コスモロジーの創造2

 連休で閑散としたオフィス近くの本郷通り。植込みのツツジが咲き、銀杏の若葉が清々しい。

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    雨のぱらつくなか、ウツギも咲き始めた。ウツギの花が卯の花で、4月を卯月というのは卯の花からきているという。

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 テレビは平成から令和へのカウントダウンに向け、どこも特番を組んでいる。天皇、皇后の事績が繰り返し紹介された。天皇自ら退位を言いださなければならなかったり、秋篠宮の「大嘗祭(だいじょうさい)」をめぐる宮内庁批判(https://biz-journal.jp/2018/11/post_25754.html)もあったのだから、皇室のあり方への疑問や批判もあってよかったと思うが、称賛で埋め尽くされた。今上天皇と皇后が立派な人であることは日本にとって幸運だったが、そのことは今の天皇制のあり方を批判し議論することを妨げないはずだ。
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 今日の新聞に、池澤夏樹さんが「ニュートリノの未来 成果は好奇心の先に」というエッセイを載せ、スーパーカミオカンデについてこう書いている。
 「さて、この種の巨大な装置は何の役に立つか。(略)ニュートリノ重力波もさしあたり何の役にも立たない。最後まで知的好奇心の対象で終るかもしれない。」


 しかし、宇宙の成り立ち、歴史を解明することは、知的好奇心を満足させるにとどまらず、世界観、人生観に大きな影響を与えうると思う。

 『21世紀こども百科 宇宙館』(2001年小学館)という本には、「宇宙のはじまり」として、「わたしたちの住んでいる宇宙は、最初から今もようなすがたではありませんでした。宇宙は、およそ150億年前に大ばく発をおこして生まれたと考えられています。無限のように思える宇宙にも、はじまりがあったのです」(P23)
 ビッグバン理論にもとづき、ここでは宇宙の創発からの歴史は150億年とされていた。
 2003年、NASAが137億年プラスマイナス2億年まで絞り込んだ。『137億年の物語』(文藝春秋社)という本が本棚にある。
さらに2013年、欧州宇宙機関(ESA)が138億年と発表、今ではこれが広く認められている。

 この宇宙は極微の一点(10のマイナス34乗センチ)から急膨張し、138億年かけて、1千億超の恒星を含む天の川銀河のような銀河を1千億超有する膨大な質量と大きさにまでなったのだ。
 ゴム風船を膨らませることになぞらえれば、宇宙がいくら巨大になったとしても、一点から広がったのであるから、一つである。
 遠くに見える星々は、我々とは関係ない物に見えるが、もともと一つであり、今も一つである。
 138億年前の極微の一点にはまだ物質はなかった。膨大なエネルギーが広まる過程でクオークが生じ、さらに陽子そして宇宙創発から10万年たって水素原子ができる。水素原子は次第に重力で引きあって集まり、宇宙創発から1千万年から3千万年ほど経って星となった。星の深部は巨大な圧で水素原子を陽子と電子に分離し、原子番号2のヘリウムを作る。この核融合で星は高温と光を発する。星の核融合は鉄Feまでの元素を作り出し、星が寿命を迎えると超新星爆発を起こしてさらに複雑な重い元素ができる。こうして作り出された元素、特に水素、炭素、窒素、酸素などで私たちの体ができている。
 子ども向けの本にも「私たちは星の子」という表現が出てくるが、まさにそのとおりである。
 ビッグバンとその後の宇宙の歴史から、宇宙には始まりがあり、もとは一つで、その進化の末に私たちが生まれたのだということを認識することができる。
 宇宙のなかに、「たまたまでてきた」「関係ない」「バラバラの」ものなどないのだ。

裏目に出た安倍首相の「抱きつき外交」

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 近所のハナミズキが満開だ。
 この木は日露戦争のとき、ポーツマス条約締結へのアメリカの尽力に感謝して日本が贈った桜(ワシントンDCのポトマック川に植えられた)に対する「お返し」だったという。その後、アメリカとの戦争に突入すると「敵国の木」だとして伐られ、戦後になると、マッカーサーがたくさん植えさせて日本全国に広まったといわれる。日米関係の変遷を象徴する花である。(桜と交換されたハナミズキhttps://takase.hatenablog.jp/entry/20100506

 

 安倍首相は訪米中。これを新聞は「抱きつき外交」とうまい表現で報じている。
 《メラニア夫人の誕生祝いにまで顔を出し、昭恵夫人から手作りのお茶をプレゼント。トランプ氏の機嫌を損ねまいとする懸命の努力は、「朝貢外交」のようにも映るが、首相にとって今回の訪米は、夏の参院選に向けた計算があったに違いない》(朝日27日朝刊)
 農産物の関税引き下げをめぐる日米貿易交渉、駐留経費負担の大幅増額などが参院選前に表面化させたくないので、トランプ氏が直接介入しないよう蜜月を演出しようとしたのだろうというのだ。
 日本政府内には首相訪米への慎重論もあったという。来月末にはトランプ氏が新天皇と初めて会見する国賓として訪日する。
 《外務省幹部は「なにも今回訪米して協議しなければならない懸案事項はない。逆に貿易などで米側から圧力をかけられ、やぶ蛇になるのでは」と懸念していた。
 その懸念は的中した。トランプ氏は貿易交渉について、自らの5月末の訪日時までに合意にこぎつけ、署名したい考えを強調。農産物の関税撤廃も突きつけた。首相の参院選への懸念には目もくれず、来年11月の米大統領選までに早く成果を出したいとの自らの思いを優先させた格好だ。

 「抱きつき外交」で、極力問題を先送りしようとの安倍首相の「弥縫策」はどこまで通じるのか。トランプ氏はこの日の会談でも「日本は途方もない数の軍事装備品を米国から購入している」と持ち上げた。時間かせぎと「バイ・アメリカン」で機嫌をとる代償は、国民の税金でまかなわれる。

 首相は「日米蜜月」を演出しようと躍起だが、その裏で、日本の国益に難題が降りかかろうとしている。》
 「抱きつき外交」で亡国への道をすすむなかれ。
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 お知らせです。
 3月17日のフジTV ザ・ノンフィクション「独占初公開 デマと身代金~安田純平・3年4ヶ月の獄中日記~」は関東ローカルの放送でしたが、ネット局での放送が以下のように決まりました。深夜帯ですので録画してご覧下さい。

5月5日26時から TSS(テレビ新広島
5月8日27時から KTV関西テレビ放送滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県
5月13日25時から FTB(福井テレビジョン放送
5月14日25時35分から SUT(テレビ静岡
5月26日25時25分から FTV福島テレビ
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 一昨年、写真家にとって権威ある賞、土門拳賞を受賞した韓国人写真家、梁丞佑(ヤンスンウ)さんの写真展「人間模様」がはじまった。https://bookandsons.com/blog/ningenmoyou.php

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 ヤンさんは韓国で兵役が終わってすることがないから日本に来た。「日本語学校が終わって、進学しないと、ビザが更新できない」ので、どこでもいいからと写真の専門学校に入ったのが写真家になるきっかけだったという変わり種だ。
https://photoyang.jimdo.com/
 きょうはレセプションで、美味しい料理とお酒を楽しみながらヤンさんやその仲間と話ができた。ヤンさんが撮り続けてきたホームレスのゴンタさんも来ていた。

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梁丞佑(ヤンスンウ)さん


 お知らせが遅くなってしまったが、ヤンさんを取材したドキュメンタリーが明日の早朝4時半の「テレメンタリー」(テレビ朝日)で放送される。
 《平成の歌舞伎町に魅了された、韓国人カメラマン・梁丞佑。街から熱気が消えゆく 中、“人間の匂い”を追い求め、シャッターを切り続ける。義理を重んじるあまり、引退を余儀なくされた元ヤクザ。ネオンで寂しさを紛らわせていた“詩人ホームレス”は、居場所すら失った。時代の変化に戸惑いながらも、夢を見続けるホストやダンサーたち。これは、歌舞伎町にこだわり続ける人たちの、哀しくも愛おしい“狂詩曲”であります。》
ナレーター:向井秀徳 制作:テレビ朝日
https://www.tv-asahi.co.jp/telementary/

 実は、私はヤンさんの番組を企画して売り込んで失敗している。テレメンタリーを制作したディレクターもレセプションに来たので話をした。この番組でヤンさんがどう描かれるのか、楽しみだ。

旅券返納命令取り消しを求めて国を提訴

 きょう、ジャーナリストの常岡浩介さんが、旅券返納命令の取り消しを求めて国を訴えた。NHKも伝えている。

 《紛争地帯での取材に取り組むフリージャーナリストの常岡浩介さんが、ことし2月に内戦が続く中東のイエメンに向けて出国しようとした際、外務省からパスポートの返納を命じられたのは不当だとして、取り消しを求める訴えを起こしました。
 常岡浩介さんはことし2月、イエメンの食糧状況などを取材するため経由地のスーダンに出国しようとした際、羽田空港の出国審査で外務省からパスポートの返納を命じられ、出国できませんでした。
 このため、海外での取材活動ができず仕事ができない状態だとして、パスポートの返納命令の取り消しと、国に470万円余りの賠償を求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。》(NHKhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20190424/k10011895261000.html

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常岡さん(中)と田島さん(左)、清水弁護士(右)


 J-CASTニュースでは;

 《常岡さんは、「人道危機の現場に関するニュースの絶対量が世界主要国に比べて、(日本では)極端に少ないということはご存知ではないかと思う」と強調。ニュースの量が少なくなり、状況の悪化を感じているといい、「これをそのまま放置していきますと日本人、日本政府どちらにしても、世界の状況を見る視野を完全に失ってしまうのではないかと危惧している。今回の裁判は、わたくし自身の利益のためというより、日本が世界を見る視野を失おうとしている現状に少しでもブレーキをかけたい」と提訴への思いを語った。》(J-CASTニュースhttps://www.j-cast.com/2019/04/24356208.html?p=all

 私は事件発生直後から関わっていた。

takase.hatenablog.jp


 きょう、提訴とともに「ジャーナリストへの旅券返納命令の撤回と渡航・取材の自由の確保を求める表現・メディア関係有志アピール」が出され、私も3人の世話人の一人に名を連ねることに。

 いくら危険地に行ったり、強制送還されたりしても、組織ジャーナリストには返納命令が出されない。(政府の気に入らない)フリーランスが狙い撃ちされたのだ。こういう野蛮なことをやる国は世界から尊敬されなくなる。

 裁判に注目している。

 ちなみに、代理人の清水勉弁護士は、医師・ジャーナリストの村中璃子さんを、子宮頸がんワクチン問題の報道をめぐって訴えた池田修氏の代理人でもある。敗訴した村中さんを応援している私としては複雑な思いもあったが、国賠訴訟では知られた弁護士である。https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/04/13/
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 先日お知らせしたジャーナリスト樫田秀樹さんのリニア計画取材のためのクラウドファンディングが始まった。
 「報道が少ないリニア計画の真実を伝えるため取材費用を募ります。」
https://readyfor.jp/projects/linear

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 よろしければカンパをお寄せください。

かつて日本は子どもの楽園だった(4)

 きのうは市議会議員選挙で投票に。途中、近くの畑にエンドウマメの花が咲いていた。畑も明るくなってきた。
 駅の近くに山形の野菜を多く置いている八百屋さんがあって、通りかかったら「アマドコロ」を見かけた。買ってきて茹でて酢味噌で食べた。うまい!甘くてちょっと苦味がある。

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アマドコロ

 かみさんが郊外の山に登った帰りに買ってきたノラボウ菜、ワラビも食卓に並んだ。豪勢だ。ノラボウがまたうまい。東京都西多摩地方や埼玉県飯能市あたりで多く栽培されるアブラナ科アブラナ属の野菜。これに似ているのが、山形県のクキタチ(アブラナ科の野菜)。今が旬である。
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 江戸末期から明治初期に滞日した外国人が、日本は子どもの楽園だと感嘆した話を3回にわたって書いてきた。日本人の子どもを可愛がることは外国人にも向けられた。
 1959(安政6)年、英国領事として長崎に着任したホジソンは妻と二人の娘を伴っていた。長崎の街に出かけたホジソン夫人は、自分の小さな娘がいかに可愛がられたかを驚きをもって書いている。
 「老婆という老婆、また数多くの老人たちも、この娘を愛でるために店から飛び出してきました。そして半ばいざるような恰好で、あとからあとから彼女にお菓子やら、茶碗やら、その他沢山の贈物をくれました。そのため夫のポケットも、二人の役人と通訳の袖もたちまち一杯になってしまいました。私にはまだ、どうして一人の子が彼らにとってこんなに呼びものになったのか分かりません。」
 《ホジソンはその年のうちに長崎を去り、箱館領事に就任したが、ある日奉行所の役人をディナーに招待した。「二人の奉行および奉行格と三人の支配組頭、それに彼らの随員」は、十分に料理を平らげ、シャンパンをたしなんだが、そのうち「家族を大勢もっている奉行格」がホジソンの子どもが列席していないのをいぶかって、いつまでも子どものことを尋ねた。「彼があまり娘のことを聞くので、ついに迎えにやることになった。彼女が現われ、二人の奉行と奉行格に頭を下げると、奉行格はテーブルの端にいたが、手一杯にケーキやお菓子をもって、わざわざ彼女のところにやって来て渡した。エヴァ(娘)はちょっとギョッとしたが、母親の目くばせで『ちょっと会釈』して、奉行格の好意を受けて引き退った」。》
 渡辺京二さんは、これを「文明」に関係づける。
《奉行格はある文明の習慣に従っただけであった。(略)はるばる海を越えて来たこの異人の少女がいとしくてならないだけのことであった。このいとしがり可愛がるというのはひとつの能力である。しかしそれは個人の能力ではなく、いまは消え去ったひとつの文明が培った万人の能力であった。》

 

 現在の日本では、外国にルーツを持つ子どもたちがいじめにあうケースがよくあるという。19日のNHK News Upの「日本に戻らなければよかった」は読むのがつらくなる悲惨な話だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190419/k10011889021000.html?utm_int=all_side_ranking-access_001
 カナダ人の父親と日本人の母親の間に1989年、カナダで生まれた高橋美桜子さんは、4歳半から、母親の典子さんとともに日本で暮らした。

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 中学に入ってから強烈ないじめにあう。
 《仲間はずれにシカト。「天然パーマ」「毛が濃いんだよ」。執ように吐き捨てられる容姿に関することば。
 教科書やノートには殴り書きされた「ウザい」「キモイ」「死ね」といった文字。自分のいすに座って下を見ると机の下にゴミが集められ、教室に戻ると美桜子さんの机が教室の外に出されていました。》
 精神に異常をきたし、美桜子さんは自宅マンションの8階から身を投げて16歳の短い人生をみずから閉じた。
 母親の典子さんは、みんな違って当たり前という考え方のカナダに残っていたら・・と日本に戻ってきたことを悔いているという。

 150年前にあった日本の文明が消え去ったという渡辺京二さんの言葉が迫ってくる。

コスモロジーの創造1

 節気は穀雨穀物の成長に欠かせない大事な春の雨が降る時節だ。
 きょう20日から初候「葭始生」(あし、はじめてしょうず)。25日から次候「霜止出苗」(しもやみて、なえいずる)。5月1日からが末候「牡丹華」(ぼたん、はなさく)。田植えの準備がはじまり、百花の王、牡丹が咲いて植物の世界はにぎやかになる。

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 梅の木には実が膨らんできた。若葉があざやかだ。

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 先日、ブラックホールの撮影に成功したことに触れた。https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/04/11/
 私たちはすごい時代に生れあわせたものだとつくづく思う。ここ数十年で、宇宙の誕生からこれまでの歴史を、かなり詳しく認識できるようになったのだから。このタイミングで、人間として生きることができたことに感謝したい。
 そして、いまや科学の最新成果をもとに、さわやかに生きるためのコスモロジーを創ることができる、というより創るべき時代になっていると思う。


 世界・宇宙にどういう秩序・条理・法則があるのかを体系的に語る言葉、あるいはそれによって語られた体系的な宇宙観を、人類学や宗教社会学などでは「コスモロジー」と呼んでいる。語源的には、古典ギリシャ語の「コスモス」と「ロゴス」の合成語で、訳すとほぼ「宇宙観」「世界観」に当たる。


 人はコスモロジーなしには生きられない。理論化、体系化されていなくても、みなそれぞれのコスモロジーにもとづいて感じ、考え、行動しているはずだ。
 かつて、人類のコスモロジーはほとんど宗教だった。どの宗教も、この世がどうやって生じたか、どういう秩序になっているのか、その中で人間、そして自分はどういう存在なのかを教えてくれていた。死んだあとどうなるのかについても宗教は明確に答えを提供していて、人々は心の深いところでは、安心して生き、死ぬことができた。


 近代の合理主義=無神論が登場すると、宗教的コスモロジーが否定される。この世には神も仏もなく、自分がすべて。だから、自分の幸せ、利益、楽しさだけを追求すればよい。他の人に迷惑をかけない限り(他人から恨まれると結局は自分が不利益をこうむるから)、何をやってもいい・・・こう考える人は、宇宙(この世界)はみな偶然であり、バラバラな存在から成っているという近代の考え方、コスモロジーをベースにしている。たとえ、そう自覚していなくとも。


 しかし、近代のこのコスモロジーには救いがない。この宇宙がバラバラな物質の寄せ集めだというコスモロジーからでてくる生き方は、ニヒリズムとエゴイズムにならざるを得ない。宗教では、すべてが単なる物質の寄せ集めだとはならない。ある宗教では、森にも岩にも神がやどり、別の宗教では、この世のものはみな神が創造したものである。あらゆるものに意味があるわけである。

 人間も含めて、すべてが単なる物質の寄せ集めだとすれば、善悪の根源、つまり倫理も失われる。「なぜ人を殺してはいけないか?」という疑問にさえ答えることができない。これについては10年以上前のブログで書いていた。

takase.hatenablog.jp

https://takase.hatenablog.jp/entry/20080502 

 

 さて、どうしたものか。ふたたび考えてみたい。
 近代合理主義の波で否定された宗教に戻ることはもうできない。自分で意識的に宗教に替わるコスモロジーを作ることが求められている、今はそういう時代でもあると思う。
 そこで利用できるのが、最新の宇宙認識だ。それをもとに、とてもさわやかに生きることができるコスモロジーを形成することが可能である。そのことを私の師、岡野守也先生から教わって深く納得したので、おさらいもかねて書いてみようと思う。
(つづく)

水族館劇場、最後の花園神社公演

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 JR四ツ谷駅の線路脇は、菜の花とムラサキハナナが咲いて明るく見える。
    暖かくなってきているのだが、おとといは変な気候で釧路では夏日になり26.5度を記録したという。沖縄より北海道が暑かったのだ。北海道の桜もこれでだいぶ開いただろう。
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 16日(火)、新宿花園神社に、水族館劇場のテント芝居「Nachleben揺れる大地」(Nachlebenは「あの世」という意味)の千秋楽を観に行った。2年前に写真家の鬼海弘雄さんの勧めで観てすっかり魅了され、追っかけになった。

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舞台の前方に「池」があり役者がそこから現れたりする。水が放出される演出もあって舞台の上は水浸し

 舞台は満州国と現在の東京。80年の時間差を行ったり来たりしながら劇は展開する。
「東洋のマタハリ」と呼ばれた清朝の王女だった川島芳子李香蘭の幼なじみのジプシー女、満州事変の発端となった「柳条湖事件」に関与した兵士らが登場し、事件の首謀者、石原莞爾の「世界最終戦争」が叫ばれる一方、満蒙開拓団で長野県から渡ってきた貧農、アヘン窟に身を落とした同じ故郷の女、そして現地のみじめな苦力(クーリー)たちが底辺にうごめく。
 一転して現在の東京。満州国にノスタルジーをもつ人物が、ヤマトホテルを再建しようとしている。ヤマトホテルとは、満鉄が沿線主要都市に持っていた高級ホテル。(私はハルビンのヤマトホテルに行ったことがある。)東京のホテル建設現場で働いているのは、中国からきた「研修生」だ。食い詰めて満州に渡った80年前の長野の農民とダブってくる。近代への「否」が劇の底を流れている。
 現代史のお勉強のようなシリアスな劇かと思うかもしれないが、観客を驚かせる楽しい仕掛けが満載だ。水族館劇場のウリは大量の水を落下、放出する演出で、最前列と2列目のお客さんにはビニールの水よけが配られる。舞台は吹きさらしなので、風にあおられて水しぶきが私のいた5列目あたりまで飛んできた。

     ドタバタありとぼけた笑いあり、セリフを忘れてアドリブありと、かつてのアングラ劇の匂いのする舞台を大いに楽しんだ。今回は頭脳警察PANTAが音楽を担当し、主題歌をつくった。

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芝居の後は観客に酒が振舞われて宴会になった

 劇場のリーダー、桃山邑(ゆう)さんはいう。「どのように煮詰められた熱い魂も、それだけでは無限に多様化してしまった現代世界では、誰にもどこにも届かない。強烈なメッセージはクールなユーモアにつつまれてこそ、遅効性の毒を発揮できる」。
 桃山さんは、今回で花園神社は終わりにして、見知らぬ土地を流浪していきたいと言っていた。桃山さんは「散楽藝能者」の末裔を自称する。東京で観られなくなるのはさびしいが、還暦過ぎで、旅芸人の原点に戻るという決断ができるのはすばらしい。うらやましくもある。どんな藝能者になっていくのか、期待したい。

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桃山邑さん(右)とPANTA(左)

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PANTAの音頭で乾杯

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 火曜から、土門拳賞を受賞した高橋智史さんの写真展を新宿のニコンサロンでやっているので、ご興味があればぜひどうぞ。

日本人は昔から花見が好きだった

 きょうは明治神宮へ。美しい新緑のなか、たくさんの外国人観光客が訪れていた。日本人の参拝者よりはるかに多い。

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 私がここに来たのは、姪の結婚式のため。動画撮影を頼まれ、一日、カメラマンをやっていた。いい結婚式だった。相手がバツイチで子連れとあって、当初結婚への強い反対もあり揉めた。だが、きょう新婦が当時の事情を素直に吐露し、家族の支えで困難を乗り越えることができたと涙する感動的な披露宴になった。

    苦労が報われてよかったね。
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 東京では葉桜になりつつあるが、この週末、満開の各地では花見でにぎわったようだ。花見というのはいつからあるのか。
 『逝きし世の面影』(渡辺京二)を読み返していたら、《徳川後期の日本人が四季折々の行楽をたのしむ人びとであったことは(略)外国人観察者の注意をひかずにはおかなかった》と書いてあった。彼らは日本人の《自然と親和する暮らしぶりに驚きと驚嘆を禁じえなかった》という。
 《ベルクによれば、「日本の市民の最大の楽しみは、天気のよい祭日に妻子や親友といっしょに自然の中でのびのびと過すことである。墓地や神社の境内や、美しい自然の中にある茶店にも行く」》
 《公園や郊外の田園でのどかに一日を過すという習慣は、むろん西洋人とて知らなかったわけではなかろう。(略)しかしそれは貴族の趣味であって、庶民の楽しみではなかった。ベルクは自然のなかで休息し喜戯する習慣が、庶民のあいだにひろまっていることに注目しているのだ。モースは言う。「この国の人々が、美しい景色をいかにたのしむかを見ることは興味がある。誇張することなしに、我国の百倍もの人々が、美しい雲の効果や、蓮の花や、公園や庭園をたのしむのが見られる」》
 ベルクは幕末に来日したプロイセンの画家で、モースは明治10年に来日し東大で教えたアメリカの生物学者だった。
 行楽のうちでも最大の楽しみは花見だった。
 シッドモア(明治17年来日した米人女性)は《横浜近郊の杉田という梅の名所についてこう述べている。「梅見の期間を除けば、杉田の存在はほとんど注目を引かない。・・・花が開くと杉田は休日の雰囲気をかもしだす。茶店も開けば、立て場茶屋もさっと姿を現わし、赤もうせん敷きの縁台をたくさん小森中に並べる。(略)この小さな村里を訪れる者が一日に千人ということも珍しくない。・・・人込みなのに、万事が気品あり、落着きがあり、きちんとしている。枝もたわわな花の下に腰を掛け、沈思、夢想にふける人。梅花に寄せて一句を物し、書き留めた紙片を枝に結びつける人。こうした日本的な耽美ほどあか抜けした悦楽はないのだ」。》

 桜の花見はどうか。
 《川添登によれば、江戸の桜花見の元祖は上野寛永寺で、寛文・延宝期(17世紀後半)にはすでに鳴物入りで酒宴が行なわれていたという。しかし1680年代になると、鳴物は御法度などとかなり規制がすすんで、元文年間(1730年代)には賑わいは飛鳥山へ移り、さらに寛政期(18世紀末)には日暮里が栄え、天保期(1830年代)には向島の全盛を迎えた。「寛政の頃の花見は、たんにドンチャン騒ぎをするのではなく、歌・浄るり・おどり・俳諧狂歌などをする、という、はなはだ文化的な花見となって」いた。》(以上の引用はP450-457)

 今も花見は盛んだが、かつての日本人の方が、より豊かな四季の機微を感じていたように思われる。
 たくさんの花が咲く時節を迎え、ちょっと昔を振り返ってみた。