リビア紀行―砂漠の思想

takase222007-09-04

きのう3日は、南部の砂漠のなかに隊商都市遺跡ガダーメスをたずねた。(写真)古くからオアシスに発達した交易拠点で、世界遺産にもなっている。
また遺跡である。しかし私は、ほんとは遺跡めぐりのためにリビアに来たのではない。
リビア政府は、革命記念日取材のためにやって来た海外の取材者たちのために、遺跡のプレスツアーをお膳立てしていた。取材活動には強い規制がかかっていて、我々はツアーを拒否できない。そこで案内されるまま、次々に遺跡に行くことになったのだ。
まず1時間ほど飛行機に乗った。どこまでも砂漠が広がっている。赤みがかった砂の色である。飛行場に着いてから、さらに砂漠の中を車で移動する。地平線まで続く砂漠の荒涼とした風景を見ていると、ここで暮したら、きっと全く別の人生観を持つだろうなと思う。
去年末イランで、砂漠は強烈な宗教を生むと聞いたことを思い出した。たまたま知り合ったイラン人文化人類学者Bさんの説である。
イランには広大な砂漠地帯の他に、特に北部には緑豊かで温暖な地域がある。その緑の地域はあまり信心深くないという。それを彼はこんなふうに説明した。
「緑の地表から様々な草木、虫や生き物が出てくるところでは、人は下を見て、地面に向き合うのです。そこで人が感動し感謝するのは、大地が生む具体的で豊かな恵みに対してです。
一方、砂漠では人は無力です。大地には人に親しいものはありません。何の助けもないのです。そこでは、人は空を見上げるしかありません。はるか上を見て祈りをささげるのです。強烈な宗教への希求がここに出てきます」。
空を見ることは神につながるのか。久保田早紀の「異邦人」のメロディーが浮かんできた。
「子どもたちが空に向かい、両手を広げ、鳥や雲や夢までもつかもうとしている・・・」
帰りはとっぷりと日が暮れてからのフライトになった。
窓からふと外を見ると、真っ暗な中にひとかたまりの灯りがある。オアシスの町の灯だった。砂漠の闇が広がるなか、そこ一点だけにきらめく、人が生きていることを証しするような小さな光たちの群れ。
それは、砂漠の最も美しい風景として私の心に残っている。