世界はありのままでよい

横田早紀江さんはもう77歳。
体はボロボロよ」と言いながら、講演やイベントで声をかけられるとできるだけ応じるようにしているから、年中せわしく全国を飛び回っている。
最近、早紀江さんが心配しているのが、若い人のあいだで拉致問題への関心が薄れてきているのではないかということだ。先月、東京の学生街、お茶の水の路上で署名活動をしたさい、たくさんの大学生が前を通っていくのに、ほとんど見向きもしてくれないことにショックを受けたという。
私も、若い人にアピールできるテレビ番組でなんとか後押ししたいと思う。きのうはそのインタビュー収録だった。

横田早紀江さんの住む川崎市の「平和館」には「横田めぐみさん」コーナーというのがあって、めぐみさん関連の写真やビデオが常設展示されている。をインタビュー収録場所にしたのだが、横田さんの自宅から車で片道30分かかる。その行き帰りにタクシーの中で早紀江さんと長い雑談ができたのだった。
日ごろ気が晴れることがないと聞くので、滋さんや早紀江さんに会うときにはなるべく楽しい話をするようにしている。きょうは、横田さんの自宅と私のとことどっちが家の中が散らかっているかという話。
早紀江さん「このごろ咳が出て、喉がいがらっぽいの。お医者さんに診てもらったら、どこも悪くないからアレルギーじゃないかって。掃除してないからホコリがひどいのよ」。
私「ああ、うちの娘もまったく同じ。ハウスダストで咳が出るらしいんです。とくに夜がひどいというんで、ついに昨夜は寝る場所を交代してくれと言われて、私、娘のホコリだらけのベッドに寝させられたんですよ」。
早紀江さん「高世さんはホコリ大丈夫なの」
私「ええ、私は鈍感なので安眠しましたけど、でも、ベッドの周りを掃除すれば済むことでしょ。なんで父親を不潔な場所に寝せるんでしょうね」・・・という話で笑いを取った。

いろいろ話すうち、自分にふりかかる現実(不幸)をどううけとめるかという話になった。
早紀江さんの話には、「使命」や「はからい」という言葉がよく出てくる。本に書いてあることや講演などのなかに、早紀江さんなりの了解の仕方、コスモロジーがあると思っていたので、ずばり聞いてみた。
(めぐみさんが拉致されたことも含めて)現実に起きていることは、深い意味では、すべてオーケーですよね、と。
「そうです」と早紀江さんは即答した。
厳しい状況を「試練」として受け入れ、現実を変えようと努力することはあっていい。だが、結果、成功しても失敗してもそれは神の「はからい」であって、そこには必ず意味がある。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080509
私はキリスト教徒ではないが、ここは非常に共感するところだ。私など想像もできないよう苦悩の中をしっかり生き抜いてこられたのは、このベースがあるからなのだな。
大乗仏教でも、最悪のことにも宇宙の真理が現れているのであり、それはそれでよい、世界はありのまま(如)でよい、と教えている。どの宗教も突き詰めると同じところに行き着くのだろう。
早紀江さんとこういう話をしていると、こちらが浄化されていくような不思議な感覚をもつ。