先週、タイで民衆暴動があり、ASEANプラス3(日中韓)首脳会議が中止された。
あるワイドショーで、コメンテーターの雑誌編集長が、これでタイも民主化していくだろうなどと肯定的に語っていた。民衆が立ち上がるイコール民主主義、みたいな思い込みなのか、タイをミャンマーなどの独裁国家と同列においているのか、いずれにしろ、このコメントには違和感を持った。
私はタイに七年ほど暮らし、この国を第二の故郷と思っている。クーデターも一度ならず経験したが、タイには根本的な政治的安定感があると思ってきた。クーデターがあっても外資は逃げず、しばらくするとまた政治的均衡がおとずれることを繰り返してきた。この安定感には王室の存在が大きく寄与している。
だが今の事態は、これまでと違って、王室の存続自体にかかわる意味を持っているように思われる。そこに私は注目している。
今の事態は、直接には、06年にクーデターで追放されたタクシン元首相が、外国から支持者を煽っていることで起きている。
このタクシンという人、警察官からビジネスの世界に入り、携帯電話、通信衛星、インターネット、テレビ局、航空会社、消費者金融などを傘下におさめる大財閥を築いた怪物だ。もちろん華僑で、タイ華僑の主流、潮州系である。
どのくらいすごい財閥かというと;
「金融専門誌『マネー&バンキング』がまとめた2005年の株長者番付で、タクシン首相の長女でピントンター・チナワット氏(23)が2年連続で1位になった。首相の義兄が2位、長男が4位に入るなど、上位5人は昨年と同じ顔ぶれ。一族別の番付も昨年に続き、首相一族がトップだった。」
彼が政界に出たのが94年。外相、副首相を歴任したあと、98年にタイ愛国党を設立し党首になった。01年の総選挙で勝利し首相に就任、05年に再任された。
急激にのし上がった新興財閥が、国家を左右する力を持ったわけである。そして、ここがポイントなのだが、彼のタイ愛国党は農村支援をうたい、お金をばらまくことで貧しい田舎を政治基盤として押さえてしまった。都市部のインテリが、タクシンの政治がダーティだといかに騒ごうが、政治的に磐石の態勢を築き上げたのである。
彼がクーデターで追放されたあとでさえ、党名を変えたタクシン派政党は勝利し、彼の側近が首相におさまった。つまり、クーデターで否定された勢力が、ふたたび政権についた。民衆のための正義を旗印に、タクシンを引きずり降ろした軍部の面目は丸つぶれになった。さらには、クーデターを容認した形の王室にとっても困ったことになった。
去年11月にバンコクの二つの空港を占拠した黄色いTシャツの群集は、反タクシン派。当時の首相はタクシンの義弟だったが、最高裁は強引に「司法判断」で首相を解任し、首相ポストは野党に移った。
今度の赤シャツの群集はタクシン派だ。そして、この「運動」の底に、タクシンを追放した軍と王室への反発が見えるところが不気味である。「王制と軍を下支えする農村」というタイ社会の伝統的な図式が崩れつつあるように見える。
(つづく)