横田滋さんの逝去によせて8-「美談」にされた拉致

    「拉致問題の解決のために、何かしたいんですが」
 「何かお手伝いできること、教えてください」
 これまで何度、尋ねられたことか。

 拉致問題ほど、国民が「何かやりたい」と思い、大衆運動の巨大な潜在エネルギーを持つテーマはないだろう。それをまざまざと見せつけられたことがあった。

 小泉訪朝のあと、10月15日に5人が帰国した。
 その後、2週間の予定滞在期間を越えても日本に留まるとの方針を政府が打ち出すと議論は沸騰。北朝鮮との「約束」を守って、5人はいったん北に帰すべきだとの意見もあり、北朝鮮とどう向き合うべきかに、人々が強く関心をもった時期だった。飲み屋で熱く議論する姿を見ることも珍しくなかった。私もひんぱんにコメンテーターとして、テレビのワイドショーなどに呼ばれていた。

 11月4日、日テレの「ザ・ワイド」に出演し、レギュラーの有田芳生さん(現参議院議員)とスタジオで同席した。放送後、有田さんから、米紙『ニューヨークタイムズ』に拉致問題の意見広告を出さないかと誘われた。
 拉致問題は、もちろん日本と北朝鮮との間の問題ではあるが、これからさらに事態を動かすには、国際的な働きかけが必要だと思っていた私は、その提案に一も二もなく賛成した。

 有田さんは、湯川れい子さんや勝谷誠彦さんなどを誘って「7人の会」を作った。かなり「右」の人から筋金入りの「左」まで入った顔ぶれの統一戦線だった。

 ネットで募金を呼びかけると、驚くほどの勢いでお金が集まり、クリスマス直前の12月23日付「ニューヨークタイムズ」に、拉致事件を伝える“This is a Fact”(これは真実です)と題する全面広告を載せることができた。

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 横田滋さんもこの企画に賛同し、自ら募金してくれた。
 集まったのは1400万円。広告費が650万円だったので750万円もの余剰金が出た。「家族会」に寄付することにし、有田さんが全額を横田滋さんに手渡した。おそらく「家族会」への一回の寄付としては、過去最高の金額だっただろう。

 2009年、膠着する拉致問題を少しでも動かそうと、再び「7人の会」が海外への呼びかけを行うことにした。
 ちょうど、リーマンショック対策の「定額給付金」が予定されており、その使い道に迷ったらぜひ寄付をと呼びかけると、今度もまたすさまじい勢いで募金が寄せられ、総額は1950万円に達した。

 この時は「ニューヨークタイムズ」の紙面でオバマ大統領に訴え、さらに仏紙「ル・モンド」、韓国三大紙(「朝鮮日報」「東亜日報」「中央日報」)にそれぞれ全面広告を載せている。
 基調は、北朝鮮による拉致は、世界が見逃してはならない人権問題だという主張で、例えば「ル・モンド」向けなら「ナチズムを思い起こしてほしい」などと、国ごとに文章を変えて、拉致問題の解決をアピールした。

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 これは2009年4月28日付 The New York Times 。DOU YOU DARE OVERLOOK THE HELL NAMED NORTH KOREA?(北朝鮮という地獄を見過ごすなど、あっていいのでしょうか?)のタイトルの下に、「我々日本人は、オバマ大統領に、北朝鮮の人権侵害を解決するための共同行動を求めます」
 入れた写真は、めぐみさんと二人の弟(上)、政治犯収容所の衛星写真(右)、脱北者救援中に中国から拉致された米国永住権保持者のキム牧師(左)。
 アピールは大統領への呼びかけ文で書かれている。

 この活動をつうじて痛感したのは、拉致問題に寄せる関心の高さと、「拉致問題解決のために行動したい!」という潜在的なエネルギーの大きさだ。

 それなのに今、呼びかけられるのは署名やカンパという旧態依然としたものばかり。多くの市民がよろこんで参加できる形の活動が見当たらない。
 弾圧の中立ち上がる香港の若者や、アメリカ全土を席巻する人種差別撤廃運動を見るにつけ、拉致問題が、日本の市民のエネルギーを有効に引き出せていないのが残念だ。支援団体はもちろん、私のように拉致問題に少しでも首を突っ込んだものは、反省すべきではないか。
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 1997年2月4日、元北朝鮮工作員安明進氏から「めぐみさん目撃証言」を引き出した私は、残りの時間で、ほかに日本人拉致の事例を知っているかと質問している。
 安氏は、先輩の工作員から聞いたくつかの例の一つとして、こんな話をした。

 北朝鮮工作船が日本の領海を進んでいると、後ろから小さい漁船がついてきた。
 工作船であることが発覚することを恐れた工作員たちはUターンしてその漁船を襲い、のっていた3人を捕まえた。一人は激しく抵抗したので、その場で殺して死体を沈め、漁船を「始末」した。
 場所は「ノト」いうところだった。

 私はこの事件に全く心当たりがなかった。
 一ヵ月ほどたって、「現代コリア研究所」の佐藤勝巳所長(6日のブログに登場)に、何気なく、安明進氏がこんなことを言っていましたよと漁船員拉致の話をした。すると佐藤氏は身を乗り出して、「きっとそれは石川の漁船遭難事件ですよ」という。 
 「現代コリア研究所」では、以前からこの事件を拉致ではないかと睨んで調査を続けていたのだった。

 1963年、石川県で、夜、沿岸近くで漁をしていた3人が行方不明になった。その夜、海はベタなぎで、事故など起きるはずがないと、みな不思議がった。
 漁船の乗組員の一人、寺越武志さんは当時13歳の中学2年生だった。遺体はあがらなかったが死亡とされ葬儀も行われた。

 その事件から24年が経った1987年、突然北朝鮮から、無事で生きているとの手紙が届く。その後、武志さんの母、友枝さんは、社会党代議士と朝鮮総連の斡旋で北朝鮮に渡り、息子と涙の再会を果たしていた。

 当時「美談」とされたこのケースを、私たちは取材の結果、拉致と結論づけ、1997年5月10日、テレビ朝日ザ・スクープ」で放送した。
 しかし、武志さんがあくまで「遭難したところを北朝鮮の船に救助された」と言い張るため、今も政府は拉致事件と認定していない。
(詳しくは以下のブログを参照されたい)

takase.hatenablog.jp

 実は、政府に認定されていない「拉致事件」は少なくない。

 めぐみさんも武志さんも、13歳という若さで北朝鮮に拉致された。
 めぐみさんがいまだ消息が分からないのに対して、武志さんは北朝鮮で家族を持ち、日本の肉親と再会できた。今も武志さんは拉致を否定し、北朝鮮の公民として、指導者の恩恵に感謝しながら生きている。

 こうして、私たちは新たな拉致事件を発掘していった。
(つづく)