強制起訴によって裁判が行われることになり、公開の法廷で、原発の安全対策に対する経営陣と現場との認識のギャップが明らかになった意義は小さくない。》
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190920-OYT1T50032/

 ところで、2017年3月には、民事裁判で津波の「予見可能性」を認める判決が出ている。
 《東京電力福島第一原発事故群馬県内に避難した住民ら45世帯137人が、国と東電に総額約15億円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。原道子裁判長は、国と東電はともに津波を予見できたと指摘。事故は防げたのに対策を怠ったと認め、62人に計3855万円を支払うよう命じた。》
https://www.asahi.com/articles/DA3S12847301.html
 刑事裁判では民事と違って、企業などの「法人」は当事者にはなれず、自然人しか裁けない。今回のように同じ東電内でも危機感の持ち方などで大きな差がある場合、個人の責任をどう判断するのかは難しい。
 私は、今回の判決が、政府の原子力行政を前提にしたバランスを欠いたものであると思うが、同時に日本の現行の刑事裁判が自然人しか対象にできないという問題を何とかすべきだとの以下の信濃毎日の社説に同意する。
 《今回の裁判は、東京地検の不起訴処分を受け、検察審査会で強制起訴が決まった。原発事業者に高い注意義務を求める市民感覚の表れといえるだろう。深刻な被害を出した事故の刑事責任をだれも負わないことは、ほかの原発事業者や経営陣に甘えも生みかねない。
 刑法は個人に処罰を科す。今回の判決は、組織の決定に対する個人の責任を問うことの難しさを改めて浮き彫りにした。企業や法人に対する組織罰の導入を検討しなければならない。》https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190920/KT190919ETI090005000.php

    2005年のJR福知山線で列車の脱線事故が発生、107人が亡くなるという大惨事になった。刑事裁判では、JR西日本の元社長が起訴されたが無罪となり、強制起訴された歴代3社長も無罪となっている。誰にも刑事罰が科せられずにいるのは納得できないだろう。こうした大事故では同様の問題がつねに生じている。

 

 TBS「報道特集」では、飯舘村の期間困難区域である長泥行政区被災地ですすむ「復興事業」も紹介された。国の費用で除染・インフラを整備する代わりに、汚染土を埋め立て、その上に普通の土を盛り、試験農業をやる再生事業プロジェクト進められている。
 鴫原(しぎはら)良友区長が苦しげな表情も見せつつ、「(原発事故から)8年くらいになるので、ある程度は覚悟というか、心に妥協がある。再生事業は夢も希望もるが、どんなふうに変るのか、不安も正直少しある」と言う。

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 汚染土の再利用については以前書いたが、長泥の人々にとって苦渋の決断だった。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20180311
 時間もたつので、不安もあるが妥協しながらでもやれることをやるしかないということだろう。この事業は住民の合意を得ていることになっているのだが、受け入れるまでには反対も葛藤もあったはずだ。そして住民の不満は区長である鴫原さんに集中したことだろう。また村、県、中央との調整などでも苦労があっただろう。


 原発事故の翌年、鴫原さんから苦しい毎日を生き抜く覚悟を聞いて感銘を受けたことを思い出す。
 《「忙しくてどうしようもない」「金がなくて困った」「仕事がうまくいかない」、こういうのが最高の幸せですよ》こう鴫原さんは言ったのだった。
https://takase.hatenablog.jp/entry/20120713

 鴫原さんは、判決については、「東電が悪いとか国が悪いとかいう問題じゃないと思う。復興に対して住民が納得できるような方向に持っていってもらいたい」と語る。

 もう前を向いて進むしかない。そんな鴫原さんの心中に思いを馳せた。

東電旧経営陣への無罪判決によせて1

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 近所の栗の実が大きくなって、雲も秋らしくなってきた。スーパーで栗が安く出ていたので手が伸びた。茹でてみよう。
 きょうはお彼岸。秋分だ。夜が長くなり、本格的な秋へと向かう。 
 23日から初候「雷乃収声」(かみなり、すなわちこえをおさむ)。雷雲(積乱雲)から秋の雲に変っていく。次候は「蟄虫坏戸」(むし、かくれてとをふさぐ)が28日から。虫たちが巣籠もりの準備にはいる。末候の「水始涸」(みず、はじめてかるる)が10月3日から。これは、田んぼから水が抜かれることだという。柿やキノコが楽しみになる。
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 政府はようやく、台風15号がもたらした被害を激甚災害と指定するという。遅すぎる。非常に強い台風で、鉄道各社が計画運休するほど要警戒だったにもかかわらず、千葉県が大変なことになっている最中、組閣に夢中になって首相は現地を訪れることもしていない。復旧の遅れへの怒りが東電社員に向けられているというが、責任は行政にある。安倍首相は、小泉進次郎環境相につづき、今日からアメリカに外遊だ。
 一方、22日午後10時現在、千葉県内ではなおも、八市町の計約2300戸で停電が続いているという。台風17号の接近にブルーシートを張り直したり現地では不安が募っているようだ。大きな被害になりませんように。
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 東電福島第一原発の事故を巡り、業務上過失致死傷罪に問われた勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の旧経営陣3人に対し、19日、東京地裁が無罪を言い渡した。
 検察は3人を不起訴にしたが、市民で構成する検察審査会の議決で強制起訴された。安全対策を怠り、東日本大震災津波による原発事故を発生させた結果、避難を強いられた入院患者を死亡させるなどした、という内容だ。
 各紙の評価は割れた。読売は社説で妥当な判決だとした。https://www.j-cast.com/2019/09/21368151.html?p=all
 《裁判のポイントは、3人が津波の発生を予見できたかどうかだった。検察官役の指定弁護士は、事故前に「最大15メートル超」の津波の可能性を指摘した試算を根拠に「対策を取るか、運転を停止していれば事故は防げた」と主張した。
 これに対し判決は、試算の基となった政府機関の地震に関する長期評価について、「専門家から疑問が示されるなど、信頼性に欠けていた」と判断した。その上で、津波発生の予見可能性を否定し、3人の無罪を導いた。
 刑事裁判で、個人の過失を認定するには、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ。刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう。
 また判決は、「自然現象についてあらゆる可能性を考慮して対策を講じることを義務づければ、不可能を強いることになる」との考え方を示した。当時の原発の安全対策に、「ゼロリスク」まで求めなかったのはうなずける。》

 これと反対に、21日のTBS報道特集はこれを原子力ムラの影響下での判決だとして厳しく批判した。

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 裁判では、東電の津波担当の社員が証言台に立ち、試算でこれまでの想定を大きく超える15.7mという高さの津波の可能性を報告したと証言。海抜10メートルの原発敷地を優に超える数字で、2008年6月、当時原子力・立地本部副本部長だった武藤氏に報告した。

 だが武藤氏は翌7月、津波対策を保留する方針を決め、専門家でつくる「土木学会」に試算方法の検討を委ね、対策が実施されないまま事故当日を迎えた。従来想定を上回る津波の可能性については、旧経営陣3人出席の「御前会議」でも示されていた。
 武藤氏の「再検討」決定について、東電の社員Aは「ずっと対策の計算をしたり検討に携わっていましたので、予想していなかった結論で力が抜けました」と裁判で無念を語った。
 また、別の津波担当社員Bは「結局あの計算をしていなかったら心底想定外だと思えたのに、ちょっと計算しちゃってるから、想定外だということに関しては気持ちの整理がつきませんでした」と勇気ある証言をしている。東電内でも、あの津波が「想定外」とは思っていなかった社員たちがいたのである。裁判では、こうした重大な内部事情が明らかになってきた。
 永渕裁判長は判決で、「絶対に事故が起きないレベルの安全性の確保までを前提としていなかった」とし「(防潮堤などの対策が)事故までに完了できたかは明らかではなく、事故を回避するためには原発の運転を停止するしかなかった」と書いた。
 ところが、東電の中にははじめから「万が一」という発想がなかったという。東電の原子力部門の関係者がTBSの取材にこう内情を明かす。
 「そもそも当時の原発の安全思想では『万が一の際の対応を考える』という発想自体がなかったように思う。原子力という性質上、万が一のことが起きた場合の結果は甚大で、そのことを考えること自体が、あたかも安全対策が不備であることを認めるような結果となり、タブー視されているような空気があった」。
 また、15m超の津波予測は、2002年公表の国の長期評価にもとづくものだが、これは、福島県沖を含む三陸沖北部から房総沖の間でマグニチュード8前後の地震がどこでも発生する恐れがあるとし、確率を「今後30年以内に20%程度」と予測していた。この信頼性が論点の一つになった。

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 勝俣氏は「信頼性のないものをベースに企業行動は取れない」と主張した。一方、東電の津波対策担当者は「国の機関による長期評価で、多くの学者が内容を支持した。想定に取り入れるべきだと思った」と証言。東電内で、まっこうから評価が対立したが、永渕裁判長は長期評価の信頼性や具体性に疑いがあるとした。

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 この国の長期評価作成に関わった東京大学の島崎邦彦名誉教授(原子力規制委員会の委員長代理もつとめた)は、「(長期評価には)客観的な信頼性も具体的な根拠もある。(判決は)結論ありきから、それに有効な証拠を集めているとしか思えない。(武藤氏が再検討を依頼した「土木学会」には)電力会社で原発津波担当社員が委員に入っている。中立性どころじゃない。」といわゆる原子力ムラの存在を指摘し、土木学会という「身内」に検討させるのははじめからデキレースであり、判決には政府の原子力行政への忖度があると批判した。

(つづく)

高須基仁さんとのちょっとした思い出

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 通勤途中に咲いていた西洋アサガオ。遅咲きで今が見ごろだ。
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 FNN,jp プライムオンラインに香港記事を2本書きました。関心のある方はお読みください。


「香港デモのスローガンは“Be Water” 革命の「水」はどこへ流れていくのか~ジャーナリストが現地取材で見た混沌」(17日公開)
https://www.fnn.jp/posts/00048180HDK/201909170700_takasehitoshi_HDK


「中国で逮捕状なしの拘束・尋問  香港を脱出した男が語る恐怖の真相~香港デモの原点は「銅鑼湾書店」事件だった」(19日公開)
https://www.fnn.jp/posts/00048213HDK/201909191900_takasehitoshi_HDK

 2本目で書いた「銅鑼湾書店事件」は、「逃亡犯条例」改正が出てきたときに香港人が想起して恐怖感にかられたという意味ではデモの「原点」である。
 12日付のブログで、周庭さんがこの事件に触れてこう言っている。
 《2015年の時に中国共産党を評論する、批判する本を売っている本屋さん銅鑼湾書店の人たちが、香港含めていろんな場所から中国大陸に捕まえられました。それはすごくおかしいですね。
 もともと中国の警察や中国共産党の人が香港や違う国で直接人を捕まる権力を持っていないので、だからそのことに関してもやっぱり香港市民はもちろん怒っていましたし、そして恐怖感がすごくありましたね、2015年の時に。いつか私たち中国が好きじゃないことやれば、いつか中国に誘拐されるんじゃないかなとか、こういう恐怖感があの時すごいありました。https://takase.hatenablog.jp/entry/20190912
 この事件、日本ではあまり知られていないので記事に書いてみました。
 このブログでも次回詳しく紹介します。

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 新聞で高須基仁(もとじ)さん(71)の死亡記事を見た。
 《芸能プロダクション経営などを経て、モッツ出版を起業し多数のヘアヌード写真集をプロデュース。女優の天地真理(67)、島田陽子(66)、高部知子(52)ら約400人を脱がせ、「人たらし」との言葉を生み出した》という人だが、私もちょっとしたご縁があった。
 あれはもう10年ほど前のことだったな、と思い出す。大学時代からの友人の東京新聞記者、鈴木賀津彦さんを介して「会いたい」と連絡があった。何だろうとモッツ出版に行くと、「高世仁さんとは高と仁の字が共通で、前からお会いしたかったんだよね」と言う。一気に雰囲気が和らいで、このへんが「人たらし」と言われる所以なのかと思った。
 すぐに酒盛りになった。そこにいたのが将棋の武者野勝巳7段。当時将棋連盟会長の米長邦雄氏の反対派の筆頭格で、高須さんが応援していた。私も米長氏の言動はおかしいと思っていたので、米長批判で盛り上がった。

    そのあと、私も知り合いのテレビ局の人や出版社の人たちもまじえて盛大な飲み会になり、朝方までワイワイ楽しく飲んでいた覚えがある。

 さっき、調べたら、この日のことが高須さんのブログで紹介されていた。2007年のことだった。
 2007.02.13XML「北朝鮮問題・高世仁朝日ニュースタージンギスカン
https://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/200702130000/ 

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高須さん(中)と私(右)

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 ブログではこの宴会の席から浅草の「ハレム」に流れていったと書いてある。この「ハレム」というのは、私もこのブログで何度か紹介した、かつて東京新聞「したまち支局」の名物記者、さっちゃんこと丹治早智子さんが夜バイトしていた店である。(https://takase.hatenablog.jp/entry/20151119

 このとき私もさっちゃんに会っていたはずだが、その辺の記憶は定かでない。
 高須さんは「ハレム」の行きつけで、さっちゃんが亡くなったときもブログで書いていた。https://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/20151002/

《★9月18日(安保法案改正の夜)に60歳で乳ガン転移で逝去した東京新聞社下町支局丹地早智子さんを若鮎&清流のイメージと共に思い出す!!
昼間は東京新聞新聞記者丹地早智子、夜は浅草ひさご通り老舗スナック「ハレム」のホステス稼業のさっちゃん。
約15年にわたる永い間、お世話になりました。
東京新聞の私の短期集中連載「わが町 わが友」の24回編集担当者。
又、毎春先にタケノコの煮物を届けてくれた「ハレム」の同僚ホステス稼業のなっちゃんも68歳で今夏8月に乳ガン転移で死んだ。
8月中旬から9月中旬には浅草観音裏に「弔い」で浅草の旧い友人達と秘かに何回も何回も出向きました。》

 どんどん思い出がつながっていく。

 高須さんは「脱がし屋」と言われ、なにか無頼なイメージがあったが、話していると、とても他人に気を使う人のようだった。

    女優やタレントを連れて海外に行くときに気を付けていることがあるという。空港では必ず出発ゲートで待ち合わせる。その理由は、「韓国籍のタレントも多くて、なかにはそれを隠している人もいるでしょ。イミグレの出国手続きで僕に国籍がばれちゃうのはいやだろうと思って」。気遣いの人なのである。
 《長男の基一朗さん(42)によると、歩行障害があったため今年5月に検査したところ、肺がんが見つかり、入院。すでに脳に50カ所以上転移しており、余命は1週間単位と告げられた。
 それでも8月15日には東京・新宿ロフトプラスワンで行われたイベントに、車いすに乗って出席。これが最後の公の場になった。プロデュースしている毎年恒例の反戦イベントと、自身の最新刊の出版イベントを兼ねていた。基一朗さんは「参加したのは30分だけだが、直後に体調を崩した。本人は『死んでもいい』という覚悟で、すさまじかった」と話した。
 高須さんはサンケイスポーツおはよう面で「激ヤバAV嬢」(毎週月曜掲載)、夕刊フジで「人たらしの極意」(毎週水曜掲載)を連載しており、18日付夕刊フジの原稿が絶筆。ベッド脇に置いたスマートフォンで原稿を書き、送信したのが亡くなる約10時間前の17日午前11時15分。基一朗さんは「最後の瞬間まで、“高須基仁”でした」と語った。
 基一朗さんによると、死の数時間前、孫を病床に呼ぶか聞くと「うるさいから連れてこなくていいよ」。これが最後の言葉となった。自らひげをそり「いい笑顔で、家族に見守られて」旅立ったという。》(sanspo.com
 人の亡くなる時の様子にはとても関心があるが、亡くなるわずか10時間前に原稿を送信したとはすごい。
 高須さんのブログにはきょう19日付けで「長男・高須基一朗より最後のブログ更新」が載っている。来週水曜の「夕刊フジ」の連載が最後になるという。https://plaza.rakuten.co.jp/takasumotoji/diary/201909190000/

 ご冥福をこころよりお祈りします。

「暴力」を肯定する香港の若者たち

 きょう近所で鐘太鼓の音がするので通りに出たら、山車が練り歩いていた。近所の神社の秋祭りだった。

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 今年の夏はせわしく花火も祭りも見られなかったなあ。きょうの朝日俳壇を眺めていると、

アテルイも牛若丸も秋祭 (久慈市 和城弘志)
 アテルイとは平安時代初期に、胆沢地方(現在の岩手県水沢市)で大和朝廷の北進に激しく抵抗した蝦夷のリーダー。802年征夷大将軍坂上田村麻呂に降伏し処刑された。大和朝廷から見れば「賊軍」の首領なのだが、数年前、青森のねぶた祭りアテルイのねぶたが出てニュースになった。歴史上の出来事や人物を善悪で色分けすることから少しづつ自由になっているという点では望ましいことだろう。

蟻の列空を見上ぐることありや (多摩市 田中久幸)
 目の前の仕事やトラブルやであたふたと日を過していると地面しか見えなくなる。いつも青い空や月や星空を眺めて爽やかな気持ちを取り戻すことを意識的にしないと、と自戒させられる一句。
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 「逃亡犯条例」改正への反対運動が6月から歴史的な盛り上がりを見せているが、香港政府は4日、条例改正の「撤回」を正式に表明した。これで運動が収まるかと思ったら、そうではなかった。
 周庭さんのツイートは運動参加者の最大公約数だろう。

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9月4日の周庭さんのツイート

 この3カ月で、香港政府とくに警察への不信感が決定的になり、運動の目標が「5つの要求」に拡大した。それは1. 改正案の完全撤回、2.警察と政府の、市民活動を「暴
動」とする見解の撤回、3. デモ参加者の逮捕、起訴の中止、4. 警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査実施、5. 林鄭月娥の辞任と民主的選挙の実現だ。もう改正案の完全撤回などそのうちの一つに過ぎないのだ。
 多くのデモ参加者が逮捕されても運動が潰れずに続く要因の一つは、リーダーがおらず、市民一人一人が自主的に参加する運動形態にある。周庭さんも自分は今回はリーダーではなく、ただ市民の一人としてやっていると私に語っている。
 しかし、リーダーがいないと今後、政府と交渉して落としどころ(あまり好きな言葉ではないが)をさぐるといったことができない。5つの要求の中の民主的選挙の実現などとてもすぐに北京指導部が認めるわけがないと思うのだが、中学生までが「五大訴求 缺一不可」(五つの要求は一つも欠けてはならない)のスローガンを掲げるほど浸透しており、運動が収まる兆しはない。

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デモや集会に参加する中学生(6年制)は非常に多い

 気になるのは、警察との衝突を経てデモ隊側が火炎瓶を投げるなど暴力がエスカレートしていることだ。運動側の言い分は、「沒有暴徒 只有暴政」(暴徒はいない暴政あるのみ)、警察の暴力こそが問題だという。
 私はデモ隊への警官隊の規制の実態を見るため、深夜の衝突現場に2晩、未明まで張り付いて取材したが、たしかに警察の取り締まりは横暴だった。

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出動した警察の機動隊。この後、乱暴な逮捕がカメラの前で行なわれた(9月3日未明)

 その一部はフジテレビ「Mr.サンデー」で紹介したが、私たちのカメラの前で、警官隊に向かって「恥を知れ!」と大声で叫んだだけの若者を数人がかりで警官が地面に押し倒して逮捕した。どこか怪我をしたらしくTシャツの首のあたりに血に染まっている。また若い女性が逮捕の際、地面に2回強く頭を叩きつけられ失神、救急車で運ばれた。別の通りがかりと思われる若い女性を警官が何度も突き飛ばす場面は、私自身がカメラを回していた。まわりにいる市民からは警官隊に向けて「警察ヤクザ」との罵声が浴びせられた。
 日本に住む人には意外に思われるだろうが、運動参加者の中では、デモ隊の暴力を肯定する声が非常に多い。市民へのアンケート調査でも、デモや集会が暴力的になっている責任は政府・警察の側にあるとの答えが最も多い。
 ある集会に制服姿で参加した女子中学生(6年制なので4年以上は日本でいう高校生)に、デモ隊の一部が暴力的な行為をすることをどう思うかと聞いたところ、問題は「完全に平和的な方法では解決しないと思う」と答えた。さらに「これは革命なので、流血は避けられないのではと思う。歴史をみてもそうだ」とまで言った。
 暴力の連鎖が続く先にどんな事態が来るのか。澄んだ目で「革命」を語る若者たちの行く末が心配でならない。