先週末、長野県上田市に住む友人を、自宅の改築祝いで訪問した。
そしてこの機会に、一家四人ですばらしい豪邸におしかけて信州の秋を楽しんできた。
家の近くを散歩していたら、お寺のそばで柿を採っている人がいる。
「こんにちは」と挨拶すると、柿をもいでいたおにいさんが近寄ってきて「持っていきなさい」とどっさり分けてくれた。やさしいなあ。娘たちも感激していた。
このあたりは昔は気温が低く、甘柿でも渋い実がなったが、最近は甘いのだという。実際、友人の家に帰って食べたら甘かった。みな、温暖化のせいだといっているという。東北などでもよく聞く話だ。農家は温暖化を自分の畑で実感している。
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2ヶ月ほど前、朝日新聞に渡辺京二のインタビューが載った。
幕末維新のころ異邦人の目に映った幸福と満足にあふれた日本人の姿が紹介された『逝きし世の面影』が12万部を超すロングセラーになっている。著者に、なぜ日本が生きづらい世になったのかを聞いている。
この本は、私の愛読書でこの日記でもしばしば引用している。
d.hatena.ne.jp
インタビューで著者の意図がいっそう理解でき、とても面白かったので、紹介したい。
明治初期に東大に招かれた米国の動物学者モースは「日本に貧乏人はいるが貧困は存在しない」と言った。
日本の貧乏人には、欧米の都会の労働者の打ちひしがれた絶望の表情が、見られないと驚いている。
江戸には膨大な貧乏人がいたが、彼らはそれぞれ居場所を持って食べていけた。家具もほとんどない粗末な長屋で、食事になると美しい食器を使う美意識。親はしつけで子どもを叩かない「子どもの楽園」。これらにも外国人は驚いた
以下、渡辺さんの言葉。
《維新後に司法省顧問に呼ばれたフランス人のブスケは、日本の労働者はちょっと働いたらすぐタバコ休みにする、これでは近代産業を移植するのは無理だと考えた。当時の日本人はまだ、自分が時間の主人公だったんですよ。地固め工事のヨイトマケをみたモースも、日本の労働者はまず歌い、それから滑車の綱を引くと。なんで労働の手を休めて歌うのか、不思議に思うんです。要するに労働は資本主義の賃労働と違って、遊びと分離されておらず、楽しみが含まれていた。そういう非効率なものを排除していったのが近代化だったわけです》
まるでメルヘンの世界ですが、そんな時代を取り戻そうと、という趣旨で本を書かれたのですか。記者が聞くと
《違います。一度失った文明は取り戻せるはずもない》と一蹴し、こう言う。
《私たちは彼らの観察を通して、近代化で失ったものの大きさ、豊かさを初めて実感できます。いま私たちが生きている近代文明の本質も見えてくる。たとえば、いくら江戸時代がいいといっても当時の平均寿命は今の半分以下だったんだぞ、という批判があります。でも、その前提にある「寿命は長ければ長いほどいい」という価値観が、すでに近代の発想なんです。人は時代に考えを左右される。その思考枠に揺さぶりをかけ、いまの社会のありようを相対視したかったのです。》
たしかに、私の周りにも長生きに励む人が多い。
(つづく)