かつて日本は子どもの楽園だった(4)

 きのうは市議会議員選挙で投票に。途中、近くの畑にエンドウマメの花が咲いていた。畑も明るくなってきた。
 駅の近くに山形の野菜を多く置いている八百屋さんがあって、通りかかったら「アマドコロ」を見かけた。買ってきて茹でて酢味噌で食べた。うまい!甘くてちょっと苦味がある。

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アマドコロ

 かみさんが郊外の山に登った帰りに買ってきたノラボウ菜、ワラビも食卓に並んだ。豪勢だ。ノラボウがまたうまい。東京都西多摩地方や埼玉県飯能市あたりで多く栽培されるアブラナ科アブラナ属の野菜。これに似ているのが、山形県のクキタチ(アブラナ科の野菜)。今が旬である。
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 江戸末期から明治初期に滞日した外国人が、日本は子どもの楽園だと感嘆した話を3回にわたって書いてきた。日本人の子どもを可愛がることは外国人にも向けられた。
 1959(安政6)年、英国領事として長崎に着任したホジソンは妻と二人の娘を伴っていた。長崎の街に出かけたホジソン夫人は、自分の小さな娘がいかに可愛がられたかを驚きをもって書いている。
 「老婆という老婆、また数多くの老人たちも、この娘を愛でるために店から飛び出してきました。そして半ばいざるような恰好で、あとからあとから彼女にお菓子やら、茶碗やら、その他沢山の贈物をくれました。そのため夫のポケットも、二人の役人と通訳の袖もたちまち一杯になってしまいました。私にはまだ、どうして一人の子が彼らにとってこんなに呼びものになったのか分かりません。」
 《ホジソンはその年のうちに長崎を去り、箱館領事に就任したが、ある日奉行所の役人をディナーに招待した。「二人の奉行および奉行格と三人の支配組頭、それに彼らの随員」は、十分に料理を平らげ、シャンパンをたしなんだが、そのうち「家族を大勢もっている奉行格」がホジソンの子どもが列席していないのをいぶかって、いつまでも子どものことを尋ねた。「彼があまり娘のことを聞くので、ついに迎えにやることになった。彼女が現われ、二人の奉行と奉行格に頭を下げると、奉行格はテーブルの端にいたが、手一杯にケーキやお菓子をもって、わざわざ彼女のところにやって来て渡した。エヴァ(娘)はちょっとギョッとしたが、母親の目くばせで『ちょっと会釈』して、奉行格の好意を受けて引き退った」。》
 渡辺京二さんは、これを「文明」に関係づける。
《奉行格はある文明の習慣に従っただけであった。(略)はるばる海を越えて来たこの異人の少女がいとしくてならないだけのことであった。このいとしがり可愛がるというのはひとつの能力である。しかしそれは個人の能力ではなく、いまは消え去ったひとつの文明が培った万人の能力であった。》

 

 現在の日本では、外国にルーツを持つ子どもたちがいじめにあうケースがよくあるという。19日のNHK News Upの「日本に戻らなければよかった」は読むのがつらくなる悲惨な話だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190419/k10011889021000.html?utm_int=all_side_ranking-access_001
 カナダ人の父親と日本人の母親の間に1989年、カナダで生まれた高橋美桜子さんは、4歳半から、母親の典子さんとともに日本で暮らした。

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 中学に入ってから強烈ないじめにあう。
 《仲間はずれにシカト。「天然パーマ」「毛が濃いんだよ」。執ように吐き捨てられる容姿に関することば。
 教科書やノートには殴り書きされた「ウザい」「キモイ」「死ね」といった文字。自分のいすに座って下を見ると机の下にゴミが集められ、教室に戻ると美桜子さんの机が教室の外に出されていました。》
 精神に異常をきたし、美桜子さんは自宅マンションの8階から身を投げて16歳の短い人生をみずから閉じた。
 母親の典子さんは、みんな違って当たり前という考え方のカナダに残っていたら・・と日本に戻ってきたことを悔いているという。

 150年前にあった日本の文明が消え去ったという渡辺京二さんの言葉が迫ってくる。