有田芳生さんと玉こんにゃくで一杯

19日の記者会見は、テレビではTBS、新聞は読売、毎日、日経が報じてくれた。
読売の記事には私の名前も出ていた。
《ジャーナリストの高世仁さん、有田芳生さんらで作る「意見広告7人の会」は19日、米紙・ニューヨーク・タイムズに来月下旬、拉致問題解決へ米国の協力を求める意見広告を出すと発表した。
 広告はモノクロ1ページ。横田めぐみさんや北朝鮮政治犯収容所の写真を入れ、オバマ大統領と米国民に「北朝鮮を真の民主主義の国に変える闘いにともに進んでいこう」と呼びかける内容になっている。
 費用は募金でまかなったが、同日までに994人から必要な650万円を上回る約1015万円が集まった。高世さんは記者会見で「余剰金を使って、韓国紙にも広告を出すことを考えたい」と話した。》(読売オンラインより)
ほんとは湯川れい子さんや勝谷誠彦さんなど著名人がアピールした方がよいのだが、みな忙しく、有田芳生さんと私が前に出てやっている。
昨夜、有田さんと「ご苦労さん」会と打ち合わせを兼ねて新宿で飲んだ。東口の交番前で待ち合わせたら、ものすごい数の若者がいる。そういえば休日だったことを思い出した。
山形の玉こんにゃくが食べたいと有田さんがいうので、山形人の飲み屋「お福」に行く。
店内はがらがら。「休日だから大したものないよ」と女将。垢抜けない店で、山形の田舎料理しか出さない。芋煮、玉こんにゃく、たらの芽はもちろん、もってのほか(菊)、からかい(エイ干物の煮つけ)、あけびが出てくることもある。酒は女将の出身地白鷹町の「加茂川」だけ。
こないだ、有田さんの『コメント力を鍛える』を読んだら、冒頭に意外な発見があった。本は「一人の男が横浜の自宅で亡くなった」という文章からはじまっている。それはかつて共産党系ジャーナリストとして知られた川端治氏で、有田さんに強い影響を与えたという。
川端氏の講演は「心に残っただけではない。行動へと導いた」と有田さんは書いているが、私にとっても彼は最高のアジテーターとして記憶に残っており(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090110)なつかしくなった。戦後の政治体制を「55年体制」と規定したのは川端氏であり、「状況を鋭く裁断し、その核心を短い言葉で表現する能力には驚かされるばかりだった」と有田さんは本に書いている。
有田さんと飲むと話はどうしても共産党のことになってしまう。しかもほとんど同年なので、共通の体験が多く話はつきない。
有田さんは、芳生(よしふ)という名前はヨシフ・スターリンから取ったというほどの共産党一家に生まれ、『文化評論』という共産党系の雑誌につとめた。その雑誌で、党の副委員長だった上田耕一郎小田実が対談したときの衝撃は今でもよく覚えている。これで左翼の広い統一戦線ができるのではないかと期待したものだ。この対談企画を担当したのが、有田さんだった。http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2008/11/post_f566.html
そのあと、共産党はまた狭いセクト主義へと戻り、小田実はじめ左翼人士には罵声を浴びせるようになる。いろいろあって、有田さんは何度も査問され、最後は「除籍」になった。
びっこを引いているのでどうしたのと聞くと、「一日平均15キロくらい歩いているので、膝に水がたまる」のだそうだ。有田さんは今度「新党日本」から衆議院選に出る。選挙区は板橋区(東京11区)で、民主がバックアップすることになっていてかなり有望だ。連日、駅頭で遊説し、家々を回って歩いているという。
ぜひ当選してほしい。その場でカンパをして後援会に入った。