ヒトがサルにかみつくとき

takase222015-05-04

ゆうべの「情熱大陸」。サブタイトルは「リベンジ〜忘れ去られた天才」。

80年代後半から90年代にかけて、「反省猿 次郎」で一世を風靡した村崎太郎さんは、その後、「次郎おさるランド」などの事業に失敗、2003年11月には2代目次郎が死んだこともあって落ち込み、目立った活動をしない沈滞期が長く続いた。
2年前、日光猿軍団の閉鎖のニュースで、村崎さんは一念発起した。自分の手で復活させ、それを猿まわし師、村崎太郎の再出発にしよう。それは、日本の猿まわし芸の復興にもなるだろう、と。
日光猿軍団はかつての商売敵。プライドを捨て、1年半通って頭を下げて、その場所と商標権を買い取った。
今年3月に猿軍団復活を発表し、十数年ぶりにメディアの注目を浴びた村崎太郎さんだったが、莫大な借金を抱えての大きな賭けだった。もう54歳、ここで失敗したら「おしまい」だった・・・。

番組を観て、猿まわしは動物虐待じゃないのか、と思った人もいるだろう。
そういう批判の前に、猿に芸を仕込むのがいかに大変かを知ってほしいと思う。

きのうのつづき。
猿まわしの復活は簡単ではなかった。

1977年12月に、猿まわしの会が結成され、78年1月から7月までの半年、猿の仕込みを試みたが、猿は立って歩くこともできないまま、仕込みは挫折しかかった。
太郎さんが後継者の指名を受けたのがちょうどそのころ。
9月3日には、光市5万人虹の祭典でデビューすることを公表していたから、会は追い詰められた。残りの日にちは2か月もない。

父、村崎義正さんが、最後の猿まわし師だった故・重岡博美さんの奥さんの富士子さんに手ほどきを依頼した。重岡不二男さんはかつて夫とともに10年間、40頭の猿を仕込んだ経験を持つ。

《(重岡富士子さんは)ごく自然にジロウの頭をなでようとした。
 そのときである。あっというまもなく、ジロウが重岡さんの右腕をかんだ。瞬間、それまでの和気あいあいとした仕込み場の空気が凝結した。そして、それが音もなく砕け散ったとき、重岡さんはすばやい動作でジロウの両耳タブをつかみ、かれの上体を組み伏せ、その顔面を地面に何度もこすりつけた。そこには、もはややさしい笑顔をたたえた重岡さんはいなかった。(略)
 重岡さんはいま、ジロウの両耳タブをつかんだまま、かれの小さな背に馬のりになっている。すこし手をゆるめ、ジロウの顔面を地面から解放したが、まだ気をぬいていない。顔つきもいぜんとしてきびしい。》

そのままの姿勢で重岡富士子さんは、こう諭した。
「サルっちゅうのはね、毎日かわいがるだけで人間に慣れるような動物じゃないんよ。イヌやネコみたいに、エサを与えているだけで人間を信頼してくれるような動物じゃないんよ。
 サルを仕込むときは、ゲジ(折檻のような意)をして、ゲジをして、ゆうことをきかんあいだは徹底的にゲジをすること。わしのほうがボスじゃということを、たえずおしえこまんといけんのよ。これらの世界じゃって、ボスザルになるには、血みどろのケンカの末になるんじゃからね。
 でも、どんなに腹が立っても、顔はたたいちゃいけんよ。骨にヒビがはいって、バカになるけえね。」

 重岡さんは、数回、地面にジロウの顔をこすりつけたあと、
《耳タブをつかんだまま上体を起こし、二足直立の姿勢をとらすと、ジロウは焦点のさだまらぬ目つきをして、フラリとよろけた。
 重岡さんの手が、耳タブから首ネッコへとうつった。ジロウはまだよろけている。よろけながら、「クッ、クッ」と鳴いている。そのジロウの首のうしろから肩のあたりに、重岡さんは1本のバイ(仕込み中、サルを威嚇したり、方向指示をしたりするときに使う棒。当時長さ40センチ)をあてがった。そして、むだのないてきぱきとした動作で、シロウの両手をバイににぎらせた。
 「あ、ヤマユキだ」。わたしはそのとき、心のなかで叫んだ。
 重岡さんはいま、ジロウにヤマユキ姿勢をとらせている。ヤマユキ。サルを仕込むときの基本技として、話には聞いていたけれど、ほんとうの意味で目にすることのなかったヤマユキ。それを、いまジロウがやっている。》(『あるくみるきく』 P10 この記録は会の故・小林淳さんによる)

 野生の猿は四足で歩く。調教は2本の足で立って歩かせることからはじまる。
 重岡富士子さんの無駄のない流れるような一連の行動を見せられたことが転機となって、猿の直立歩行の仕込みが本格的にはじまった。
 写真は、ヤマユキの姿勢を猿にとらせているところ。

 これまでの会のメンバーに欠けていたのは、こちらがボスなのだと、仕込む側と仕込まれる側との力関係をはっきりさせることだった。そのことなしに、猿は人間の言うことをきかず、仕込みは成功しない。協力してくれた日本モンキーセンターや京大のサル学の研究者も同じアドバイスをしたという。

 地面に押さえつける他、サルにかみつくという方法もとられた。
《感情に走ってめちゃめちゃにかんだりするのはだめだ。(略)冷静にかまなくてはならない。冷静にといっても、動作は、できるだけ大仰にふるまう。かみつき行動にでるまえのオーバーなしぐさ、そしていったんかみついたら、じっとかんでいるのでなく、さながら肉をひきさくかのように顔をふりまわす。これらの所作を、腹から発声しておこなうのである》(P16)

 そして太郎さんもそれを実践する。
 ジロウを押さえつけたはいいが、ジロウはまだ屈服しない。
《そのとき、父親のストップがかかった。
 義正さんが、きびしい顔つきで太郎君にいった。
「腹から声をだせ。おまえはまだジロウに甘(あも)う見られちょるど。ジロウに負けちょるど。いいか、腹から声をだせ。腹から声をふりしぼってジロウにいどめ」

周りの人々も太郎さんに「腹から声を出せ」とどなった。すると、

《もつれあい、ころがりあいながらも、太郎君はしだいに腹から声をふりしぼり、ことばにならない雄叫びをあげるようになった。
 やがて、太郎君はジロウの両耳タブをつかむと、全身を地面になげうつようにしてジロウを胸の下におさえつけ、かれの顔面を地面にこすりつけた。そのとき、太郎君の腹の底から、はじめてはっきりしたことばがほとばしりでた。

 「うー、まだわからんのかあ!」

 すると、突然ジロウが「キッ、キキキキ、キキーッ、フギャッ、ギャッ、ギャッ」と鳴きだした。これまで、ただの一度もこんなみじめな鳴き声を発したことのなかったかれが、ついに太郎君に屈服して悲鳴をあげたのだ。
 やった。とうとうやった。(略)
 おごそかな儀式をおえたあとの安心感のようなものが、しだいにわたしたちのなかに流れはじめた。》

 猿の仕込みとはこれほど大変な過程を経て可能になるのだ。

 村崎太郎さんの声はとても野太いが、これも腹から声を出す長い年月の仕込みの結果なのだろうと納得したのだった。
(つづく)