「すごみ」のないすごい人たち

takase222012-02-18

こないだの日曜12日、フジテレビで「グレートジャーニー(最終章)人類が列島へ辿り着いた海のルート4700?」が放送された。
探検家で医師の関野吉晴さん(63)が日本人のルーツをたどるというもの。
関野さんは、人類が誕生し米大陸まで拡散した行程をさのぼる「グレートジャーニー」を、1993年に南米チリからスタート。02年にタンザニアにゴールイン後、04年には「新グレートジャーニー 日本人の来た道」に出発した。
《既に2ルートの旅を終え、今回は海洋ルート。約1年かけてカヌーを作り、21年4月にインドネシアを出発。台風などによる2度の中断にもめげず、昨年6月に終着点の石垣島に至った》
できるだけ「手作り」でというコンセプトで、九十九里海岸で砂鉄を集め、岩手で炭を焼いて、たたら製鉄で斧、ナタ、チョウナ、ノミを製造。インドネシアで木を伐り、船を造った。人類が列島までたどりつく当時を偲ぶためだ。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111003
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番組を観ながら、関野さんって、すごいことやってるのに、人間に「すごみ」を感じさせないね、とかみさんに言うと、「昔、関野さんは、『冒険界の玉三郎』と言われていたのよ」という。生身で接している人間像とやっている冒険のすごさとのキャップを女形にたとえたのだそうだ。
放送の少し前、かみさんは、宮本常一先生を偲ぶ会で、関野さんの隣になったそうだが、冒険の話は一切出ずに、昔話で盛り上がっておしまいだったという。
かみさんは昔、宮本常一先生の子息、宮本千晴さんが編集長の『あるくみるきく』で働いていた。それで私も冒険家たちと知り合いになったのだ。
その中でも、関野さんは普通のスケールの人ではない。
アフリカ大陸にゴールインしたあと、「新グレートジャーニー」を始めると関野さんが言ったとき、奥さんが「ばかな人だと思ってたけど、そこまでばかだと思わなかった」と言ったという話は以前書いた。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100509
当時十歳だったお嬢さんはそろそろそろ二十歳だと思うが、いつも家を空けていたお父さんをどう見ているのか、聞いてみたい気がする。同じくらいの娘に手を焼いている私としては。
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おととい16日、荻田泰永さんが北極点無補給単独徒歩到達への挑戦のため、成田を飛び立った。
荻田さんは去年、人生をかけて地球に挑む冒険家らを対象にした「第3回ファウストA・G・アワード」で、北極圏1600kmをノンフィクション作家の角幡唯介さんと徒歩で踏破したことで冒険家賞に選ばれている。
極地探検史上最大の謎とされる、129人全員が行方不明になったフランクリン隊の消息をたどったものだが、その行程は過酷そのものだったという。3月上旬、カナダ北部のレゾリュートを出発し、海氷の上をテントや食糧など100キロの荷を積んだソリを引いて進んだ。7月のゴール時には体重が10キロ近く減っていたという。
この報告を聞きに行ったのが、荻田さんと会った最初だった。このときで北極は11回目だったという。
二度お会いしたが、この人も「すごみ」を感じさせない人だった。直感的に「本物」だと思った。
北極になんでそんなにこだわるの?
《私がこだわっているのは「北極に行く」という目前の行為ではなく、その向こう側にたしかに存在している(と確信している)世界です。
ある行為を通して見える世界。
自分の内面であったり日本の日常であったり、野生の世界であったり、春になったら雪が溶けて花が咲くことの幸せであったり。
「行為の先にある世界」に行くためにはその行為が強烈であるほど、過酷であるほど、異世界であるほど自分の目には鮮明に映ります。
その「先の世界」へ行くための手段としての「北極」があり、北極点到達という一つの「行為」も私にとっては一つの通過点でしかありません。》
http://www.ogita-exp.com/
私にはよく分からないけど、成功を心から祈っている。