日本人にとっての戦争

 雨が続く。涼しくて夜はぐっすり眠れている。
 曇天の下、ブロック塀の下からテッポウユリが生え存在感を示していた。
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 8月の戦争もののドキュメンタリーは見ごたえのあるものがそろっている。
 先日、NHKスペシャル「原爆死〜ヒロシマ 72年目の真実〜」では、50万人以上の人の動きのビッグデータをもとに、「圧焼死」、やけどによる死、急性原爆症による死など、犠牲者の死因と死亡場所の特定から「原爆死」のメカニズムに迫っていた。「圧焼死」とは、爆風で倒された建物の下に閉じ込められて生きながら焼かれ死ぬこと。その現場で、家族や友人を見殺しにせざるを得なかった人々は今も「たすけて!」という声が蘇ってくるという。また、原爆の火傷は特殊で、強烈な光線が皮膚の下の血液を瞬時に沸騰させ、血管を破裂させて皮膚が分厚くはがれる。それによって感染症になり、苦しみぬいて死んでいった。一方、爆心地からかなり離れたところで急性原爆症による死が多く見られることが判明し、はっきりした原因はいまも不明だと言う。いずれも知らないことばかりで、驚きながら観た。CGと証言で、一人一人の最期の状況が具体的に想像でき、原爆による死の惨さが強く印象づけられた。
 原爆に関する番組は数えきれないほど作られてきたが、切り口によって新たな光を当てることができるものである。

 きのうのNスペは「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」。樺太=サハリンの南半分は日本領だったが、そこでは8月15日の後も戦闘が続き、22日に停戦するまで5000人の邦人が犠牲になった。そのほとんどは幼い子どもを含む民間人で、自決も多かった。樺太戦には沖縄とそっくりの総力戦の悲劇があるが、この事実はほとんど知られていない。
 住民を巻き込んで戦った沖縄戦を、軍は「本土決戦までの時間をかせいだ作戦的勝利」と評価し、以降、「国民義勇戦闘隊」を全国民で組織し、「玉砕(全員戦死)まで遊撃戦を行わんとする」ことを決めた。武器は「槍、手榴弾、毒矢」とされた。「遊撃戦」とはゲリラ戦である。そしてその計画が実行された唯一の戦場が樺太だった。
 なぜ終戦後も戦闘が続いたのか。8月15日、終戦詔勅を聞いた樺太の部隊に、翌16日、札幌第五方面軍から「樺太を死守せよ」との命令が届いたのだった。ソ連樺太からさらに南下して北海道を占領することを怖れたからだったという。
 悲劇的な事例に、「北のひめゆり」とも言われる、8月20日に9人の電話交換手が青酸カリを飲んで自決した「真岡郵便電信局事件」がある。危急時、持ち場を守った女性たちが「敵が近づいてきました。みなさん、さようなら」との言葉を最後に通信が途絶えたとされ、悲運の、また英雄的な物語として伝えられてきた。番組では、樺太の軍司令部のあった豊原で電話交換手をしていた女性が、交換手同士の最後の通信を証言した。「もうロスケ(ロシア人)が見えます。これでさよなら」と、そして毒を飲んだ後なのか「苦しい・・・」いううめき声が聞こえてきたという。
 私はサハリンに残留した邦人と朝鮮人の取材をしてきたので、特別な感慨をもって番組を観たが、混乱の中で起きた悲惨に胸をつかれた。
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 いま、日中戦争をおさらいする中で、加藤陽子満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)を手にとった。その冒頭の文章に考えさせられた。
 《1945年8月、それまでの見なれた地面から、人間や建物をきれいに消しさった空襲や原爆の体験を人々に残し、日本の戦争は終わった。牧野伸顕(のぶあき)(注:大久保利通の次男で政治家)の孫、吉田茂の子息にして英仏の文学に深く通じていた文学者・吉田健一は、ヨーロッパの人間と日本人の戦争観を比較して、かつて、こう述べたことがある(『ヨオロッパの人間』)。
 戦争とは、近親者と別れて戦場に赴くとか、原子爆弾で人間が一時にあるいは漸次に死ぬとかいうことではない。「それは宣戦布告が行われればいつ敵が自分の門前に現れるか解らず、又そのことを当然のこととして覚悟しなければならないということであり、同じく当然のこととして自分の国とその文明が亡びることもその覚悟のうちに含まれることになる」。
 ならば、ヨーロッパの人間にとっての戦争と、日本人にとっての戦争は、実体においても記憶においても異なったものとなったに違いない。傀儡国家であった満州国、植民地下の朝鮮、そして沖縄など、いくつかの例外(重大かつ最も苛酷な体験を人々に強いた例外ではあったが)を除けば、多くの日本人にとっての戦争とは、あくまで故国から遠く離れた場所で起こる事件と認識されていたとしても不思議はなかった。》
 その例外に、先にあげたヒロシマ樺太もあって、いずれも苛酷な体験ではあったが、たしかに、日本人にとっては戦争は、兵隊さんが遠い戦地で戦うものであって、敵が玄関に現れる、つまり今いる場所が戦場になるとは思っていない。
 では、日本人は日中戦争を戦争と思っていたのか。
(つづく)