ウクライナはなぜ降伏しないのか

 先週の新聞の全面広告に中島みゆきが・・。BOSSの宣伝だという。

 久しぶりにマスコミに出るのを見て、まだ元気なんだなと安心した。

 最近は近所のカラオケ会では、1曲目はウクライナに思いを寄せて、彼女の「離卿の歌」か、小麦の収穫期にちなんで「麦の唱」(これは大麦だけど)を歌っている。

 不世出の人なので長生きして、良い歌をさらに作りつづけてほしい。

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 ウクライナの首都キーウ近郊のブチャは住民虐殺で世界に知られるようになった

 キーウからチョルノービリ原発に向かう途中にある町だ。私はチョリノービリ原発を2回取材しているが、キーウに宿をとっていたので、この町かまたはその近くを毎日のように通ったはずだ。

 ロシア軍は2月24日にウクライナに侵攻、その直後の3月初めにはブチャを占領した

 ウクライナ側の反撃もあってロシア軍は約1か月後に撤退したが、撤退後の4月2日、何体もの遺体が通りに放置されている様子が動画で発信され、世界に衝撃を与えた

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 5万人以上のブチャ市民のうち、3500人ほどが占領下も避難できずに残ったという。確認された犠牲者は420人にのぼる。強姦され殺害された女性の遺体も見つかっている。

(2日の講演会ではウクライナ大使館提供の遺体がはっきり写ったブチャの写真も展示された)

93%の犠牲者は頭部か胸部を撃たれていた。最初から殺すつもりでロシア兵は撃っていた。意図的な殺人だったのです」とブチャ市長のフェドルク氏朝日新聞に語っている。また、「両手を背後で縛られた遺体もあり、拷問や処刑だった可能性がある」と記事は伝えている。(9月5日付朝日新聞

5日付朝日新聞第2面

 多くの犠牲者を出しながら、ウクライナでは、兵士だけでなく、子どもから高齢者までが自分のできることでロシアとの戦いに参加している。戦場以外でも、多くの人たちが負傷者を介護したり、避難民に食糧を配ったりするなどボランティアに参加し、勝利するまで戦い続ける覚悟をしているという。

 ウクライナの人々のそこまで強い戦う覚悟は、いったいどこからくるのか。

 9月2日、それを日本人に分かってほしいと願うある在日ウクライナ人の話を聴く機会があった。在日ウクライナ人、片岡ソフィヤさんの講演で、演題は「なぜウクライナに『降伏する』という選択肢はないのか」。

 (片岡ソフィヤさん講演(9月2日、平塚市役所にて) 筆者撮影)

 ソフィヤさんは、ロシア侵攻で始まった今回の戦争について、日本で次のような意見を耳にしたと言う。

〇戦争をする両者が悪い
〇戦って死ぬより生きている方が良い
〇一般市民の命を救うために、ウクライナは戦いをやめるべき
〇大統領はウクライナ国民を闘わせるべきではない

 日本で聞かれるこうした声は、ウクライナについての「誤解」から来るものだとソフィヤさんは言う。

 まずはウクライナとロシアが『兄弟国家』だという誤解

 ウクライナはロシアに侵略され抑圧され続けた歴史をもち、特にこの100年間はそのために非常に多くの犠牲者を出している。

 とりわけ悲惨なのが、スターリン治世下の1932-33年には、急激な農業集団化と食糧の強制徴発によりウクライナに大規模な飢餓が引き起こされ、死者は数百万人に及んだとされるが、いまだ正確な犠牲者数は不明なままだ。ウクライナ語で「ホロドモール」(飢餓による殺害)と呼ばれる、ナチスドイツの「ホロコースト」にならぶ世界史上まれにみる大惨事である。 

飢餓により街頭に倒れ込んでいる農民と気を払うことなく通り過ぎるようになった人々。(1933年)日本ウクライナ友好協会HPより

 ロシアはウクライナの「兄弟」などではなくずっと侵略者であり続けてきたとソフィヤさんはいう。

 ロシアのプーチン大統領はかねてより、「ロシアとウクライナは一つの民族」と主張している。

 今年6月には、ロシアの安全保障会議副議長を務めるメドベージェフ前大統領が、自身のSNS に「ウクライナが2年後に世界地図上に存在していると誰が言ったのか」と書き込んだことが注目された。

ドミトリー・メドベージェフ前大統領、プーチン大統領と(2008年)wikipediaより

 一つの国と民族を抹殺せよとの主張をロシアのトップリーダーが公言するとは驚きだが、ソフィヤさんに言わせれば、今起きていることは、ロシアが昔からウクライナに対してやってきたことを繰り返しているに過ぎないという。

 ウクライナの文化がロシアに取り込まれた例としてソフィヤさんが挙げたいくつかを紹介すると―赤いスープのボルシチ、コサックダンス、民話の『おおきなかぶ』などなど。
 会場からは「えっ、これもウクライナのものなの」とざわめきが聞こえた。

(「おおきなかぶ」は紆余曲折を経てトルストイ原作になって世界に広まっている『おおきなかぶ』(内田莉莎子再話、佐藤忠良画、福音館書店)より)

 

 言語に対する抑圧も厳しく、ウクライナ人作家のゴーゴリウクライナ語で彼の名前はホーホリと発音するそうだ)はロシア語でしか書くことができなかったため、ロシア文学の中に位置づけられている。
 ウクライナ語とロシア語は、英語とオランダ語ほどの違いがあり、完全に別言語だ。

 アイデンティティを奪われることがどんなに苦しいか、想像してみてください」とソフィアさん。

 民族のアイデンティティの問題は、おそらく日本人にとって理解が難しいことの一つだ。

 海外から帰国して空港に着いたとき、ほっとした気持ちになりませんか、日本食を食べながら日本に生まれて良かったと思うこともあるのでは、とソフィアさんは分かりやすい例を挙げながら話を続ける。

 海外で「ゴミを拾った立派な行為」を日本人が褒められているとニュースで知れば誇りに思い、ノーベル賞の受賞で日本の科学は進んでいるなとうれしくなったり・・・。
 こうしたものをすべて否定されたらどうだろうか。

 ソフィアさんは「アイデンティティは生きる意味であり、幸せです。これを失うと心がからっぽになります」と訴える

 

 後日、近代ウクライナ文学の創始者とされる詩人、シェフチェンコの詩集を読んでみた。
 彼の「遺言」という詩は次のように終わる。

 わたしを埋めたら
 くさりを切って 立ち上がれ
 暴虐な 敵の血潮と ひきかえに
 ウクライナの自由を
 かちとってくれ
 そしてわたしを 偉大な 自由な
 あたらしい家族の ひとりとして
 忘れないでくれ
 やさしい ことばをかけてくれ


(つづく)

統一教会と日本会議 なぜ「共闘」できるのか?2

 はじめに、うれしいニュース。

 【マニラ共同】フィリピンのラモン・マグサイサイ賞財団は31日、「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を、ベトナムを中心に東南アジアで失明予防に尽力してきた眼科医の服部匡志氏ら4人に授与すると発表した

 服部匡志医師とは―
 2002年に京都でベトナム人医師と出会った事がきっかけで、服部は日本とベトナムを往復する生活を送る事になる。ハノイ国立眼科病院において服部にしかできない高度な治療術で、多くのベトナム人の眼に光を取り戻している。ベトナムでは服部は「神の手を持つ男」と呼ばれている。ベトナムの国営放送で3日に渡って服部の特集が組まれた事もあるほどである。

 だがベトナムでは報酬は一切受け取っていない。ベトナムでの旅費、滞在費、治療費などは、東北から九州まで日本各地で治療をこなして得たアルバイト報酬でまかなっている。その為、服部は年収400-500万程度でしかないが、本人は気にしていない。(wikipedia

《服部匡志さんは、NHKのオンラインインタビューに応じ、受賞について「びっくりしました。こつこつとこの活動を続けてきたので、よく見つけてくださったと感謝の気持ちでいっぱいです」と喜びを語りました。

 これまでのベトナムでの医療活動について、服部さんは「“アホちゃうか”って、よう言われました。自分がしたいから続くのであって、人の目を気にしない、誰が何を言おうと僕はこれをやるんだという強い意志があったから、20年続けてこられたんだと思います」と振り返りました。

5日のNHKニュースより

 そのうえで、活動のやりがいについて「自分が手術をすることによって光を取り戻してもらう、その患者さんの笑顔が僕にとっては最高のハピネスで、それはなかなかお金で買えるものじゃない。目が見えるということは、その人だけでなく家族全体が変わっていく。それが貧困からの脱出の手助けになればと思っている」と述べました

 ベトナムで眼科医の育成にも力を入れてきた服部さんは、今後について「アジアの先生方が自由に出はいりして、研修を受けて帰っていけるような病院を作りたい」と抱負を述べました。(NHKニュースより)

 すごい人である。

 利他的な行為を「私はいいことやってます」と意識せずに自然体でやれるのに感銘を受ける。中村哲医師にも通じるところだ。

 服部さんについては、かつて私の会社で番組化をめざしてかなり調べたことがあった。こういう日本人が認められるのはうれしいし誇らしい。

 あ、中村さんで思い出したが、中村哲医師こそ「国葬」に値する人だったと思う。

 中村さんが凶弾に倒れたあとの安倍内閣の扱いの冷たさには、今でも怒りがこみ上げる。

 カブールでは大統領がアフガニスタン国旗に覆われた中村さんの棺を担いで最高の敬意を示した。ところが遺体が成田空港着くと「白い布で覆われたひつぎは、地上作業員が一礼して出迎えた後、貴賓室前の車寄せに運ばれ、一緒に帰国した妻と長女、外務省関係者らが献花。黙礼してその死を悼んだ。駐日アフガニスタン大使も参列した。」(朝日新聞)

 安倍首相が駆けつけて「日本の宝」として迎えるのかと思ったら、政府を代表して来たのは鈴木外務副大臣のみ。これはどういうことだ!?

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 安倍氏国葬なんてとんでもない。

 安倍氏統一教会にとって政界への「窓口」だったことが日々明らかになってきている。日本の政治をめちゃくちゃにしただけでなく、韓国、北朝鮮の権力者とつるむ統一教会を日本政界に呼び込んだ亡国の宰相ではないか。

 『毎日新聞』につづいてJNN世論調査でも内閣「不支持」が「支持」を上回った。国葬反対は51%で半数超え。

 また、「自民党は党所属の国会議員に対し、旧統一教会との関係について自ら点検し、党に報告するよう求めていますが、これが実態の全容解明に繋がると考える人は6%にとどまり、89%の人は「解明されない」と答えました。」(JNNニュース)

 そりゃそうだろう。自民党がいまさら「点検」と称してやってるのは、すでにマスコミがとっくに議員らに行ったのと同様のアンケート調査にすぎない。あとで違っていても、「気がつきませんでした」で済まされてしまうだろう。

 ジャーナリストの鈴木エイト氏が2日、文化放送大竹まことゴールデンラジオ!」で、 自民党の所属国会議員に対する調査について〝ダメ出し〟した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c39e520a946570748ded7c268975c5f21e2c623

 《配布されたアンケート用紙には「会合への祝電・メッセージ等の送付」や「広報紙誌へのインタビューや対談記事などの掲載」、「旧統一教会関連団体の会合への出席」、「選挙におけるボランティア支援」の有無など8項目にわたり確認することになっている。

 これに鈴木氏は「実は1枚目に『党としては組織的な関係はないことを確認しております』とあり、その前提のもとで8項目がある。全然足らない」とバッサリ

「例えば『秘書を受け入れきた』とか、『教団に対して何がしかの便宜を図ってきたか』とか、『政策決定に影響を与えたか?』とかそういう本来聞くべきことがまったく抜け落ちている。『どういう議員がどういう関係だったか知っているか?』など自由に書く欄もない」と鋭く指摘した。

 それを踏まえ「『この8項目以外のことは書くなよ』と足枷のついたアンケートだと思う。その上で『党との組織性をにおわすことは書かないでくれよ』というのが、しっかり1枚目にある。まったく公正、公平な調査とは言えない。自己申告で自分の首を絞めるようなこと言うわけがないんですよ、根本的に」と断じた。》

 まったくそのとおり。
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 さて、きのうの続き。

 韓国国粋主義統一教会民族派日本会議は、戦前の日本のアジア侵略をめぐる歴史認識では全く相いれないはずなのに、なぜ「蜜月」関係でいられるのか。

 これについて、東京新聞田原牧論説委員が以下のような指摘をしている。 
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/196569/1

 
《両者の協調は長い。日本会議は97年に設立されたが、その準備過程ともいえる70年代後半の元号法制化運動では、熊本県生長の家政治連合(生政連)と勝共連合などが協力し、法制化推進のための県民会議を結成している。

 生政連が支援母体で、総務庁長官を務めた自民党議員、玉置和郎氏は勝共連合の顧問でもあった。

 この協調関係は右派系文化人らの動きからも明らかだ。日本会議と関係する大学教授らは同教会系の団体「世界戦略総合研究所」でしばしば講演していた。彼らは同教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の機関誌にも執筆している。》(略)


《ある右翼関係者は「日本会議を切り回す生長の家の元信者と原理研は『戦友』だから」と説明した。

 60年代末に学園闘争が盛んだった時代、長崎大などで民族派学生運動を担っていた元信者らと旧統一教会の学生(原理研)らは全共闘系の学生らとの衝突で、ともに闘った間柄だった。その「血盟」が続いているという解釈だ。

 一方、一水会の現代表である木村三浩氏は「勝共はカネも動員力もある。そして『反左翼』でとりあえず共闘する。同床異夢でも、安倍政権を支えることで一致していた」と話す。いわば、打算による野合だ。

 加えて「勝共の初代会長は立正佼成会出身の人物。『日本の統一教会と韓国のそれとは違う』と説明した可能性がある」と語る。

 実益のための利用だとすれば、自民党などの一部議員たちが、選挙などに無償で提供される労働力ほしさから、旧統一教会と関係を結んだことと大差はない。

 しかし、教会側にも利用する意図がある。相手が議員の場合、官憲からの組織防衛とともに、政策面への影響も狙ってきた。旧統一教会の月刊誌「世界家庭」(2017年3月号)には関連団体の総会長が活動方針の一つとして「議員教育の推進」を掲げている

 「こちら特報部」が指摘したように、少なくとも自民党改憲たたき台案(18年)は、その前年に勝共連合が公開した改憲案と内容がほぼ一致している。

 日本人信者を食い物にした資金が、旧統一教会から北朝鮮の現体制に流れていた構図がある。旧統一教会の教典「原理講論」では、朝鮮半島における日本帝国主義の「虐殺」「殺戮」が説かれている。反共で一致するにせよ、旧統一教会との協調を日本会議などはどう正当化するのか。

 旧統一教会問題が再燃して以来、日本会議系の右派文化人らは総じて口を閉ざしている。そうした沈黙自体が旧統一教会による右派工作の産物の一つといえそうだ。》

 まだすっきりしないが、引き続き調べよう。

 今回、統一教会の異様な対日搾取構造(主に日本だけから資金を吸い取り、日本女性を花嫁として韓国人にあてがう)が広く知れ渡ったことで、まともな保守層が極右運動に距離を置く可能性がある。
 それがひいては統一教会日本会議を含む他の右翼諸団体との関係に影響していくのではないか。注視したい。

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 1日、ウクライナザポリージャ原発国際原子力機関IAEA)の調査団14人が入った。原発への攻撃が続くが、これをウクライナ、ロシア双方が、相手側の攻撃だと非難している。

 ロシアのフェイクニュースに違いないとは思うが、確証がなかった。

 そこにこの動画が入ってきた。敷地内に落ちた砲弾を調べていたIAEAの調査団が、「方向からいうとロシア側から発射されたようだ」と言う。
 すると、現地のロシア人の幹部が慌てて出てきて、「いや、ウクライナ側が発射したのが途中でぐるっと回って方向転換して飛んできた」と両手を回転させながら「解説」。

NHKニュースより

 ロシアが撃ったと認めれば、この幹部自身の身がヤバくなるからどんなに頓珍漢な理屈であっても弁明せざるを得ない。

 周りに取材者(もっともロシアが認めたものだけ)がいたので、一部始終が世界に配信された。ロシアの嘘はもう体質と化している。

統一教会と日本会議 なぜ「共闘」できるのか?

 東京新聞が3日、第1面に「『家庭教育支援法』法制化 旧統一教会系団体 地方で陳情 神奈川18年、一斉に意見書求める動き」との大見出し。

3日の東京新聞第1面

 統一教会系団体関係者が自民市議に法制化の意見書提出を働きかけ、18年に川崎市議会が可決していた。こうした動きが地方で一斉に出ており、衆参両院には17年から今年8月までに全国34議会から、同法制定を求める意見書が提出されているという。

 2面の見出しは「安倍氏肝いり 国会提案棚上げ『家庭教育支援法』 伝統的家族観 『公権力の介入』批判根強く」で、鈴木エイト氏が以下のコメント。

「教団は家長主義的な思想で、男女共同参画や性の多様性を否定してきた。法案には女性の社会進出の視点が欠け、古い家族像が前提となっており、教団が共鳴する内容といえる」

日本会議などとも連動して地方議会から中央に意見書を出させ、法整備を働きかける動きは他の政策でも見られる」。

 この法案は安倍氏らの2肝いりの政策で、根強い批判の中で、地方では同じ趣旨の条例を制定する動きが進んでいる。今年6月までに静岡県茨城県など10県6市が制定した。

 地方から中央へ攻め上る態勢を着々と作っているようにみえる。。

 

 4日の朝日新聞

4日の朝日新聞の第1面

 全国の国会議員と都道府県議、知事を対象に統一教会(通称)との関係を尋ねるアンケートを実施したところ、接点を認めたのは計447人。国会議員は150人、都道府県議は290人、知事は7人だったという。

 地方政界にも統一教会が浸透していることを示す。

朝日新聞の第2面

 地方から中央へ攻め上る手法は、極右団体、日本会議のそれに重なる。

 青木理日本会議の正体』平凡社新書)は日本会議の運動のノウハウをこう指摘している。

神社本庁や神社界、新興宗教団体といった動員力、資金力のバックアップを受けつつ、全国各地に“キャラバン隊”などと称するオルグ部隊を次々に送り込み、“草の根の運動”で大量の署名集めや地方組織づくり、または地方議会での決議や意見書の採択を推し進めて“世論”を醸成していく」(P212-213)

 その結果、次のような成果をあげたという。

 元号の法制化、建国記念日の祝日化、「愛国的」な歴史教科書の編纂、国旗国歌法の制定、皇室尊崇意識の滋養、「憲法改正の前哨戦」としての教育基本法改正など。
 あらためて近年の右傾化はすごいなと驚く。

 「地方から中央へ」という手法は統一教会日本会議から学んだというより、鈴木エイトさんが指摘するように、両者は「連動」する共闘関係なので同じになるのは当然なのだろう。

 しかし、韓国第一主義の統一教会と、日本会議という神社本庁をベースにした国家主義的団体がなぜ「共闘」できるのか。ここは多くの人の疑問とするところだろう。

 なにせ統一教会は、「日本はサタン側の国家」で「あらゆる民族はこの祖国語(韓国語)を使用せざるを得なくなる」など愛国主義的「右翼」にはとうてい受け入れがたい「反日」教義を説いているのだ。

 しかも、統一教会に反旗を翻した「世界日報」元編集長の副島嘉和氏と元幹部の井上博明氏が月刊「文芸春秋」84年7月号に執筆した旧統一教会内部告発によれば、統一教会には文鮮明氏と家族を前に主要国の元首たちがひざまずく儀式があり、天皇陛下の役を日本の旧統一教会会長が担っていたという。

 日本の「右翼」が知ったら卒倒しそうな内容だ。

 これでなぜ「共闘」が可能なのか?

 なお、この「文藝春秋」の記事が出版される直前、副島氏は何者かに刃物で襲われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E5%B3%B6%E5%98%89%E5%92%8C
(つづく)

 

ゴルバチョフ死去のニュースに

 ソ連大統領のゴルバチョフ氏が死去した。

NHKニュース7より

 彼が表舞台に登場して共産圏が崩壊するなかで、私たちは社会主義像をめぐって考え、悩んだ。感慨深い。

 情報公開と複数性を認めたらソ連型(コミンテルン型)の社会主義はもたないだろうとは思ったが、あれほど急激にガラガラと共産主義体制が瓦解するとは驚きだった。

 共産党の書記長つまり権力の中枢にゴルバチョフがついて、ど真ん中から体制を食い破っていったわけで、なぜあんなことが可能だったのか、今でも不思議だ。あれ以来、北朝鮮や中国でも、体制の内部から、ゴルビーのような「鬼っ子」が出現してくれないかな、といつも思っている。

 ノーベル平和賞を90年に受賞した際の演説で述べた、「平和とは、類似性の調和ではなく、多様性の調和である」という言葉は、彼の冷戦終結への行動が状況に強いられた面もありつつ、自ら歴史を動かそうという主体的な営為として行われたことを示す。

 また、独立系紙『ノーバヤ・ガゼータ』の創立を支援したことも彼が本気で「グラスノスチ」(情報公開)を信じていたからだ。

ノーバヤ・ガゼータのムラトフ編集長(右)とは盟友だった

 いま、「グラスノスチ」時代に設立されたメディアやNGOプーチン政権のもとで次々に解散や活動停止に追い込まれているのを見ると、あまりの変貌に戦慄を覚える。我々は、いま選挙によって独裁体制が生まれ強化される事態を同時代で目撃しているわけである、

 ついでに余計な話。
 日本共産党が、政権を取ったら中国みたいに人権を弾圧するのではないかと疑問を持たれることについて、中国の誤りには「自由と民主主義」を体験することなく革命にいたったという歴史が横たわっているので、「発達した資本主義国からの社会変革をめざす日本では絶対にこんなことはおこりません」と主張している。
 しかし、発達した資本主義国だったドイツでもナチスが選挙によって独裁権力を築いたわけで、この理屈は説得力を欠く。

 もとい。ウクライナの英語サイト『ビジネス・ウクライナ・マガジン』は―
「哀悼 ゴルバチョフ氏。ソ連の最後の指導者は冷戦を終わらせたと世界の喝采を浴びたが、多くのロシア人はソ連を崩壊させたと彼を非難した。近年はゴルバチョフ氏はロシアのウクライナ侵略とクリミア占領を支持していた。」と掲載した。

FBより

 クリミア半島占領へのゴルバチョフのコメントは―

「かつてクリミアがウクライナ編入されたのはソ連時代の法律によってだ。住民の意見を聞かずに、法律によって編入されたのだったが、今回、住民自身がその過ちを正したのだ」(The Moscow Times.)

 このコメントによって2016年にはゴルバチョフウクライナへの入国禁止になっていた。ゴルバチョフでさえ、クリミア併合を支持するのか。ロシア人のウクライナ、とくにクリミアに関する感情はなかなか理解しがたい。
 
 ともあれ、冷戦の終結ドイツ統一は彼なしにはありえなかったわけで、その意味で「歴史の方向性を変えた唯一無二の政治家」(グレーテス国連事務総長)との評価は頷ける。
 ドイツのメルケル前首相が「私の人生を根底から変えてくれた。そのことを決して忘れないだろう」と声明を出したのもなるほどと思う。

 世界史を大きなスケールで変えた人だった。
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 このかんの統一教会関連報道で、次々に重要な事実を発掘してスクープを連発しているのが共産党の『赤旗だ。

山際経済再生相を連続追撃する赤旗日曜版(左が8月11日付、右が18日付)


 共産党は、反共イデオロギー統一教会の日本上陸時点から最大の敵だった。統一教会を批判し情報を収集しつづけていれば、統一教会内部からの情報も入ってくるだろう。

 先日、共産党の会議にジャーナリストの鈴木エイト氏が招かれて興味深いやり取りがあったことを紹介したが、今後、共産党とジャーナリズムの「化学反応」でさらに深い追究がなされることを期待する。

takase.hatenablog.jp


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 お酒に強い遺伝子タイプが多いのは、1位が青森、2位が沖縄だという。

ユーグレナ調べ

 上位に東北が並ぶ中、沖縄が上位に来るのはなぜ。

 日本列島の北と南に残っている縄文人系のDNAのせいなのか。アイヌの遺伝子タイプを知りたいが。

 犬の世界では、北海道犬琉球犬が遺伝子的に非常に近いことが分かっている。

 酒の話から日本列島の歴史を思うのも楽しい。

統一教会と北朝鮮 蜜月の背景

 京セラとKDDIの創業者、稲盛和夫が8月24日、老衰のため京都市内の自宅で90歳で亡くなった。“経営の神様”として知られ、倒産した日本航空JAL)を再上場させた。

NHKニュースより

 稲盛氏とはちょっとしたご縁がある。

 私はカンボジアシェムリアップにあるシルクの村「伝統の森」を応援しているが、稲盛氏はそこを訪ねていた。アンコールワットから田舎道を車で1時間近くかかる辺鄙な場所に多忙な稲森氏が訪ねていたのだった。

 「伝統の森」を荒地からつくり上げた森本喜久男さんの「遺言」を私がまとめた『自由に生きていいんだよ~お金にしばられずに生きる“奇跡の村”へようこそ』旬報社、2017)にこのエピソードが出てくる。

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 森本さんが点から面へと展開していくという社会改革論を語った第4章「「点」からはじめよう」。

 「伝統の森」ではお母さんたちが子どもを作業場に連れてきている。この村には当時、年間2千人近い見学者が来たが、子連れの作業風景に感銘を受ける人が多かった。

 ある美容院のチェーン店のオーナーは、日本に帰国してから、自分の店に子連れのお母さんが働ける環境をつくった。美容室の隣に、お母さんたちが交代で自分と仲間の子どもたちの面倒をみる部屋を設置したのだった。

 役所にやってもらうのではなく、まずやれることを自分たちでやっていく、それがやがて行政を動かしていくと森本さんは語る。点が面を動かしていくという。

森本
「実は、数年前、稲盛和夫さんがここに来た。ここに何かビジネスの展開にヒントになるものがあるのでは、と見学に来たらしい。すごいなと思ったのが、あれだけ忙しい人が、わざわざ時間をとって、この田舎までやってきたこと。現状維持ではなくて、常に次の進化を求めている人たちは、自分が何か気になることがあれば、それをすぐに確かめるんだね。その行動力がビジネスにとって大切なネクストを生み出すものだと思う。

 その後、しばらくすると稲盛さんに心酔している若い経営者たちが「どんな村かちょっと様子を見に行こうよ」とここに来るようになった。稲盛効果というのかな。

 で、実際に来た人がね、「やっぱりあそこ、おもしろい、どこか違うぞ」と感じてくれて、ほかの人たちにそれを伝えていく。それがいま、広がりはじめている。(略)」

高世:日本で経営者の考え方が変われば、社会の変化ははやいでしょうね。

森本
「そうだよ。子どもを預ける場所がないから働けない、というお母さんたちがいるのなら、子どもを職場に連れてきて働けばいいじゃないか。経営者の考え一つで、そういう職場は実現する。これからもっと増えていく。間違いなく。

 でも、通勤ラッシュで子どもを連れて通うの大変だ。そしたら1時間遅く出勤してもいいことにしよう。会社を退けるのも1時間早くして、ほかの人が1日7時間働くところを、そのお母さんは5時間働くだけでいいとなれば、通勤の環境もよくなるし、働きやすい環境になる。」(P148-149)

 

 この村は電気が通っていないし、もちろんコンビニもない、自給自足に近い村だったが、私たちに人の幸せとは何かを考えさせた。

 いま日本社会はボロボロだが。経営者たちにはもっとドラスティックな発想の転換を期待したい。
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 「反共」を旗印に掲げた統一教会(通称)の文鮮明が、一転して北朝鮮金日成にすり寄っていったときには私も驚いた。北の共産政権を叩き潰せ!と言っていたはずなのに・・・

文鮮明(左)と金日成(TBS報道特集より)


 この「転換」には統一教会の本質が出ていると思うので、9年前の記事統一教会が貪る『2018年平昌五輪』」(『新潮45』2013年11月号)から引用する。

 記事を執筆したのは裵淵弘(べ・よのん)さんで私の古い友人だ。朝鮮半島の闇を取材しつづけてきたジャーナリストである。

(前略)
 統一教会北朝鮮の因縁は古く、教団草創期にまで遡る。

 平安北道定州郡生まれの文鮮明は、1948年、女性信者に対し性的に淫らな儀式を行っていたとして朝鮮労働党当局に拘束され、収容所送りとなるが、朝鮮戦争のどさくさで脱獄。避難先の釜山で布教活動に入り、戦後ソウルで「世界基督教統一神霊会」を立ち上げた。その時掲げた教義が共産主義に勝つという「勝共」だった。68年には「国際勝共連合」を結成して本格的な勝共運動を始め、日本でも信者を議員秘書として送り込むなど政界に深く入り込んだ。

 一方で、70年代から90年代はじめにかけ、日本で大理石の壺や多宝塔を使った霊感商法で荒稼ぎをし、現在の経済基盤を築いたとされる。

 だが、共産圏国家の連鎖崩壊が現実となり、「勝共」が色褪せてしまうと、文鮮明は教義を「統一」に修正し始める。北朝鮮との接点を模索するうち、マダム朴の異名を持つ在米韓国人女性実業家の朴敬允(パクキョンユン)と知り合い、水面下の交渉が始まった。こうして実現したのが91年11月の文鮮明金日成会談で、意気投合した二人は〝義兄弟の契り〟まで結んだ。

 この時の会談で、金主席が「世界的な組織網を持つ文総裁が金剛山開発をしてくれることを望む」と語ったことが、教団が北朝鮮の観光事業をてがけるきっかけとなった。統一教会と朴敬允は、北朝鮮の「アジア太平洋平和委員会」(対韓国戦略を担う労働党統一戦線部傘下の機関)と共同出資して「金剛山国際グループ」を設立し、金剛山観光事業が動き出した。社長に就任したのは朴相権だった。

 94年1月、文鮮明側近の朴普熙(パクポヒ)が、霊感商法で訴えられた日本の統一教会系企業「ハッピーワールド」幹部を連れ金日成を表敬訪問し、金剛山観光の妥当性調査報告書を提出。2日後、内閣に相当する政務院が、金剛山開発予定地の50年間の土地利用権、第三者との合弁権などを金剛山国際グループに与える委任状を出す。この合意のため巨額の裏金が北朝鮮に渡ったと、後に朴敬允は明らかにしている。

 だが、事業は思うように進まなかった。北朝鮮で核開発疑惑が発覚し、クリントン政権が核施設の限定爆撃を計画するなど、観光どころではない。状況に変化が生まれるのは、98年初めに太陽政策を掲げる金大中政権が発足してからだ。同年六月、韓国最大の財閥、現代グループ創業者の鄭周永が訪朝を果たし、11月から「現代峨山」による金剛山観光が始まるのである。

 契約を反故にされた統一教会は、それでも北に貢ぎ続けた。同時期に教団の平和自動車が北朝鮮国営の「朝鮮連峰(リョンボン)総会社」と7対3の比率で出資し、南北合弁の「平和自動車総会社」の設立に合意。理事長(社長)に朴相権、副理事長にハッピーワールド幹部の小柳定夫を就任させた。初期5年間の投資額は3億ドルに達し、日米の教団資金がつぎ込まれたと考えられている。

 平安南道南浦市に工場を建設した平和自動車総会社は、イタリアのフィアット社の部品をノックダウン生産で売り出し、08年から黒字を出し続けている。乗用車の「フィパラン(口笛)」やミニバスの「三千里」は今まで約一万台を売りさばいた。教団はこの他にも、自動車部品会社や注油所、平壌市内の普通江ホテルなどの現地法人も運営することになる。

 昨年末、朴社長はその平和自動車総会社を含むすべての株を、北朝鮮に無償で譲渡してしまう。教団の説明によれば、株譲渡は生前の文鮮明の意思を尊重し、総裁に就任した韓鶴子が朴社長に指示したのだという。

 先述の戦勝節式典で金正恩が朴社長を厚遇した背景には、こうした事情があり、その見返りが馬息嶺スキー場の利権である可能性は十分にある。

 同舟相救う統一教会北朝鮮。彼らの当面の目標は金剛山観光の再開だ。08年に韓国人女性観光客が北朝鮮兵士に射殺された事件を機に、観光は中断されたままになっている。続く10年に発生した韓国海哨戒艦沈没事件により、韓国政府は開城工業団地を除く南北の人的・物的交流を全面的に中断する「5・24措置」を発表した。

 2年前の金正日誕生パーティーに朴敬允とともに参加した朴社長は、朝鮮労働党統一戦線部長の金養建(キムヤンゴン)書記に、「現代グループに与えた金剛山観光の独占権を破棄しようと思います。その仕事を手伝ってもらいたい」と相談されていた。だが、同措置が解除されない限り、馬息嶺スキー場どころか金剛山観光にも目途がたたない。

 北朝鮮は9月25日に予定されていた南北離散家族の再会事業をテコに、同措置を解除させようとしたが、韓国側の消極的な態度に業を煮やし、強硬姿勢に逆戻りしている。挑発は宥和を引き出す常套手段なので、韓国政府が無条件で措置解除のカードを切ることはないが、五輪開催中に軍事挑発でもされたらたまったものではない。遠からず朴槿恵(パククネ)政権は観光再開に踏み切るしかなさそうだ。

 金剛山観光は04年に陸路ツアーが始まってから観光客が増え始め、現代峨山の売り上げも年間200万ドル以上に達したことがあった。統一教会がスキー観光を独占すれば、同規模の利益がもたらされ、瀕死の教団が息を吹き返すことになりかねない。(終)

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 記事に指摘されているのはこの当時の動きだが、統一教会北朝鮮の関係性がよく出ている。

 ちなみに、ここ数日、テレビのワイドショーなどで、米国の統一教会系企業「トゥルー・ワールド・フーズ」が多くの寿司店に鮮魚を卸していることなどを報じているが、ネタ元は裵淵弘さんの昔の記事だろう。

裵淵弘さんのスクープ記事 SAPIO 08年3月12日号 

 これはブックレットにもなっている。

www.shinchosha.co.jp

 以前からコツコツと統一教会の取材をしていたジャーナリストたちのお陰で我々はより深い情報を得ることができている。今回の統一教会をめぐる事態で、調査報道の重要性を感じる。

いま学ぶべき日朝秘密交渉の舞台裏

 ロシアのウクライナ侵攻は、新聞の歌壇でも戦争を否定する歌によく詠まれている。

 若い世代はどうなのかと、歌人今野寿美氏が文芸授創作の授業で題「ウクライナ」としてみた。以下、女子大生の2首。

勝ち負けをジャンケンで決める僕たちはキエフがキーウとなったと知らず (堀川珠璃依)

明日があることに苦しむ僕たちと明日を生きたいと祈る彼ら (吉井万由子)

 今野寿美氏は、「この二首の社会意識、表現の喚起力の感心してしまった」という。前者が能天気な若者に、後者が厭世観に浸りがちな若者に成り代わって詠みつつ、それでいいのかと問いかけ、また戦争の理不尽さを浮かばせていると評価する。(朝日新聞8月7日付「朝日歌壇」より)

 若者の感性とかみ合った問題提起ができれば、何か大きな動きが起きる予感がした。

 ところで、いま若い女性は一人称に「僕」を使うのが当たり前だそうだ。若い女性のシンガーソングライターが、「ぼくは~」と歌うのはそのまま女性の自分を歌っているのか・・。
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 来月は日朝平壌宣言拉致被害者5人の帰国から20年になる。

 小泉純一郎総理の訪朝を実現させたのは、田中均アジア大洋州局長(当時)による1年におよぶ秘密交渉だった。その舞台裏をNHKに語った。

 この経緯は、田中氏自身の著書や対談などで明らかにされているが、それらに出ていないことも語っており、ここに紹介したい。北朝鮮との外交を進める上で教訓に富む内容が語られている。《》は私の感想。

 

 2001年9月、小泉訪朝の1年前、田中氏は小泉総理に北朝鮮との交渉を提案した。

 北朝鮮との懸案を解決し、半島に平和を作ることこそが日本の国益につながると考えていたからだ。

(総理に)朝鮮半島で何としてでも活路を開きたい。交渉してもいいですか」という話をしたら、小泉さんは「いや田中さん、それやってくれ。だけど絶対秘密だ。というのは人の命がかかってるから秘密だ」といった。

NHK国際報道より

《田中氏の方から交渉しましょうと総理に提案したという。当時は官僚がイニシアチブをとることがあったのかと感慨深い。官僚にも「サムライ」がいたんだな。それに小泉総理が即座に決断して「やってくれ」と乗る。情景が目に浮かぶようだ。

 安倍総理が官邸主導の態勢に変えてから、官僚発のアイディアで新たな施策がとられることは激減したのでは、と推測する。》

 政府内で当初、交渉の存在を知らされていた人は片手で数えられるほどだった

この中に当時官房副長官だった安倍氏は入っていない

 安倍氏は小泉訪朝で大きな存在感をアピールし、人気を得ていくのだが、実は北朝鮮との交渉を進めるにあたって、小泉総理から信頼される間柄ではなかったのである》

 秘密を守るため、交渉は第三国で週末に行われた。舞台は主に中国の大連や北京のホテルだった。

 01年秋、姿を現した北朝鮮の交渉相手は、キムチョルと名乗った。後に日本で「ミスターX」として知られるようになる男性だ。

 雰囲気から軍や諜報機関の幹部に違いないと田中氏は感じた。オーバーを脱ぐと勲章のついた黒い軍服姿だった。自分は命を懸けているという意思表示だったのかもしれないと田中氏は思った。

 自分は交渉がうまくいかなかったら責任をとらなければいけないと言っていた。北朝鮮の場合はそれは往々にして「死」なのだと言う。

 田中氏はミスターXにあることを要求した。

北朝鮮にスパイ容疑で拘束されている日本人の元記者を無条件で解放してほしい」。

 ミスターXが、北朝鮮で実力がある人物かを見極めようとしたのだった。要求をして間もない02年2月、2年以上拘束されていた元記者が無条件で解放された。

元記者は解放された

「名前がどうあれ、どこの所属であれ、北朝鮮と交渉するにあたって、信頼できる人物であるということは、私には確信ができた、ということですね」(田中氏)

北朝鮮では政府機関、例えば外務省などは力を持たない。「指導者」と直に連絡でき権限を与えられている人物かどうかが交渉の成否を分ける。適切な交渉のルート、交渉者を選ばなければならないのだ。田中氏はその見極めのための「テスト」をしたわけである。

 ミスターXは秘密警察の「国家安全保衛部」の幹部だったようだ。
 相手が北朝鮮ならではやり取りで、今後への教訓になる。
 なお「元記者」は日経新聞の元記者、杉嶋氏のこと。wikipedia日経新聞記者北朝鮮拘束事件」参照。》

 ミスタ―Xは交渉当初から「過去の清算」と日本からの資金を得ることにこだわった。
 これに対し田中氏は、拉致問題、核ミサイル問題、国交正常化とその後の経済協力などを包括的に解決して朝鮮半島に「大きな平和」をつくろうと呼びかけ続けたという。

「日本からの資金の提供も、拉致とか核の問題を解決しないで進むことはできません、と。だからその『大きな道筋』をつくるということを自分はやりたいんだ、と(呼びかけた)」(田中氏)

 しかし、02年初夏、交渉は厳しい局面を迎える。

 小泉総理が訪朝する場合、それより前に拉致被害者の安否情報を明らかにすべきだと要求したとき、「その瞬間に、北朝鮮は完全に交渉を切るということになった。単に拉致の問題を世の中に明らかにして、総理は来ないということなんじゃないか、と(北朝鮮が思った)。私は、これもうダメかなと思いましたね」(田中氏)

 交渉決裂の危機を乗り越えたのは小泉総理の一言だった。厳しい交渉の状況を報告した時のこと。総理が行くまで拉致被害者の安否は分からないということになる、

「答えは、『田中さん、それでいつ行くんだ』っていう話だったんですよね。もう行くのは当然だと総理は当時思ったんでしょうね。『もし、自分が行かなければ、拉致の話は全部闇に葬られてしまう』と。だから、あーそうなんだ。これが政治家なんだというふうに思った」(田中氏)

 交渉が煮詰まったり、デッドロックに乗り上げたときに「政治判断」で打開する。小泉総理と田中氏がそれぞれの役割を存分に発揮して進んでいくさまは、対北朝鮮外交のあり方として学ぶところが多い。

 拉致問題は扱いを間違えたら、内閣が二つも三つも吹っ飛ぶテーマである。ここに思い切って踏み込んで切り拓いていった小泉氏の度胸はすごいと今でも感心する。小泉改革など酷い施策もたくさんやったが、拉致問題での身の処し方は高く評価している》

30回核の交渉の末、首脳会談への道が開かれた。

 9月17日、金正日総書記はこれまで否定し続けてきた北朝鮮による拉致を認め謝罪。両首脳は日朝平壌宣言に署名した。日本が過去の植民地支配によって朝鮮の人々に与えた損害や苦痛への反省とお詫びを表明する一方、北朝鮮は日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題、すなわち拉致問題が再び生じることがないよう適切な措置をとるとした。

 さらに核ミサイル問題を包括的に解決し、国交正常化の早期実現に向けてあらゆる努力を傾注することが合意された。

平壌での首脳会談。右端が田中均氏、左端が安倍氏

 しかし、拉致被害者の安否情報として告げられたのは5人は生きているものの8人はすでに死亡しているということだった。拉致被害者家族の怒りと悲しみが連日大きく報道された。

 10月、5人の拉致被害者たちが一時帰国を果たす。その際、約束通り再び北朝鮮に戻すか、日本に永住帰国させるかどうかが大きな議論になった。

「私が言ったのは、『(北朝鮮に)帰さないとどういうことになるかは政治的判断をされる前に考えてください』と。一つは私はこれまでやってきた交渉のルートは、きっとつぶれるでしょうということと、場合によっては、(拉致被害者の)子どもたちを帰すまでに相当長い時間がかかるかもしれません、と。」(田中氏)

国際報道より

 政府の判断によって5人は日本に永住帰国させることが決まる。

 こうした経緯から田中氏は北朝鮮よりではないかと、激しいバッシングを受けるようになった。

「最初から最後まで秘密でやれと言われ、秘密の交渉だったけど、家族会の人とか、国内メディアに対してよく説明をする余地はなかったかと思う時はある。やっぱり秘密でやったことに対するツケが来たのかもしれないですね」(田中氏)

 官僚としてできることに限界を感じたと言う田中氏はやがて外務省をやめた。
今でも20年前の交渉の影響や今後の日本外交のため何が必要かを考え続けているという。

《私は当時、5人は絶対に北朝鮮に戻すべきではないとして、田中氏を批判した。もしあそこで5人を戻したら、寺越ケース(「拉致」ではないという前提で親と子が北朝鮮と日本に別れ別れに暮らすことを認めさせられる)のようになるのは目に見えていたからだ。ただ100%の正解はないので、田中氏の発言にも交渉当事者としての論理があると今は思う。5人が永住帰国してよかったと今でも思うが⦆
https://takase.hatenablog.jp/entry/20161115


 田中さんが担った秘密交渉ににはさまざまな評価があると思うが、20年間一人も新たな拉致被害者を救出できていない現状を打破する上でも、田中均氏の体験を教訓化してほしい。

ヒトラー暗殺計画とロシア

断捨離ができるのは今後もっと良い思い出が増える自信ある人 (東京都 上田結香)

 きょうの「朝日歌壇」。いつもの結香流に「あるある」と納得。

年配の詠み人の生死の歌が多い。

死にたしと言うておりしが癌をえてつくづく生きたしと言うて果てしと (オランダ モーレンカンプふゆこ)

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立憲民主党が、統一教会(通称)と接点をもった所属国会議員が14人いると発表

 14人の中に、26日に発足した新執行部の岡田克也幹事長安住淳国対委員長大串博志選対委員長の3人がいる。

 岡田氏は過去に『世界日報』に座談会記事が3回、安住氏は『世界日報』にインタビュー記事が掲載された。大串氏は地元の関連の会合に秘書が3回代理出席した他、祝電も打っていた。

 岡田氏は会見で「当時、世界日報と旧統一教会との関係は承知していなかった。特定の団体に偏った記述は見られなかったので、一般のメディアの一つと思った」と語っているが、これには驚いた。

 『世界日報』が「そのスジ」の新聞だということは、政治家であれば常識だと思うのだが。立憲はあの有田芳生さんが所属していた党だろう?こういうのを平和ボケじゃなくて何ボケっていうんだろう。政治家として緊張感が足りないと言わせてもらおう。

 もう一つ驚いたのが日テレの「24時間愛は地球を救う」に統一教会の信徒がボランティアスタッフとして参加していたとの暴露だ。

anonymous-post.mobi

 

 2022年8月25日、報道機関に「世界平和統一家庭連合広報部」が送ったものだ。

《前回の注意喚起文において、今後、当法人ないし友好団体等に関わってきた報道機関に対して、順次公開させていただく旨を申し上げましたが、以下、その一例をお伝えします。

 現在、民放の雄と言われる日本テレビが、同社ネットワークの総力を挙げて毎年取り組んでいる「24時間テレビ」ですが、当法人の女性信徒がボランティアスタッフとして7年間にもわたって関わり、番組ボランティアをまとめる中心的な立場で活躍していたことが分かりました。》として日本テレビ24時間テレビ」2014年番組テロップの写真を出した。

 これは関連団体ではなくモロの統一教会(名称変更の1年前)だ。

 さっそく「24時間テレビ」をやっているディレクターに尋ねてみると、若いプロデューサーだと統一教会を知らないからチェックもできなかったのではないか,という。

 コンプライアンスの強化を叫んでも、モノを知らないテレビマンが増えているのではザルになってしまう。

 統一教会は報道機関への脅しとしてこれを公開したのだろうが、ぜひどんどん公開してもらいたい。そしてその結果をメディアは総括してほしい。
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 ロシアのウクライナ侵攻。プーチンはまだまだやる気らしい。ロシアでは、制裁にもかかわらず、極端なモノ不足や物価の高騰も見られない。国民生活が目に見えて滞っている状況にはない。

 プーチンが自らこの戦争から手を引くことは当分考えられない。戦争をやめさせられるのは、プーチンを長期に権力につかせ、クリミア併合に喜んだロシア国民しかいない。

 だが、今のロシアは専制的な体制で、野党は沈黙させられ、メディアはがんじがらめに規制されている。ロシア国民が近い将来に選挙などの民主的手段でプーチンを引きずり下ろすのは考えにくい。
 
 NHKBSでヒトラー暗殺計画を紐解く番組があった。

 ヒトラーは熱狂的な支持を得て選挙で政権についた。そしてナチ党が権力を握ってからは、国会の承認なしでも政府が勝手に法律を制定できるようになり、民主的な政権交代は無理になった。

 ヒトラーユダヤ人虐待や東部戦線での民間人の虐殺、強引な戦争指揮による膨大なドイツ兵の犠牲などを憂うる人たちはヒトラーを排除しようとする。独裁者を倒すには暴力しかないと彼らは暗殺を企てた。分かっているだけで40件以上のヒトラー暗殺の計画があったという。

 興味深かったのは、ヘニング・フォン・トレスコウ国防軍首席作戦参謀(41)。

トレスコウ(NHKBSより)

 先祖代々軍人のエリートで優秀な将校だったというトレスコウは、ソ連を攻撃するヒトラーの強引で稚拙な作戦に不信感をもった。ソ連軍の猛反撃にも退却を認めず多くの兵士が絶望のなか犠牲になっていった。

 さらにドイツ占領地域では、ユダヤ人や抵抗勢力共産主義者と疑われたロシア人などを次々に虐殺。1000万人以上の民間人が殺されたとされる。

1千万人以上の民間人が殺されたという

ナチスは多くの民間人を殺りくしていった(NHKBSより)

 トレスコウは、これを止めるにはヒトラー排除しかないと決意する。

 彼は反ヒトラーの軍人グループを作り、総統専用機に時限爆弾を仕掛けたり、同志に自爆テロをさせようとしたが、いずれも失敗に終わる。

 トレスコウは、ドイツ人としての責任感を強く自覚していた。

 「行動に出るものがいたと世界と歴史に示すことが重要なのだ」(同志への手紙)

 「この残虐行為は百年経っても悪影響を残すだろう。その責めを負うべきはヒトラーだけでなく、むしろ君や私であり、君の子どもや私の子どもでもあり、通りを横切っているあの女性でもあり、あそこでボールを蹴っている若者でもある(トレスコウの言葉)

 ナチの蛮行は一般の市民も加担したドイツ人全体の責任だと考えていたのだ

 この番組を観ながら、ロシアではどうなんだろうと思わずにはいられなかった。

 私たちはロシア人に届くよう、粘り強くウクライナ侵攻をやめよと声を上げ続けていくしかない。それがさまざまな経路や機会によってロシア国民の「責任感」の琴線に触れ、行動につながっていくことを期待して。