まだ寒い日が続くが、品川橋の近くの荏原神社では寒緋桜が満開だ。
だんだん散歩が楽しみになってくる。
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ロシアによるウクライナ侵略一年。『朝日川柳』掲載句は―
一年前まだましだったこの地球 (岩手県 奥山与惣美)
爆撃を受ける国土と受けない国土 (神奈川県 瀬古修治)以上24日付
ヒトラーもこうだったのかと見るテレビ (埼玉県 椎橋重雄)25日付
国連総会は23日、ロシア軍に「即時、完全かつ無条件の撤退」を要求し、「ウクライナでの包括的、公正かつ永続的な平和」の必要性を強調する決議案を141カ国の賛成で採択した。
反対したのはロシアのほか、ベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、マリ、ニカラグア、シリアの7カ国で、前回より2カ国増えた。中国やインド、イラン、南アフリカなど32カ国は棄権票を投じ、13カ国は投票しなかった。
決議に法的拘束力はないが、ウクライナ侵攻から1年が迫る中、国際社会の中でロシアの孤立は再び確認された。
一方で、ロシアを撤退へと追い込むのに、「民主主義VS専制主義」の構図を振りかざすことへの疑問、批判が次第に強まっているように思われる。
『朝日新聞』の24日の社説は―
「バイデン米政権が説く『民主主義対専制主義』といった対立軸では、かえって世界の分断を深める恐れがある。
ここは『武力による一方的な国境変更は認めない』という法規範を掲げたい。国連憲章がうたう基本ルールであり、大多数の国が賛成できるはずだ。」と説く。
過去、アメリカはアフガニスタンで「自由と民主主義」の錦の御旗のもと、20年もの戦争を行い、すさまじい人的被害と国土の破壊をもたらした。ベトナムやイラクの戦争も同様で、「民主主義」を侵略や占領の理由付けに使ってきた。
今は欧米はウクライナ支援で盛り上がっているが、アジアやアフリカ、ラテンアメリカで専制主義政権に人々が虐殺されても助けなかったし、例えば自由選挙で選ばれたチリのアジェンデ政権を謀略と暴力で倒したのはアメリカだったではないか。
その欧米諸国が掲げる「民主主義」の理想は説得力を持たないばかりか、世界を分断すると強い反発が出てくるのはうなづける。
国連決議が圧倒的多数の賛同を得たのは、あくまで「武力による一方的な国境変更は認めない』」という国連憲章に沿った主張だからである。この憲章のラインで世界の国々をまとめていくしかない。
きのうのTBS『サンデーモーニング』で、ウクライナ侵略一年にあたっての田中優子さんのコメントが興味深かった。
「ちょうど一年前に戦争が始まった時に、国連安保理でケニアのキマニ国連大使という方が、演説をしたが、その内容は―アフリカは植民地化されていたから、直線で国境が分かれている。同じ民族でも直線で分けられてしまっている。もちろん自分たちは一緒にはなりたいけれども、その同質性というのを追求していくと、何十年も戦争を続けることになると。だからそういうことはしたくない。私たちは国連のルールに従うことを決めたんだと。国連のルールというのは、国連憲章がうたっている、武力による一方的な国境変更は認めないというのが国連のルールだけれども。たしかにキマニさんが言ったように、戦争を始めたら、何十年も終わらない、終えることができないということ、それから戦時下の日常がずっと続くということ、ほんとにこのことを目の当りにしているんですよ。自分たちはそういうことを起こさないという決断がいかに大切かということを、一年で改めて感じますね」
キマニ大使の演説は、ロシアの行為を非難しているのだが、同時にその裏に、植民地主義を主導した欧州への批判も込められている。いまの世界秩序なるものが過去からの力の論理で形成されてきたことを反省させられる。
民主主義、民族自決といった基本的な概念が見直される時代になってきたのか。歴史に学んで、戦争を起こさせない智慧を学びたい。
以下、資料として、マーティン・キマニ国連大使の22年2月21日の演説全文を紹介する。田中優子氏は「戦争が始まった時」と言っていたが、正確には2月24日の開戦の直前、ロシアがウクライナのドネツク、ルガンスク州の一部を独立国として承認したことに対する演説である。
この状況は、私たちの歴史と重なります。
ケニア、そして殆どのアフリカの国々は、帝国の終焉によって誕生しました。
私たちの国境は、私たち自身で引いたものではありません。ロンドン、パリ、リズボンといった遠い植民地の本国で引かれたものです。
いにしえの国々の事など何も考慮せず、彼らは引き裂いたのです。
現在、アフリカの全ての国の国境線をまたいで、
歴史的、文化的、言語的に深い絆を共有する同胞たちがいます。
独立する際に、もし私たちが民族、人種、宗教の同質性に基づいて、
建国することを選択していたのであれば、
この先何十年後も血生臭い戦争を繰り広げていたことでしょう。
しかし、私たちはその道を選びませんでした。
私たちは既に受け継いでしまった国境を受け入れたのです。
それでもなお、アフリカ大陸での政治的、経済的、法的な統合を目指すことにしたのです。
危険なノスタルジアで歴史に囚われてしまったような国を作るのではなく、
未だ多くの国家や民族、誰もが知らないより偉大な未来に期待することにしたのです。
私たちは、アフリカ統一機構と国連憲章のルールに従うことを選びました。それは、国境に満足しているからでなく、平和のうちに築かれる偉大な何かを求めたからです。
帝国が崩壊、あるいは撤退してできた国家には、
隣国との統合を望む多くの人々がいることを知っています。
それは普通な事で理解できます。
かつての兄弟たちと一緒になり彼らと共通の目的を持ちたいと
思わない人など、いるものでしょうか?
しかし、ケニアはそうした憧れを、力で追求することを拒否します。
私たちは、新たな支配や抑圧に再び陥らない方法で、
滅びた帝国の残り火から、自分たちの国を甦らせないといけないのです。
私たちは、人種、民族、宗教、文化など、いかなる理由であれ、民族統一主義や拡張主義を拒むのです。
我々は......今日、再びそれを拒否したいと思います。
ケニアは、ドネツクとルガンスクの独立国家としての承認に重大な懸念と反対を表明します。
さらに我々は、この安保理のメンバーを含む強大な国家が、国際法を軽視するここ数十年の傾向を強く非難します。
多国間主義は今夜、死の淵にあります。
過去に他の強国から受けたのと同様に、今日も襲われているのです。
多国間主義を守る規範のもとに再び結集させるよう求めるにあたり、
私たちはすべての加盟国が事務総長の後ろ盾となるべきです。
また、関係当事者が平和的手段で問題解決に
取り組むように求めるべきです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000246701.htmlより