戦後80年の「石破見解」をめぐって④

 トランプとプーチンの首脳会談に反対する緊急行動が世界で行われている。

 チェコプラハアメリカ大使館前での抗議行動では、ナチスドイツによるチェコ・ズデーデン併合を認めた1938年のミュンヘン協定の過ちを繰り返さないよう訴えたという。

 東京でもウクライナの頭越しに決めるな! 米ロ首脳会談に抗議する!8.15米国大使館緊急行動」ウクライナ民衆連帯募金が呼びかけ)があったので参加してきた。

15日13時半からの抗議行動。旧JTビル前にて。気温33度。熱中症対策をして参加。

遠くにチラッと見えるアメリカ大使館にむけシュプレヒコール

今はデモが近付けないアメリカ大使館

手作りのポスターやプラカードもって

 ウクライナの領土の一部をロシアに割譲する案が取り沙汰されているが、侵略の既成事実を国際社会が認めてしまうとさらに侵略が加速するというのが歴史の教訓だ。ナチスドイツだけでなく、日本の大陸侵略でもそれは繰り返された。

 そして領土というのは単に土地だけを意味するのではなく、そこに住む人々とそこに築かれた社会がある。ロシア軍の占領下に置かれた地域でウクライナの人々が受けた酷い人権侵害(2万人の子どもがロシアに連行された)、殺戮、暴行、性被害を考えれば、ウクライナが領土を明け渡すことを拒否するのは当然だ。そこに「ディール」が介在する余地はない。だからDon‘t Sell Out Ukraine! ウクライナを売り渡すな)である。

 アメリカ大使館にデモをかけると思って参加したのだが、治安上の理由とかで大使館から100メートル以上離れた赤坂1丁目の交差点でブロックされ近付けない。イスラエル大使館もそうらしい。ロシア大使館は少人数(5人くらい)で順番に入口近くに行って抗議した。こんなふうにデモ、集会が規制されている先進国はあるのか?私が学生の頃(半世紀前)は大使館入口前までデモ隊が押し掛けたものだが。

 少人数ではあっても、日本でも声を上げている人たちがいることをウクライナの人々に知らせたい。連帯しているよ、と。
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 最近、総力戦研究所」の「必敗」予測が話題になっている。今朝の朝日新聞朝刊は一面と二面を使って特集している。

15日朝日新聞朝刊一面

 1941年夏、首相直属の研究機関総力戦研究所アメリカとの戦争をシミュレーションした。30代を中心とした若手研究生36人が集められ、部外秘のデータも使って1ヵ月間の検討の結果、「戦争は長期戦になり、日本の国力は数年で尽き、終局ソ連参戦を迎えて敗れる」との結果になった。経済指標で見ても、太平洋戦争開始時の日米は、GDPでも粗鋼生産でも10倍超の差があり、数字上も国力の差は歴然だった。それなのに、日本は同年12月にアメリカとの戦争に突入していった。

 研究所の所長を務めたのは、のちに南方軍総参謀長としてフィリピン戦を戦った飯村穣・陸軍中将だった。そして、実は、その7年前、1934年にも参謀本部内で、陸軍参謀本部の欧米課長だった飯村を中心に、対米戦の研究を行っていたことが分かった

朝日新聞2面

 飯村の孫にあたる元駐仏大使の飯村豊さんが、去年夏に書斎の整理中、祖父の著作を手に取ったことで気づいたという。その著書には、飯村穣の呼びかけで10日間の「図上戦術」を行ったとある。報告書は3部作られ、参謀本部と.石原莞爾作戦課長(満州事変を首謀した軍人)と飯村自身が持っていた。飯村は戦後焼却し、残りの2部がどうなったかわからない。飯村はこの演習(シミュレーション)を、1934年当時に「米国と戦うべしとの意見が、盛んに行われ」るなか、「王手のない敵との戦争がいかに困難であるかを知ってもらうため」に行ったと著書に書いている。結論が「必敗」であったことは明らかだ。

 日本テレビが飯村豊さんのインタビューを報じているので参照されたい。

news.ntv.co.jp

 

 今もその報告書を探している飯村豊さんは、「欧米の事情に通じ、米国との国力の差を把握していた祖父は、対米戦の厳しさを伝えたかったのだろう。祖父の演習が行われたのは、日中戦争開始の3年も前のこと。歴史の分岐点はたくさんあったということだ」(朝日)と語る。

 1934年という早い段階で、参謀本部も.石原莞爾作戦部長も対米戦は勝ち目がないと分かっていたというのである。問題は、こうした「実態」に基づかない作戦を立て、国策を決めていく「体制」ということになる。

 その意味で、「二度と戦争をおこさない仕組み」が大事だという石破茂首相の「見解」に注目したい。

 

 ちなみに、飯村豊さん私が日本電波ニュース社支局長としてマニラに駐在していたころ、フィリピン大使館の参事官で、大変お世話になった。日本大使館はえてして大手メディアとそれ以外の独立系通信社やフリーランスを差別する。これについては当時フィリピンで、若王子・三井物産マニラ支店長とフリーカメラマンの石川重弘さんの二人の誘拐事件の扱いの差を語ったYoutubeをご覧ください。

www.youtube.com

  でも飯村豊さんは私たちを大手メディアと平等に扱ってくれ、感謝している。

 

 ただし、上述の対米戦シミュレーションの論じられ方には問題もあると思う。きのうのブログに紹介した、安倍談話作成に関わった北岡伸一東大名誉教授がインタビューで、「負ける戦争をやったのが間違いで、勝っていたら問題はなかった」という意味の発言をしている。勝てばよかったのだろうか?

 また、ここでは対米戦のみに焦点が当てられ、その前提となった中国への侵略とそこでの消耗戦というよりスパンの長い戦争を問題にしていない。中国には勝ったからよかった(実態は全然勝ってなどいなかったのだが)が、対米戦は負けたので国策を誤った、ということでいいのか。

 もっというと、対米戦の前は、「戦争」として扱われていないのである。いつまでも「先の大戦」といい続け、あの戦争に名前を付けられないでいる日本の宿痾である
(つづく)