鉄血勤皇隊の東江康治さん死去

takase222015-04-08

今朝、東京は冷え込んで雪。時間がたつにつれ、みぞれから雨へと変わっていった。
冬のジャンパーを着て、退院する娘を迎えに病院へ行く。
大きな手術だったので、「高額療養費制度」を利用する予定だったが、これは、あとで払い戻される制度。いったんは大金を払わないといけない。
高額になるのが分かっている場合は、事前に「限度額適用認定証」をとっておくと限度額のみの支払いでよい。
貧困問題や医療・介護などの番組を手がけたりして、「日本は、いろんな制度や法律をきちんと利用すれば、餓死しないですむ国なんだよ」などと娘に説教している私だが、実はあまり実際の制度の使い方を知らない。今回の「限度額適用認定証」も、娘とかみさんが手続きして、私が「便利な制度だなあ」と感心したので、バカにされたのだった。
とにかく、これで助かった。
この制度はあまり知られていないそうなので、ぜひみなさんも利用してください。
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こないだ、番組(報道特集)を放送したあと、また一つあらたに番組を担当することになって、なんとこれから一ヶ月以内に放送予定の番組を三つも持つことになった。ここまで立て込むのはちょっと珍しい。
せわしくなるが、どれも意味のある番組だと思っているので、うれしい。
人生の残り時間が少ないので、一日いちにち、これでいい、と思えるようにすごしたい。
あ、ちょっとかっこいいことを書いてしまった。

ただ、私の場合、小なりといえども会社の社長なので、番組制作のほかにオフィス運営の仕事があって、こちらのほうが多いくらいだ。
資金繰り、テレビ局や仕事仲間との交渉、スタッフ会議の開催などから、コピー機の調子が悪い、三脚が壊れたなどのトラブル処理まで。
それから冠婚葬祭も。
おとといは、かつての取材対象者の死去の知らせがあり、供花の手配をした。

5日に東江康治(あがりえやすはる)さんが亡くなり、きょう午後、葬儀が行われたのだ。
以下は死亡記事より。
沖縄県琉球大学名桜大学の学長を務めた東江康治(あがりえやすはる)さんが5日、肝臓がんのため那覇市内の病院で死去した。86歳だった。(略)。
 太平洋戦争末期の沖縄戦鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。当時、米国生まれの兄が米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られた。
 戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1984〜90年に琉球大学長。同県名護市の名桜大の設立に携わり、94〜00年に初代学長を務めた。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れた。05年に瑞宝重光章を受章した。》(朝日新聞

実の兄と戦場で敵味方に分かれて戦った。しかも、顔の見える距離で直接に対峙し、兄から降伏を呼びかけられ、拒否するという、実に数奇な体験をした方である。
人一倍、戦争の残酷さを知った東江康治さんは、戦後は一貫して戦争の無い世の中を希求した。

うちの会社は、2011年8月13日放送のフジテレビ 「土曜プレミアム 終戦記念特番」「最後の絆・沖縄引き裂かれた兄弟−鉄血勤皇隊と日系アメリカ兵の真実」の制作をてがけた。
《1945年、太平洋戦争末期、最後の激戦地沖縄。そこで、血のつながった兄弟が、敵兵同士になり、戦場で対峙する、そんな考えられないような悲劇が実際に起きていた。
 太平洋戦争末期の沖縄戦で、徴兵年齢に達していない14〜17歳の少年たち1780人が兵士として召集された。その名は、「鉄血勤皇隊」。弟、東江(アガリエ)康治は旧制中学卒業を目の前にして鉄血勤皇隊に召集、闘いの中、致命的な銃創を負う。その弟の前に、最後に現れた敵国(アメリカ)兵…それは、弟を、家族を救いたいとアメリカ兵になり、命がけで故郷に帰ってきた兄だった。66年前のあの日、何が起こったのか…
16歳の少年兵だった弟・東江康治さんは、当時を振り返り、こう言う。
「家族とは血のつながり。親子、兄弟は、人間にとって、最も身近な存在です。しかし、戦争は、最も身近な家族さえも引き裂いてしまいます。私たち兄弟は、66年前の戦争で、兵士として戦いました。日本とアメリカ、二つの国のはざまでつらい体験をしました。」
悲劇の実話を、ドラマとドキュメンタリーで描く。
出演:佐藤 健、要 潤、手塚理美、大杉 漣、中田喜子ほか》
うちはこのドキュメンタリー部分の取材をした。
東江さんの死去は、このご時勢に、沖縄の歴史をもっと学びなさいというメッセージとも私には感じられた。