1977年に拉致を報じた朝日新聞

takase222014-05-21

タイの政治混乱に、ついに軍が乗り出した。
《タイのプラユット陸軍司令官は20日朝、テレビを通じて同日午前3時(日本時間同5時)にタイ全土に戒厳令を発令し、治安対策の全権限を握った。陸軍は、法律に定められた治安対応であり、憲法を停止して権力を奪取する「クーデターではない」としている。
タイ全土の戒厳令発令は、タクシン元首相が失脚した2006年9月の軍事クーデター時以来。》(朝日)
憲法裁判所がインラック首相の首を切る「司法クーデター」で、政府が機能しなくなった。これまで自重していた政府支持派が反撃に出て、街頭にくり出す事態になり、いよいよ軍が出てきた。
守旧勢力(王室、主流財閥、国軍を含む)はまだまだ強力だ。
それにしても、どう決着するのか。選挙はやらざるを得ないだろうが、やったらインラック側が勝ってしまう。どうする?どうなる?
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宇出津事件のつづき。
政府認定拉致事件の第一号である宇出津事件は、日本に住む実行犯が逮捕されて自供している稀なケースであり、朝鮮人「帰国者」家族の工作活動への取り込み、北朝鮮工作員との連携、短波放送での拉致指令、工作船の潜入と接線などを含む、拉致事件のあらゆる要素が明らかになっている。
だから、この事件が注目され、警戒を強め対策をとったならば、それ以降の拉致被害をはるかに少なくできたはずだ。その意味で、この事件に日本社会がどう反応したかが重要だ。
実は、この事件を大きな紙面を割いて報じた新聞があった。
写真は『朝日新聞』1977年11月10日朝刊の社会面。
三鷹市役所の警備員 工作船北朝鮮
懐柔?日本人では初 能登半島から密出国》

との見出しで、社会面トップの扱いだ。
小見出しに「工作補助員一人を逮捕」とあり、リードはこうだ。

《東京都三鷹市役所の警備員(民間会社)が九月中旬、突然姿を消したため、警視庁公安部などで調べたところ、この警備員はすでに、石川県・能登半島沖から、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の工作船で密出国していた事実が九日明らかになった。この警備員は、国内で北朝鮮工作員によって懐柔されたらしく、送り出しに関係した工作補助員一人が、これまでに石川県警に逮捕されている。在日韓国人が工作されて北朝鮮に渡ったケースはこれまでにもあるが、日本人が懐柔されて渡った事実が明らかになったのは初めてで、公安当局は、強い衝撃を受けている。》

「拉致」という言葉こそ使っていないものの、「懐柔されて」工作船北朝鮮に送り出されたことを明確に指摘している。
北朝鮮による拉致を初めて報じた記事としては1980年1月7日『産経新聞』(「アベック三組ナゾの蒸発」)が挙げられることが多いが、全国紙としては、この朝日の記事が先である。

以下、記事から抜粋する。
東京都田無市の建設会社社長A(38)を、外国人登録証の提示を拒んだため、石川県警が逮捕(外国人登録法違反)し、追及したところ《Aは久米さんを宇出津海岸の沖から北朝鮮工作船に乗せたことを自供した。このためAは出入国管理令違反(密入国ほう助)の疑いで再逮捕された。また、同県警がAの自宅を同容疑で家宅捜索した結果、乱数表など工作員に必要な「七つ道具」が出てきたという》。
久米さんは、金貸しをしていたAからの借金がふくれあがって《とりこまれた》と公安当局は見ている。
では、《なぜ日本人を北朝鮮に送り出す必要があったのか》と記事は続く。
(つづく)