「戦争の加害パネル展」に行ってきた。
「記憶の継承を進める神奈川の会」が毎年行っているもので今年は第10回になる。
中国に関するものが主だが、沖縄戦からシンガポール、マレーシアでの虐殺まで網羅しており、非常に見ごたえがあった。

私は学生中国研究会で活動していたので、南京大虐殺や731部隊など、日本の加害についてはそれなりに知っているつもりだったが、一つひとつ見ていくと改めて日本がやってきた加害の凄まじさに身震いする思いがした。
例えば、「万人坑」。大量の遺体をまとめて埋めた大きな穴や集団埋葬地であり、お墓ではない。数百人、数千人、数万人が埋められた場所が中国各地にある。「平頂山事件」(村人3千人が虐殺された)など軍が大虐殺したところもあるが、過酷な労働に動員されて大量の衰弱死や事故死が出た現場もある。
「満州鉱山労働者期間別生存率」のグラフは衝撃だった。満州内の14事業所1943年前半の調査結果とある。

鉱山労働者が死亡するまでにどのくらいの期間、労働したのかを表している。労働期間つまり生存期間3カ月が半数!つまり3ヶ月後には労働者の半分しか生き残っていないというのである。半年が2割、1年経つと1割に。北朝鮮の政治犯収容所をしのぐ想像を絶する過酷さだ。
こうした劣悪な労働条件に抗議、抵抗して殺された人も少なくないという。
また、日本軍が毒ガスを多用していた事実も重かった。パネル展では元日本兵の証言ビデオの上映もあり、ある兵士が、地下壕を掘って抵抗する中国の兵や村人を、毒ガスで燻し出して殲滅する体験を語っていた。ひんぱんに使用したという。
日本は中国全土に遺棄した毒ガスを含む化学兵器を処理しているが、その多さに驚かされる。そして今も、被害を被る人が出ている。まだまだ加害は終わっていない。
なんとむごいことを私たちの先達はやってしまったのかと胸が痛い。
救いだったのは、入場者に若い人が多かったこと。加害の事実はもっと知られなくてはならない。そして、加害を繰り返さない国を作るのが本当の意味の「反省」になるのだろう。


加害という観点から安倍談話をもう一度読み直してみる。
安倍談話は、「植民地支配」と「侵略」は言葉としては残っているが、「植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました」と、一般論として言及されるだけで、日本がやったことだとはっきり言っていない。
さらに、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と日露戦争を美化する文脈に使われている。
「侵略」は一度だけ出てくるが、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」とここも一般論である。
「反省」については、村山談話、小泉談話では首相自らが反省しているのに対し、安倍談話では「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」と自身の言葉としては使っていない。
この談話で際立つのは、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という、以下の安倍談話のライブ映像の17分20秒くらいからの部分だ。
安倍談話作成に関わった北岡伸一東大名誉教授が背景を語るインタビューも参考になる
https://www.youtube.com/watch?v=oUMzwAHdusk
安倍談話の「もう謝罪はやめようというメッセージ」は世論に支持されたとされる。
これに対してジャーナリストの布施祐仁さんは謝罪が十分かどうかは、本来被害を受けた側が判断することだという。
「少なくなっているとはいえ、存命の被害者もいる。その人たちを前にして『日本はもう十分誤ったから、今後は一切謝罪しない』と言えるだろうか。それは、被害者への誠意を欠いた、とても傲慢な姿勢だと思う。
石破首相は自著に『時がたてば戦争の加害者は忘れてしまうことも、被害者は絶対に忘れない』と記している(「保守政治家 わが政策 わが天命」)。その通りだ。戦後80年にあたって、首相には被害者に誠実に向き合う談話を発表してほしい」(南日本新聞の「論点」8月4日)
明日はいわゆる「終戦の日」だ。