早紀江さんの歌の心

久しぶりに、横田早紀江さんの短歌を読んだ。早紀江さんは朝日歌壇に何度も入選したほどの詠み手である。

  《はろばろと睦み移りし雪の街に 娘を失いて海鳴り哀し》
 めぐみさんと双子の息子もいれて五人で広島から新潟に引っ越してきたのが、拉致の一年前。家族が一番まとまって楽しいときだった。明るいめぐみさんがいなくなって、食卓は火の消えたようになったそうだ。眠れぬ夜に冬の日本海の海鳴りが聞こえる。

《秋のこの かそけし道を汝は何 秘めたどりしか 行方も知れず》 
 拉致されたのが11月だから、その季節に詠んだのだろう。当時は真相が不明で、失踪の理由は全くわからなかった。早紀江さんは、何度も「なぜ」という苦しい問いを繰り返しながら暮していたのだろう。

 《巣立ちし日 浜にはなやぐ乙女らに 帰らぬ吾娘の名を呼びてみむ》 
 めぐみさんが中1の秋に拉致されてから2年半後、寄居中学の卒業式の日に詠んだそうだ。自宅に近い海岸で笑いさざめく若い娘たちがいた。その中にめぐみさんはいない。

前から知りたいと思っているのは、娘の原因不明の失踪という、絶叫したくなるような苦しみにあるなかで、歌を詠むという精神のあり方だ。
早紀江さんにとって、当時歌を詠むことは慰めになったのだろうか、それとも、悲しみをいや増す行為だったのだろうか。歌を詠むには、自分とその周りの情景を「客観化」しなくてはならないはずだが、そのことと、早紀江さんがどんな出来事にも意味があるという哲学に至ったことはつながっているのだろうか。
いつか早紀江さんに聞いてみたいと思っている。