人類はアフリカから2万年で日本に達していた

takase222013-06-12

このところ、高橋真梨子の対談番組を二回テレビで観た。
先日は万田久子との、きょうは吉田拓郎との対談。
16歳で九州から上京してスクールメイツに2年いたことや、更年期障害に悩まされていたことなど、初めて聞くエピソードが満載で興味深かった。
人生の最後に聴きたい曲は、ムーンライトセレナーデ(グレンミラーオーケストラ)だという。お父さんがクラリネット奏者で、この曲のクラリネットのビブラートを練習していたのを思い出すそうだ。そのお父さんは、彼女が15歳のとき亡くなった。父を語る表情がよかった。
対談の合間に流れる彼女の歌にひたった。
実はペドロアンドカプリシャスの初代ボーカル前野曜子が好きで、突然彼女が消えて、高橋真梨子に代わったときには、やけにハスキーな声だなと違和感を感じたことを憶えている。それがだんだん中毒のように魅せられていった。
「別れの朝」「ジョニーへの伝言」「五番街のマリー」。長い髪のかわいい若い頃の彼女もいいが、歳をとって円熟してますますいい女になっている。もう64歳だという。元気に歌いつづけてほしい。
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人類最古の足跡を残したのは360万年前のアファール猿人だとされるが、人類の母などと呼ばれる「ルーシー」もやはりアファール猿人で、318万年前の骨がエチオピア北東部で発見されたという。猿人(アウストラロピテクス)は700万年前に出現したとされ、次第に北へと移動して200万年前くらいにアフリカの外に出ていく。
次に原人(ホモ・エレクトゥス)がまたアフリカに発祥し、やはりユーラシアへと広がっていく。これがジャワ原人北京原人などになっていったようだ。
そうして旧人ネアンデルタール人など)が生まれ、これを駆逐する形で我々の直接の先祖の新人(ホモ・サピエンス)が世界中に広がっていった。
つまり、層のように次々にアフリカから出発してはユーラシア大陸に移動していったのだが、この過程を想像すると、その雄大なスケールに、じわじわ元気がわいてくるような気がする。
私たちの先祖である新人(ホモ・サピエンス)は20〜15万年前にアフリカに出現。アフリカを出たのが6万年前だった。はじめのルートは、今のエチオピアあたりからアラビア半島の南部へ、ついで5万年前に今のエジプトから北へと移動していったらしい。
オーストラリアには4万5千年前、日本には4万年前に達したとされる。
アフリカを出発して、わずか2万年でこの日本列島まで来ている!
さらに、1万5千年前には、ベーリング海峡を渡って今のアラスカに移動。そこから南下して南米の最南端に達するのが1万年前。ものすごいスピードである。
もちろんそれは一本の単線ルートではなく、小さな渦巻きのようなものがたくさん合わさった流れだったのだろう。日本列島にも、シベリアから、朝鮮半島から、フィリピン・台湾など南洋の島からいくつかのルートをたどり、それぞれが時期を異にするいくつもの波となってやってきたはずだ。
グレートジャーニー展はこの新人の移動の軌跡を見せてくれた。人は砂漠、熱帯雨林、極地など実に多様な環境に非常にたくみに適応しながら旅を続けていったのだ。写真は極地コーナー、白熊の巨大な剥製がある。
展示を見ていくと、人類の素晴らしさに感嘆するとともに、連帯感を感じるようになる。結局、世界中の人々はみなアフリカ起源であり、親戚同士なのである。
だが、アフリカ単一起源説は、場合によってはナショナリズムにとって都合が悪い考え方になる。
アリス・ロバーツ『人類20万年遥かなる旅路』によると、中国では100万年前の北京原人が今の漢民族の直接の先祖であり、中国が人類発祥の地とされているという。ロバーツは、ナショナリズムの学問に対する影響力の強さに辟易する。(もっとも、復旦大学の研究者は、遺伝子研究で北京原人と今の中国人は断絶していることを認め、人類のアフリカ起源説を支持していることを知って安堵している。)
大きなスケールでみれば、人類はみな「流れ者」であり、「純粋な民族」も「固有の領土」もない。
私たちがめざすべき愛国心は、このスケールを踏まえたうえで形成されなければならないと思う。