南京虐殺事件に関する元サッカー選手の本田圭佑氏のXが話題になっている。

まず8日に、石原慎太郎氏と河村たかし氏の対談で、南京大虐殺を否定する部分を出して「僕もそう信じてる」と書き込んだ。

するとこれに批判が寄せられ、本田氏は一転、一次資料などを調べたら、「僕の間違いでした」と虐殺を認め、たくさんの資料をあげた。






と、延々と資料を挙げて南京虐殺はあったと認め、《僕は(略)右とか左とか、どちらとも違うと思ってます。どちらの良い部分も両方持ち合わせた考えだと思ってます。皆さんのような自分の考えとは違う人の揚げ足を取ったり、誹謗中傷をしてる人とは、話し合って分かり合えるとは思っていないですが、自分が日本を愛してること。そして中国にも友人らがいること。これらを伝えておきたいとメッセージしています》と発信した。
これが注目され、内外のメディアで取り上げられた。彼ほどの著名人が、素直に間違いを認めるのは偉いな、と感心していたら、ものすごい数の「批判」「反論」―「科学的に調べたら、虐殺などありえない」「南京に30万人も住民がいないのに、虐殺は不可能」など―いつもの虐殺否定論が寄せられた。
すると、本田氏、「再考」と題して「ありがとうございます。南京事件は結論を出すのが極めて難しい問題ですね。僕も改めてこの事件へは「結論付けが難しい。引き続き勉強が必要」というスタンスでいければと思います」と後退気味に。影響力のある人だけに虐殺否定論者の攻勢はすさまじい。SNSの世界ではほぼ「否定論」で埋め尽くされてる印象だ。
なお、日本外務省のサイトでは「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています」との公式見解が載っている。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/
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本ブログを読んで、私の大学時代の先輩である小池善之さんからお便りをいただいた。
「わたしも、南京虐殺に加担した兵士の軍事郵便を発見し、自治体史その他で発表しています」と1938年1月の兵士の手紙を知らせてくれた。とても生々しく、殺戮を楽しんでいるような描写に愕然とさせられる。
《昭和拾三年お□て居たね。おめでたふね・・
其の後久し(く)御無音に過(ぎ)て申(し)訳有(り)ませんね。悪(し)からず。其の後君も元気で御暮(らし)の事と察(し)申(し)上げます。降って小生も元気で軍務に努力して居ますから安心して下(さ)い。
北支以来船の中で一度手紙お君の所に手紙出(し)たが、それも君の所についた事が(ママ)知(り)ませんが、とにかく北支から中支に派遣され、タンク(塘沽)港より敵前上陸にて今日まで幾拾日は過(ぎ)た。其の間久しい間便(り)おする所も無い、広州(杭州?)から南京まで百里の余(り)も毎日毎日行軍で苦労したよ。全く此の時程国の為にはこんな苦労もするかと思ったよ。米なぞも都合悪く汽車の便も無いので内地から来ず、毎日生じおに南京米のくさった用(な)物お食べて十日も暮(ら)したよ。この十日間は真実死んだ方が良いと思ったよ。沢山な病人も出来たよ。病気何ぞにかかったら哀れな物だよ。薬も無く病室も無くひどい物だよ。全く人間らしい生活で無いよ。
南京に来て見れば、さすがは世界に誇る南京だ。高い城壁は五間だ。横十五間の城壁だ。これには我が軍も苦労したよ。横三里、縦六里が南京の町で、其れお包んで城壁が有(る)のだよ。其の町も今は一軒も満足な家は無く、唯焼残(り)が有るのみで哀(れ)なものだよ。三階も高い家も有って、内地の用(ママ)に平屋なぞ一家(ママ)も無く三階以来だよ。
其の町に南京政府、敵様が居た。兵営も有り、海軍部等も有って、支那軍も相当常に軍事教練おして居たことが思われるよ。
自分等の居る所は、此の城外である。城外でも揚子江の沿岸で中国銀行。家は五階で有るが、三階までは焼(け)て居る。自分等の居る隊は乙兵站部で、隊長は青木少佐で有って良い人です。兵站部は食糧等の分配おして各部隊にやる所である。揚子江お船で来る全部の荷物が自分等の所に来るのです。沢山な荷物お五十人足の兵で歩哨に立(つ)ので中々苦労は多いよ。
去年の三十一日まで支那兵の捕(え)たのお、毎日揚子江で二百人ずつ殺したよ。川に、手おしばって落として置いて、上から銃で打(ママ)ったり刀で首お切ったりして殺すが、亡国の民は実に哀れだね。まるでにわ鳥(ママ)も殺す用(ママ)な気がするよ。十二月二十七日の夜は、兵站部に食糧お盗(み)に来たので七人捕(まえ)て銃剣で突(き)殺したが、面白い物だったよ。全く内地にては見られない惨状だよ。
正月は支那の餅米で餅おついて食って三階の屋上で隊長以来列して東の空お向いて万歳お叫んで故郷お思って酒お戦友達と呑んで一日暮(ら)したよ。
又色々書いて送らふ。久(し)ぶりで通知のみせよふ。逢った友達等によろしく伝(え)てくれ頼むよ。謹賀新年と伝(え)てくれ。》
この兵士も故郷ではごく普通の市井の民なのだろう。
「戦争は人間を悪魔にする」などと一般論にしてはならないと思う。
まずは侵略軍の所業である。ブチャはじめウクライナ各地で虐殺・略奪を行うロシア軍の兵士、ガザで食糧配布を受け取りに来る子どもたちをゲームのように撃ちまくるイスラエル軍の兵士に通じる。
当時、日本軍では、上官が兵士にどんどん殺せ、レイプしろと指示していた。また、国際法を無視して捕虜を人間扱いしていない。軍隊内のリンチなどの暴力的体質、現地調達にたよる兵站思想、中国人はじめアジア人への蔑視などなど「侵略したわが日本の問題」として捉え、反省しなければ教訓にできない。
こういう一次資料を広めて、これからの日本を考える材料にしていきたいと思う。
(つづく)