橋本昇『内戦の地に生きる』

 たまたまつけていたEテレ日曜美術館」に藤原紀香がゲストで出ていた。クリムトの特集(6月9日の再放送)で、彼女はクリムトが大好きなのだという。私はクリムトには関心がないが、藤原紀香のファンなので見入ってしまった。

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 彼女のブログにはこの番組に出演したことがこう書かれてある。
 《大好きなクリムトと、シーレを、時代背景から掘り下げている番組でした
プロデューサーさん方から、衣装はクリムトの世界観で、とお話がありましたので
TAE ASHIDAの このドレスを選びました
明日の放送、ぜひご覧ください 》
 ドレスもクリムトずくめなのか。けっこうこだわりの人なのである。それしても、もう48歳というのに、この艶やかさはどうだ。
 しかし、彼女、女性に嫌われる女では常にランキング上位に入る。私の周囲の女性(娘や妻を含む)にも受けがよくないので、大っぴらに褒めたりできないのがつらいところだ。苦労した過去があり努力の人で勉強家なんだが・・。好かれる人、嫌われる人はどこが違うのか、考えてしまう。
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 写真家の橋本昇さんから今春発行の著書『内戦の地に生きる―フォトグラファーが見た「いのち」』(岩波ジュニア文庫)をいただいた。
 橋本さんとは、10年ほど前、写真家仲間の年末の忘年会で知り合った。私とほぼ同年という気安さもあって飲んでは激論を交わしたりする間柄だが、彼の過去の仕事についてはよくは知らなかった。
 この本を読んで、橋本さんが紛争地を含む大きな国際ニュースの現場に立ってきた一線級のジャーナリストだと知った。橋下さんはこの本を日本の若者へのメッセージとして書いたという。

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 本の目次には世界の紛争地が並ぶ。
 ソマリア 1992年
 ボスニア・ヘルツェゴビナ 1994年
 南アフリカ 1994年
 ルワンダ 1994年
 シエラレオネリベリア 1996年
 アフガニスタン 2001年
 パレスチナ 2002年
 南スーダン 2003年
 カンボジア 2006年
 飯舘村 2011年~

 最後が飯舘村というのがおもしろい。ここ日本にも「戦い」の現場があることに気づかされる。

 橋下さんは、ベトナム戦争を取材した団塊の世代の次の世代である。そしてこの世代の日本人で、彼ほど長く、そして多くの国際ニュースの現場を踏んだフォトグラファーは珍しいだろう。他には遠藤正雄さん、長倉洋海さんくらいしか思いつかない。

 本を開いてみる。陰影を効果的に使った写真が印象に残る。本格派の報道写真である。

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1994年 南スーダン

 かくも多くの悲惨が起きるこの人間の世界に絶望したくなるが、橋本さんは状況に入れ込みすぎず、写真家として冷静に観察している。一方で、あまりの悲惨さに、揺れる取材者の気持ちもそのまま吐露されている。

 1992年のソマリア、街の通りに何人も死体がころがる極限の飢餓が襲っていた。

 《男の子が虚ろな眼でこちらを見た。カメラを構えて男の子にレンズを向けシャッターを切った。男の子の目がレンズの先を追う。その間、ずっと体が震えているのを感じていた。ここまでの飢餓の現実を目の当たりにするのは初めてだった。

 どうして自分はここにいるのか?自分の健康な体を恥ずかしいとも感じた。写真を撮るということで正当化している自分の存在。何十年の人生まで問われているように心が揺れ、心の中で何かが激しく交差した。》(P18) 

    橋本さんは多くの場所で飢餓を取材しているが、2003年の南スーダンの記述はとくに印象に残る。そのなかで橋本さんは日本の飽食に思いを寄せる。

 《町中に所狭しと溢れる食べ物屋、24時間営業のコンビニ、毎日これでもかとグルメ情報が流れてくるテレビ、今や、我々にとって「食」は飢えを満たすだけのものではなく、「美味いもの」「便利なもの」を提供するという一大産業となった。》

 そして、その便利さ、豊かさの陰で一年間に1900万トンもの食品―世界の7000万人が1年間食べていける量―が捨てられているという現実に考え込む。
 人びとが命をつなぐWFPの配給を取材したあと、橋本さんはある少女と出会う。

 《少し離れた所で誰もいなくなった地面に、一人の少女が座り込んで地面にこぼれ落ちた米を拾っていた。こぼれ飛んで土に混じった米を小さな箒で集めては、手のひらに乗せ、指先で一粒一粒摘んで木のお椀に入れている。

 たった一人で無心に米を拾い集めるその姿を見た時、すべての事がストンと腑に落ちた気がした。いつの間にか忘れてしまっていた米の一粒に一粒に“命”を見るということ。“食べる”ということは“生きる”ということなのだ。

 その時、腹を満たした末に思案していた“清貧”という言葉などはこっぱみじんに大地に吹く熱い風に吹き飛ばされていった。そして、“生きている”ということへのシンプルな感動が心の奥から湧き起こってきた。それは一人の少女が教えてくれた命への感動だった。》

 橋下さんの本は、感じたままの飾りのない率直な筆致で書かれており、とても読みやすい。
 本を書くきっかけになったのは、ある日、所属していた通信社のパリ本社から現像されたポジフィルムが入った大きな段ボール箱がたくさん届いたことだったという。今やデジタルの時代で、送られてきたのはデジタル処理された後の役目を終えたフィルムだった。それを手に取った橋本さんには、シャッターを切ったときの光景、音や臭いまでがまざまざと蘇った。
 「はじめに」で橋本さんは本のモチーフについてこう書いている。
 《苦悩、悲しみ、怒り、祈り、そして愛や憎しみ。紛争の現場、飢餓の現場から、人々は生きる事の意味を問いかけていた。
 フォトグラファーとして見てきた様々な光景。アフリカのどこまでも続く赤い大地、そこに突如現れる動物達、カンボジアの青々と広がる水田に憩うアヒルや水牛、アフガニスタンへと続く荒野にくるくると巻き起こるつむじ風・・・。そんな光景に出合うたびに、この奇跡の星地球の、私達をとりまく世界は「詩」なのだなぁと感じていた。
 そしてこの長い地球の歴史の中で、私達は皆、遠くの星の瞬きのような、ほんの一瞬の時間を生きているに過ぎないのだと思いながらシャッターを切っていた。取材現場で出会った人々から受け取ったのは、そんな私達への一人一人の“命の詩”だったと思う。》
 その詩を紹介しながら、ジュニア新書の読者である若い人々に、こんな問いを投げかけている。
 「人間の一生もまた一篇の詩だとしたら、あなたはどんな詩を書きますか」

 海外の出来事に関心が持ちにくいと言われる今の若い人に読んでほしい一冊である。

 

 よくこれだけたくさんの現場に行けましたね、と感心すると、「それは俺がシグマ(写真通信社、現在はGetty Images)に所属していてアサインメント(仕事の指示)があったから。自分ではとても行けないよ、経費がすごくかかるし」と橋本さんはいう。
 ここが今の紛争地ジャーナリストと決定的に違うところだ。私の周りの紛争地ジャーナリストたちはフリーで、トラック運転手などのバイトで資金を作っては取材に使う。ジャーナリストが、お金を得る手段としての「職業」にはなっていない。
 いま通信社に所属することは非常に狭き門になっているから、この状態は続くだろう。取材をお金にする仕組みがなければ、報道を持続可能な活動にはできない。

 紛争地を取材してきたフリージャーナリストの遠藤正雄さんは「紛争地に行くと、各国のメディアが来てるのに、日本人がいないんですよ。恥ずかしいですよ」と嘆いている。https://takase.hatenablog.jp/entry/20150218
 いまや紛争地を取材するフリーランス絶滅危惧種である。

 日本のジャーナリズムの先細りをどうすればよいのか。橋下さんの本のページを繰りながら、そんなことも考えた。