ガザの絶望3

 先週のNNNドキュメントは55分の拡大版で「南京事件?」を放送。見ごたえがあった。

 《かつて日本が行った日中戦争や太平洋戦争。残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。》http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-93.html
 2015年10月の「南京事件 兵士たちの遺言」はこのブログでも書いたがhttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20151019今回はその続編。清水潔さん、執念の取材である。南京事件はなかったとする本や雑誌記事がたくさん出回っているが、それらをほぼ最終的に論破することに成功していると思う。
 終戦の日、陸軍参謀本部で煙が上がっていた。戦犯追及を逃れるための文書の焼却命令によるものだった。96年、燃え残った紙が発見され、その中には「南京ヲ攻略スヘシ」と書かれたものが・・・そこから検証に入っていくオープニングがいい。
 都合の悪い公文書を無きものにしようという仕業。視聴者は、今の日本の政治と重ね合せて観たのではないだろうか。きょう20日に日テレBSとCS「日テレNEWS24」で再放送されるほか、Youtubeなどでも見られるのでぜひご覧ください。
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 『ガザの空の下』続き
 この本で印象に残った子ども二人を紹介しよう。
 《12歳の少年アハマッドは、私に一枚のポスターを持って近づいてきた。聞くとそのポスターに写るのは、イスラエル軍検問所に自爆攻撃を仕掛けようとして見つかり、射殺された叔父だという。彼は、「早く大人になって叔父のような殉教者になりたい」と話した。
 その後ガザから入植地は撤収し、今では入植者もイスラエル軍もいない。自分たちを苦しめ続ける「敵」は、今では目の前に姿を見せることもほとんどない。「僕は必ず成功してみせる」と、決意に満ちた暗い目で私のカメラを見据えた少年は、どんな青年になったのだろう。》(P59)

(『ガザの空の下』P267)
 イスラエル軍が「緩衝地帯」を広げるとして民家を砲撃とブルドーザーで大量に破壊したあとの、大震災のあとより酷い瓦礫の原になったラファを訪れた2005年冬。
 《話の途中、ほんの軽い気持ちで私はファティマにつまらない質問をした。
 「大きくなったら何になりたいの?」
 しかし、返ってきた答えは思いがけないものだった。
 「朝、目が覚めて自分が生きていると分かったらその日何をしようかと考えるけど、いつ死ぬかもしれないから先のことは分からないな」
 答えの重さに驚いていると、彼女はさらに続けて言った。
 「将来のことは、大人になるまで生きていたら考えるよ」
 わずか十歳の少女があまりにも淡々と語った「死」に、私は何も言葉を返すことができなかった。》(P92)
 このファティマのエピソードが「天声人語」に紹介されていたが、暗澹たる気持ちにさせられる。

 北朝鮮の収容所をのぞけば世界でもっとも閉塞感のある場所ではないかと思われるガザの現状は、子どもの心にも深い影を投げかけていた。
(つづく)