幸せランキングで低迷するブータン

 オフィスの近くに蕎麦の名店「まつや」があるが、その前のエドヒガン(江戸彼岸)が満開だ。エドヒガンはソメイヨシノの片親(もう一方の親はオオシマザクラ)でもあるのだが、ソメイヨシノよりちょっと早く、お彼岸のころに咲く。白い一重のすっきりした桜の花である。

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左奥に「まつや」が見える

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 3月20日は国際幸福デーで例年 国連の関連団体が「世界幸福度ランキング 」を発表する。http://worldhappiness.report/
 《国連が定める「国際幸福デー」の20日に合わせ、各国の「幸福度」を順位付けした年次報告書がこのほど発表され、日本は昨年より順位を四つ下げ、156カ国・地域のうち58位となった。先進7カ国(G7)で最低だった。
 グテレス国連事務総長が支援する組織が発表。日本は各種指標のうち、健康寿命は2位、1人当たりの国内総生産(GDP)は24位だったが、自由度が64位、寛大さが92位と評価が低かった。
 2年連続の1位はフィンランドで、デンマークノルウェーが続いた。米国は19位、台湾は25位、韓国は54位、中国は93位で、最下位は南スーダンだった。》(共同)
 あの「幸せの国」ブータンは・・・と見ると、ずっと下位で、92位インドネシア、93位中国、94位ベトナムにつづく95位。実は毎年、低迷しているのだ。どうして?
 「どれくらい幸せと感じているか」を聞いた結果に、GDPや平均余命などの指標を点数化したという。つまり主観的な評価と客観的な社会のレベルをまぜて判定している。後者の指標は先進国が圧倒的に有利だ。
 幸福度ランキングはこれ以外にもいくつかあって、それぞれ結果が全く違うが、幸せを計るモノサシが違うのだからあたりまえだ。幸せを論じるとき、モノサシが何かがはっきりしないから深まらず、最後は「自分が幸せって思ってたらそれでいいんじゃない」と茶飲み話で終ってしまう。
 しかし、そもそも、幸せって計量化できるのか。

 さらに言うと、たぶん人類史で現代ほど「幸せ」を懸命に求めるときはなかったと思う。

     なぜ、我々現代人は幸せを求めるのか、そのあたりのことを書いてみたい。