リビア改革への期待と狂犬

takase222011-02-27

2007年8月から9月にかけて、リビアを取材した。
カダフィに10回会ったというジャーナリスト平田伊都子さんに案内と通訳をお願いし、旧知のカメラマン井上晃さんと3人で、9月1日の革命記念日のプレスツアーに申し込んだのだった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20070831
平田さんが書いた『カダフィ正伝』という本は、カダフィを知るうえで必読文献だ。もう絶版で、さっきアマゾンで検索したら、古本で1万1千円もする。この情勢で品薄になっているのか。
きのうの朝の番組(やじうまテレビ)で、そのときの映像を流し、私は電話インタビューで説明した。それで、当時の取材を思い出した。
取材許可を取るのが非常に厳しい国なので、さぞ窮屈な国だろうと想像していたら、かなり開けた印象を持った。
アパートの屋上には衛星放送を受信する丸いお椀がならび、家庭ではアルジャジーラ、BBCはじめ300ものチャンネルを観ている。訪問した家の小さい女の子は「ハム太郎」が好きだと言った。
トリポリ市民は、日本人より国際ニュースに明るいのではないかと思った。
海外への移動の自由もある。町で会った若者は、「ここは医療水準が低いから、病気になったらみなイタリアに行く」と語る。
外国人も多い。比較的豊かな国で、出稼ぎ労働者が数多く来ている。また、古代ギリシャ・ローマ時代の遺跡や美しい海岸は観光名所でヨーロッパからのツーリストをよく見かけた。
(写真は、古代ギリシャ時代のキュレネ遺跡)
スーパーには世界中から輸入された食品がならび、世界中ブティックでは、若い女性が、肌もあらわなドレスを買っていく。
カダフィ一族が権力を独占しつつも、この支配体制を脅かさない限りは、ある程度の自由を許す社会だと思った。ガス抜きの意味もあったのだろう。
「硬い」専制ではないという印象は、政治家に会ったときにも感じた。
リビアは2003年、劇的な方向転換で世界を驚かせた。
03年8月には、1988年に起きたパンナム機爆破事件(270人死亡)の遺族に対し、一人あたり12億円の補償金支払いを約束。さらに12月19日、核をはじめ大量破壊兵器計画を放棄すると宣言、年末にはIAEAの査察が始まっている。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20071126
では、大量破壊兵器の放棄をなぜ決断したのか?
私が聞くと、「転換」のうらで活躍したといわれるガーネム元首相はこう答えた。
《「核兵器よりも経済発展に金を使う方が良いと考えた。銃かバターかの選択で、我々はバターを選んで、経済を発展させることにした」
権力のトップと実務官僚が手を組んで、非常に実利主義的な思考のもとに改革が進行しているのだ。彼らの話からは、イデオロギッシュなものを全く感じない。「改革開放」への転換の覚悟がない北朝鮮とは大違いである。
(略)
ここ数年、外国人観光客は毎年ほぼ倍増の勢いで、投資も輸入品も勢いよく流れ込んでいる。建設ラッシュが始まり、今や、爆発的成長の入り口である。
先月、リビアが30年ぶりに国連安保理非常任理事国に選ばれたが、「あのテロ国家が」、と隔世の感がある》
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20071128
このときは、私はリビアが緩やかに改革の道を進むと思ったのだが・・・
支持者に武器を配って反対派を一掃すると叫ぶカダフィは、まさに「狂犬」そのもの。専制の本質は変わっていないのだと気づかされる。