満開の‘寒桜’

takase222018-03-12

最近、テレビでよく吉永小百合を見るなと思ったら、映画「北の桜守」の宣伝だった。吉永小百合の120作目となるそうだ。私がかつて取材した樺太(サハリン)が舞台なので観ようとは思っていた。この映画タイトルで「桜守」(さくらもり)という言葉を初めて知った若い人も多いだろう。
 桜守といえば、私の尊敬する国立市の桜守、大谷和彦さんがいる。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20171126

 きのうの朝、久しぶりに大谷さんに会って話を聞いていた。かつてJR国立駅のホームに名物の桜の樹があったそうだ。ホームの高架化で切り倒されることになった樹を受け継ごうと、大谷さんたちは接ぎ木で数十本の苗木を作り、各所に分けた。それが満開の時期だという。一番近いのは、国立市立3小で見られるというので、自転車で行ってみた。おお、確かに今が旬だ。これが「ホームの桜」か。‘寒桜’で毎年3月初旬が見ごろだそうだ。

 明治以降、とくに戦後は‘染井吉野’が国策に近い形で各地に植えられ、里の桜の8割近くを占める。桜の開花日、桜前線などはみな‘染井吉野’で決まるのだが、日本には数百種類の桜の園芸種がある。多摩森林科学園にはサクラ保存林があり、各種の桜1300本が見られる。その開花情報によると、‘寒桜’は4日が満開で今はもう「散始」、満開なのは‘河津桜’。‘椿寒桜’とカラミザクラが「咲始」となっている。4月になったら観に行きたい。https://www.ffpri.affrc.go.jp/tmk/cherry/bloom/bloom2018/bloom_current.html
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 サハリンで思いだしたが、先日、サハリン協会の会誌で、サハリンから永住帰国した野呂静江さんが亡くなっていたことを知った。彼女は、サハリン協会が邦人帰国運動をはじめるきっかけを作った人である。(以下、「女性自身」記事)https://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/social/12929

 ソ連時代、サハリンで日本人同士が集まることは、反体制的と見られてできなかった。ペレストロイカで締め付けが多少弛み、日本との交流ができるようになり、どこに何という日本人がいるのかを掘り起こす作業が野呂さんを中心にはじまった。私は野呂さんが日本人を探してサハリン各地を回るのについていった。私とカメラの山内孝治君は、どこにいっても「本土から来たあんちゃん」と大歓迎され、毎晩、宴会は懐かしのメロディーの大合唱となった。すばらしい思い出だ。この写真、1990年5月の一時帰国者12人が初めて日本(新潟空港だったはず)に降り立ったときのものだが、抱き合っている白い服の女性がおそらく野呂さんだと思う。
 私はこの帰国便に、テレビとしては唯一の取材班として箱乗りしてきた。エッセイストの岸本葉子さんも一緒だった記憶がある。
 その後、だいぶ経ってから、北海道に子どもさんと永住帰国したと聞いてはいて、そのうち会いに行って思い出話でもしようと思っていた。訃報に接し、会いたいと思い立ったら会うべきだな、と反省した。
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 例の「書き換え」問題。やはり破裂した。南スーダン自衛隊「日報」問題もそうだが、一次資料を改ざんするのは民主国家のベースを掘り崩す。イデオロギーの問題ではなく最低限の規律。日報問題では、大臣を辞任した稲田氏の国会招致を自民党が拒否したが、同じように今回、佐川国税庁長官が辞任したからと招致をブロックする動きに出ている。一般人は招致できないといいつつ籠池氏は国会に呼んで、そのあと勾留したままだ。
 真相究明させないようにしているくせに、安倍首相は沈痛な顔で「なぜ、こんなことをしてしまったのか・・」とまるで被害者の弁。財務省は、決裁文書「書き換え」の開始時期を「昨年2月下旬」と説明した。昨年2月17日の「私や妻が関係していたなら首相も国会議員も辞める」との安倍首相の衆院予算委員会での答弁が事の始まりだったとしか考えられない。麻生副総理兼財務相は「理財局の一部の職員」がやった、俺は辞めないと担当大臣にして他人ごとのような口ぶり。テレビで彼の表情とコメントを見て、あまりの子供っぽさに呆れる。安倍内閣は総辞職!と国会周辺でデモ。賛成。