タイの民衆暴動の行く末2

かつて、タイには強力な王室を否定する勢力があった。武装闘争を行なっていたタイ共産党である。
1980年代前半、私はタイ南部で共産ゲリラの根拠地に入ったが、映画館もある大きな町まで勢力下においていた。国軍の掃討作戦も進み、共産党は軍事的に押されていたと聞いていたが、まだだいぶ力を保っていることに驚いたものだ。
それが80年代後半になって一気に投降の動きが加速した。これは軍事作戦よりも経済・社会政策によるもので、農村開発が農民層を共産党から引き離したことが功を奏したのだった。
東北地方の「共産党投降式」を取材したことがある。
数千人の農民の共産党シンパが銃を差し出し、代わりに国王からの贈り物と国旗を受け取り国歌を歌った。国王と王妃の大きな写真がその式典を見下ろすように飾ってあったことを今も思い出す。
タイの国旗は白、紺、赤の三色だが、真ん中の紺が王室、それを上下からはさむ白が仏教、外側の赤は国民だとされる。王室と仏教は国民のイデオロギー支配の要である。タイでは、共産党の消滅以来、王室に刃向かう勢力はどこにもなかった。
ところが、タクシンが今回このタブーに挑んだかに見える。
「タイのタクシン元首相は27日夜、バンコクで開かれた反政府集会で国外からビデオ演説し、06年9月のクーデターの黒幕はプレム枢密院議長(88)だと初めて名指しして非難した。議長はプミポン国王の側近中の側近で元陸軍司令官。王室と軍の権威を代表するとみられる議長を批判の俎上(そじょう)に載せたことで、元首相は退路を断って支配層と戦う意思を示したことになり、社会の分断が一層深まりそうだ。」(朝日新聞3月28日)
民衆がここまで二派に分かれて争い、しかも国王の権威に挑戦する勢力が出てきたとすれば、今回の事態はいつもの民衆運動では済まされなくなる。さらに懸念されるのは、国王が高齢で健康に不安をかかえていることだ。後継問題が待ったなしになってきた。
「タイのプミポン国王の81歳の誕生日を祝う仏教儀式が4日、バンコクの王宮で行われた。国王は毎年、誕生日前夜のこの儀式で国民向けに訓話を行うのを恒例としているが、姿を見せずシリントン王女が代理出席した。」(毎日新聞、去年12月4日)
ともに植民地になったことがなく、王制で、王族の留学先はイギリスに決まっていることなど、日本とは共通点が多い。王室同士の交流もさかんだ。
日本の皇室と違うのは、プミポン国王の子どもたち(一男三女)にスキャンダルがつきまとうことだ。
例えば、以下の婚姻歴を見るだけで異性関係についても察することができよう。http://www.geocities.jp/operaseria_020318/kikyo/contents/royalfamily/Thai.html
さらにどす黒い噂話もあるのだが、ここには書かない。(タイには不敬罪があって、王室を侮辱した記事や本を出した外国人も逮捕されている)
王子が跡を継ぐことへの危惧は国民各層に強く、そのせいか、先の記事で国王の代理をつとめたシリントーン王女にも75年に王位継承権が与えられた。つまり、この二人のどちらかが次期の国王になる。後継決定はすんなりとはいくまい。
国民の間でのシリントーン王女の人気は圧倒的で、どんなに山奥の村のあばら家でも王女が微笑むカレンダーが飾ってある。私もタイをまとめられるのはこの人しかいないと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3
人類は、まだ王制が肯定的な役割を果たしうる発展段階にあると思う。とくにタイはそうだ。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080225
王室が国民の信頼を得ながら存続できるかどうかという深刻な問題にタイは直面しているように見える。これに比べれば、女性が天皇になれるかどうかの日本での議論など些細なことに思えてくる。