急に用事ができて、東南アジアに行っていた。
もともとは東南アジアに10年住み、この地域をフィールドにしていたのだが、ここ20年くらいほとんど行っていない。出張はうれしかった。
帰国して家に帰ると、かみさんが「すっきりした顔してるね。やっぱり向こうがあなたの体に合ってるみたいね」と言う。暑期で日中は毎日35℃くらいあったが、日本にいるより食欲もあり調子がよかった。
用事が終わってから、プライベートでカンボジアのシェムリアップに行った。
アンコールワットを見に行ったのではなく、IKTT(クメール伝統織物研究所)の森本喜久男さんの「村」を一度見たかったのだ。
32年来の友人、森本さんについては、何度か書いた。(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20150412)
はじめはタイの田舎の村の協力で、地場の繭の糸を草木染した絹織物をバンコクで売り出した。
これは、「ジムトンプソン」に代表される、中国製のテラテラの絹布を鮮やかな化学染料で染めたいわゆる「タイシルク」への初めての挑戦だった。
その後、カンボジアにわたり、内戦後、ほぼ途絶えていた織物の伝統を一人で復活させた。
今は国力ではタイやベトナムに見下されるカンボジアだが、かつては織物の水準の高さは東南アジアではずば抜けており、森本さんはすっかり魅せられてしまったという。
1856年、タイのモンクット王が米国のフランクリン大統領に寄贈した絣(かすり)が、スミソニアン博物館にある。これがタイの織物ではなく、クメール絣なのだ。タイの王様は、米国大統領に贈るために、技量の高いカンボジアの織り手に特注したのである。
森本さんは、はじめは、布をやっている職人と見られたが、今では近著(白水社)のタイトル通り『カンボジアに村をつくった日本人』として知られるようになっている。
昔からの繭から糸を取り、糸を草木染で染色し、手織りされる伝統織物を復活させるなかで、志を同じくする現地の人々とまったくの荒れ地を人力で整備し「伝統の森」という村を作ってしまった。
織物の側から言うと、よい織物を産むにはよい自然環境がなければならない。材料すべてが自然から得られるからだ。
同じ木の皮を使っても、採って30分以内で染めたのと、カラカラに乾かしてから染めるのでは違った色になる。本当の草木染めを追及するには森の中に住むのがベストなのだ。村には桑が植えられ、「黄金の繭」と呼ばれる黄色い繭が日干しされていた。(写真)
クメールの伝統の絹布は、白い繭ではなく、黄色の繭の糸で織る。つるつるした絹のイメージとは大きく異なる、ぼそぼそとひっかかりのある、独特の風合いの布である。
かくして、世界のどこにも見られない、繭から織物まで一か所で完結する村ができたのだ。
いま、この村には150人が住む。
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ところで、私がうれしく東南アジアを回っている間、私の知り合いがある国から強制送還されたというニュースが飛びこんできた。
(つづく)