横田滋さんの逝去によせて9-蓮池さんの「北に戻らない」決断

 15日、横田滋さんの自宅マンションの住民でつくる支援団体「あさがおの会」が被害者の早期帰国を求めて国会周辺で「沈黙の行進」を行った。

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oita-pressより

 同会代表の田島忠さん(78)ら5人が約400メートルを無言で往復。白いトルコキキョウとめぐみさんの写真が入った長さ約6メートルのタペストリーを国会議事堂や首相官邸議員会館の前で掲げた。
 今は国会会期中で、政府や政治家に反省を迫る意味もあったのだろう。

 「とにかく何かしたい」という気持ちの現れだと思う。その思いは多くの市民が共有している。

 きのうのブログで、2002年10月の5人の拉致被害者の帰国に触れたが、当初は「一時帰国」とされ、2週間後には北朝鮮に戻ることになっていた。
 このとき北朝鮮に5人を戻さなかったことが、2年後彼らの子どもと夫(ジェンキンズさん)を日本に呼び寄せるという、その後の流れを作った。

 当時、私もテレビなどのメディアに出て、戻すべきでないと主張した。もし戻せば、きのう書いた寺越武志さんのケースのように、本人たちは「共和国公民」として北朝鮮に住み続けたいと言わされたはずだ。

 拉致被害者救出運動の大きな分岐点の一つだった。

 このとき、戻さないことを強く主張して決断したのが安倍氏だとされ、このことは「拉致の安倍」として人気を高める大きな要因となった。こうして安倍氏は、拉致被害者の救出という「功績」をもって首相に上り詰めたのである。

 それはウソだと声を上げたのが、かつて「家族会」の事務局長・副代表だった蓮池透氏だ。拉致被害者蓮池薫さんの兄である。
 事務局長時代は、家族会の斬り込み隊長などと呼ばれる強硬派だった。メディアへの注文も厳しく、私も「報道の仕方がおかしい!」と怒鳴られたことがある。

 その後、家族会の役員を辞め、支援団体の「救う会」や政府への批判を展開している。

 蓮池透氏は2015年末、『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)という本を出版、安倍総理の欺瞞を暴露した。
 2016年1月12日の衆院予算委員会の質疑にこの本が登場する。

緒方林太郎民主党
「2002年、小泉総理の訪朝時、蓮池薫さんたち5人が戻ってきたときのことですが、当時、当初は、これは一時帰国であるとされまして、その後一旦北朝鮮に戻す約束になっていたと言われています。しかし、世間的には、当時の安倍官房副長官が強硬に反対をして北朝鮮に戻さなかったということになっているわけでありまして、安倍晋三総理大臣も、直接、自分自身のフェイスブックでのエントリーで、『拉致被害者5人を北朝鮮の要求通り返すのかどうか。彼」、これは外務省の田中均アジア大洋州局長だと思いますが、「彼は被害者の皆さんの「日本に残って子供たちを待つ」との考えを覆してでも北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張しました。私は職を賭してでも「日本に残すべきだ」と判断し、小泉総理の了解をとり5人の被害者は日本に留まりました。」こう書いておられます。
 その一方で、この蓮池透さんの本には、72ページにこのような記述があります、安倍氏や中山内閣官房参与を含め日本政府は弟たちをとめることなどしない、戻す約束があるからだと。そして、少しページを移りまして、
 北朝鮮に戻ったら、二度と日本の地を踏むことはないだろう。また日本に残った場合は、その確率は非常に小さいかもしれないが、北朝鮮当局も人の子、子どもたちを日本で待つ親元へ送るわずかな可能性がある。その可能性に賭けよう。まさに、ギャンブルだが、苦悩の決断をしたのだ。
 この弟たちの『北朝鮮には戻らない、日本に留まる』という強い意志が覆らないと知って、渋々方針を転換、結果的に尽力するかたちとなったのが、安倍氏と中山氏であった。
 あえて強調したい。安倍、中山両氏は、弟たちを一度たりとも止めようとはしなかった。止めたのは私なのだ。
というふうに書いてございます。
 安倍総理の思いと蓮池透さんが言っておられること、全く反するわけでありますが、いずれが真実でしょうか、安倍総理大臣。」

 「拉致の安倍」のアイデンティティの根幹にかかわるこの質問に、安倍総理は興奮した様子で、5人を戻すという流れに抗して、帰さないと決断したのはあくまで自分だと言い張っている。

 しかし、これは拉致被害者蓮池薫さんの証言で決着がついている。
 北朝鮮に戻らないという方針は、蓮池薫さん本人が悩みぬいた末の苦渋の決断だった。
 《私たちを拉致した、しかし私たちの子どもたちが残されている北朝鮮に戻るのか。それとも生まれ育ち、両親兄弟のいる日本にとどまって子どもを待つのか。苦悩の末に私が選んだのは後者だった。
 苦しい決断、いや一生に一度の賭けとも言えた。
 「日本に残って、子どもを待とう」
 私がこう打ち明けたとき、妻は半狂乱となった。
 「何を言っているの?! 子どもがいるじゃない!」
 かつて見たことのないほどの激しい表情で反発してきた。こんなことは初めてだった。・・・

     意を決し、日本政府に電話した。

 「日本にとどまって子どもを待つことにしました。よろしくお願いいたします。》(蓮池薫『拉致と決断』2012年新潮社  引用は文庫版P3, P34)

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2015年文庫化された

 さらに、兄の蓮池透氏は、あるインタビューでこう証言する。
 「2002年10月24日朝、弟は中山内閣官房参与に、北朝鮮には戻らないと電話で伝えた。ところが、『10月23日に、5人の意志を携帯電話で確認した』という安倍さんの発言を、朝日新聞が伝えている。それはありえない。当時、5人は携帯なんか持っていません。また、安倍さんが『北朝鮮に戻るな』と5人を引き止めたこともないのです」。

 先の緒方議員の質問に逆上したかのように安倍総理はこう叫んだ。

安倍晋三
「私が申し上げていることが真実であるということは、バッジをかけて申し上げます。私の言っていることが違っていたら私はやめますよ、国会議員をやめますよ。それははっきりと申し上げておきたいと思います」
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119005261X00320160112¤t=1

 

 あれ、追い込まれて見得を切るようなこのセリフ、どこかで聞いたような・・・

 

「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」

 2017年2月17日の衆議院予算委員会で、福島伸享民進党)から森友学園の認可および国有地の払い下げについて質されたときの安倍総理の答弁だ。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119305261X01220170217¤t=1
 この答弁に合わせるために、官僚組織はじめ多くの人々が巻き込まれ、みなでウソをつき、資料を隠し、さらには改ざんし、自死に追い込まれる犠牲者まで出したのはご存じの通りだ。

 ウソで「功績」を捏造したとすれば、そんなリーダーが拉致問題を進展させられるのだろうか。
(つづく)