早紀江さんのコスモロジー 「神のわざ」に生きる

苦しみはどうすれば耐えられ、乗り越えられるのか。
高校球児が、普通の人なら音をあげてしまいそうな猛練習や先輩のしごきを「甲子園のため」という目標をかかげることで耐えぬくという話はよく聞く。オリンピックに出ようとする選手は、他人より苦しいトレーニングをすすんで自らに課す。人は「意味」があれば苦しみを受け入れられるものだ。というより、それは「苦しみ」ではなくなるのである。
悩み多い人生。だが、その一局面だけでなく、人生全体を通した「意味」を持つことができるなら、苦難にも耐えられる。その「意味」の発見は、コスモロジー如何にかかっている。
早紀江さんは、聖書を読むことで、娘めぐみさんの失踪に何か大きなものの意図を感じた。それは早紀江さん独自の主体的な「読み込み」である。既成の解釈本に頼って理解したのではないことが重要だと思う。だからこそ、自分が長く求めてきたものを聖書に見出すことができ、深い癒しと生きる希望を得た。その解釈が正しいとか間違っているかは問題にならない。
《そのようなことのために、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じています。》
この、02年の小泉訪朝の日の早紀江さんの訴えは、《神のわざがこの人に現れるためです》というイエスの言葉に呼応していた。早紀江さんの言葉と行動には、この世のすべてに「神のわざ」を見る確固としたコスモロジーがある。どこか普通ではない突き抜けた気品と、深い説得力はここから来ていると思う。

ブッシュ大統領と会う前日の06年4月27日、早紀江さんは米下院公聴会で証言し、アメリカの政治家を感動させた。これは歴史に残る名スピーチである。
早紀江さんはこのとき体調が悪く、手が上がらないほどの肩の痛みを抱えていたが、それを感じさせない堂々とした話しぶりだ。拉致問題の解決だけでなく、「ひどい人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません」とも主張し、非常に広い視点から訴えて内容も立派である。ぜひビデオで見ていただきたい。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/rati/video_yokota.html

「学のない、ただの主婦」(早紀江さんの自分評)が辿りついた境地がここにある。