飯舘村の「苦渋の決断」

 きょうは新宿区の経王寺(きょうおうじ)という日蓮宗のお寺で行なわれた「アノニマス・エイド『東京慰霊祭2018』」に参加してきた。アノニマスとは名前がない、匿名という意味で、無名のわたしたちが、名を知らぬ人を思う慰霊祭として今回が8回目となる。住職の互井観章(たがい・かんしょう)住職による法華経の読経、上畑正和さん、ウォン・ウィンツァンさんによるコンサート、田口ランディさんの朗読があった。
 田口ランディさんは別の催しで、石牟礼道子さんの追悼講演があり、石牟礼さんの「生命の連鎖する世界から」を朗読した。熊本弁のまじった独特の話しぶりで、石牟礼さんが乗り移ったかのようなすばらしい朗読だった。実は3月11日は、石牟礼さんの誕生日でもある。石牟礼さんはミナマタと東日本大震災に近代の終末を見ており、田口ランディさんは、そこに生き、死ぬ民の鎮魂は彼女の文章が相応しかったと考えたのだろう。
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 被災地からのリポートを見るにつけ、震災のダメージの深刻さをあらためて思う。
 きのうのTBS「報道特集」の特集「原発と復興・苦渋の決断」。避難指示が大半で解除された飯舘村の話で、先日このブログで紹介した鴫原(しぎはら)良友氏が登場した。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180228

(鴫原氏(右)と田中氏(左))

 飯舘村で最も放射線量が高い長泥の区長である。その彼が、震災直後、原子力規制委員会初代委員長の田中俊一氏と知り合った。福島出身の田中氏は飯舘に住みたいと、去年9月、委員長を退任した後、飯舘村に生活の拠点を移し、飯舘村で事業のアドバイスをしている。鴫原区長も期待を寄せているという。
 田中氏といえば、震災後、「原子力ムラ」の手先、原発事故被害の「戦犯」として世間から激しく非難された人物だ。それが今は飯舘村に引っ越して復興に力を貸したいというのである。「住民が苦渋の決断をしつつ、次の時代を開こうというのだから、皆で応援してあげるのが大事」と田中前委員長。
 長泥の中心部に汚染土を運び込み、盛り土をつくる計画がある。花を育てる農地に活用する案もある。汚染土を再利用することの安全性について、田中前委員長は「福島県は県外に持って行くというが、そうできるはずがない」、「セシウム放射線ガンマ線を出すが土壌につくと動かない」ので安全だという。
 特集では触れなかったが、飯舘村では、2018年秋に開業予定だった共同店舗の計画が、試算で赤字が見込まれるとして中止に追い込まれており、汚染土の再利用も「苦渋の決断」だ。

 どの自治体も持続可能な将来を描けずにいる。そんななか、原発容認派、反対派の立場を越えて、地域を何とかしようと手に手をとって努力する姿に感銘を受けるとともに、直面する困難の大きさ、そして東京と被災地の温度差をあらためて考えさせられた。