‘染井吉野’とは

takase222018-03-24

 もう春分。昼と夜の長さが同じくなり、本格的な春の到来だ。初候(21日から)「雀始巣」(すずめ、はじめてすくう)、次候(26日から)「桜始開」(さくら、はじめてひらく)、末候{31日から}「雷乃発声」(なみなり、すなわちこえをはっす)。

 桜ははやくも満開だ。午後、上野駅から日暮里駅まで行く途中、上野公園を通ったら、お花見ですごい人出。ビニールシートをしいての花見風景を久しぶりに見た。
 気象庁はきょう、東京の桜が平年より10日も早い満開となったと発表。これは観測史上3番目の早さだそうだ。

(谷中墓地の桜も満開)
 開花日(花が5,6輪開いた状態)、満開日(80%以上の蕾が開いた状態)は定められた標本木(東京では靖国神社の1本)を観測して宣言されるが、この標本木は‘染井吉野’と決まっている。きょうは、全国の植樹された桜の8割を占めるといわれる‘染井吉野’について、去年、桜について調べて知ったうんちくを書いてみたい。誤解している人もけっこういると思うので。
 日本にはヤマザクラオオシマザクラ、カスミザクラなど生物学的には10種のサクラがある。これとは別に、人が作り上げた栽培品種というものがあり、園芸文化が盛んになった江戸末期には数百にもおよんだという。その一つが‘染井吉野’だ。エドヒガンとオオシマザクラを交配させて江戸末期に江戸の染井村の植木屋が売りだしたとされている。
 ここからちょっとめんどうな話になる。エドヒガンとオオシマザクラを交配させたものはみな「種間雑種」としてのソメイヨシノとなるのだが、栽培品種としての‘染井吉野’はその種間雑種のうちの一つの個体なのである。(カタカナと漢字表記で区別する)
 例えば、シェパードと秋田犬を交配させると、様ざまな形態と性格の子犬が産まれるが、そのうちとくに「優れた」、ある子犬「ポチ」が産まれたとする。動物ではクローンは作れないが、桜は接ぎ木という方法でクローンを増やすことができる。この「ポチ」が‘染井吉野’なのである。日本全国に咲き誇る‘染井吉野’はすべて、江戸末に開発された1本の個体から広まったクローンというわけだ。さくら前線などの開花情報は、このクローン桜をもとに発表されている。
 サクラ類は、自家不和合性という性質があり、自分と同じ遺伝子を持つ花粉は雌しべに受粉できない。だから、一カ所に‘染井吉野’がいくらたくさんあっても‘染井吉野’同士で受粉・結実することはない。つまり‘染井吉野’に種子から発芽する実生(みしょう)はない。もっとも、ミツバチが例えばヤマザクラの花粉を運んできて実がつくことはあるだろうが、その種子から育つのはもはや‘染井吉野’ではない。
 染井吉野’が全国の桜の名所を席巻し、日本を代表する桜になったのはなぜか。
 まず、成長が早く若木から花をつけること、花弁が大きく花付きが良いことが評価された。‘染井吉野’が登場するまでは、ヤマザクラが桜の代表だったというが、これは花が咲くときに若葉も広がる。対して‘染井吉野’は花が咲くときにはまだ葉が広がらず、花だけが目立つ。また、クローンなので、同じ環境のもとではいっせいに咲いていっせいに散る。花見の対象として理想的だった。
 染井吉野’というネーミングも普及を後押ししたらしい。桜の名所「吉野」を連想させるうえ、東京生まれの桜ということで、明治の中央集権体制の確立期に「国策」のような形で全国に植えられていった。結果、日本の桜といえば‘染井吉野’となり、ワシントンDCのポトマック河畔に贈られたのも’だった。
 染井吉野’は枝が横に大きく広がるので広い空間が必要になる。学校や神社、公道など公の場所に相応しい樹木でもあった。(東京に対抗意識をもつ京都などでは比較的‘染井吉野’が少ないらしい。京都御所京都御苑には現在もほとんど‘染井吉野’が植えられていないそうだ。)
 華やかに咲いてパッと散るイメージは「同期の桜」などとして、戦争における兵士の身の処し方とされたし、戦後は復興のシンボルとして各地に大量に植えられたりもした。‘染井吉野’は日本の近代史とともに歩んできたのである。
(参考:勝木俊雄『桜』岩波新書
 いま、各地で‘染井吉野’が老木となり、ケアや植え替えなどの問題が出てきている。以前、このブログで書いたが、私の家に近い、東京・国立市の駅前、大学通りの桜並木は、昭和8年(1933年)の今上天皇生誕の翌年に植えられ、樹齢は80年超。国立が誇る桜守、大谷和彦さんが中心になってケアをしている。すでに十数本は、小学校や高校の児童、生徒が植え替えた。桜の種類はさまざまだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20171126
 近年は、「多様性」ブームもあって、‘染井吉野’偏重への批判があり、複数樹種を植え替える傾向にあるようだ。‘染井吉野’独占の時代は少しづつ変わろうとしている。