「三行半」は妻の再婚のための証明書だった

 畑で野菜作ってると言うと「農業やってるんですか!」と反応が返ってくるが、ほんの“まねごと”にすぎない。
 体験農園の地主のおじいさんに「ほら、穴掘って」、「ほら、堆肥入れて」と指示されるがままにやってるだけ。
 ここ2回は天地返しといって、土地の表層と深い土を入れ替える土木作業で腰が痛くなった。それでも、毎回、自分が植えたもの以外の作物も「お土産」に畑から採って持って帰っていいので、とてもありがたい。

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 きのうのお土産こみの収穫は、一番上から白菜2玉、その左下が広島菜、その下の細かいのはカブを間引いたもの、その右はほうれん草、真中がブロッコリー、右上がカブ(赤いのは何だか不明)。
 ほうれん草をすぐにおひたしにして食べたら味が濃くてうまかった。新鮮だからか。

 そんなことで、畑いじりはいい気分転換になっている。
 また、故森本喜久男さんが「土を触ることは大切だ。そうすることで五感が甦る。頭で考えるのではなく、身体で感じることが大事だ」と力説していたことを思い出す。五感が甦っている実感はまだないが、今年も続けてみよう。
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 前回、江戸期の女性の方が自由だったと『逝きし世の面影』を紹介したら、旧友の長野の地域史研究家、桂木恵さんから「同感です」とのメールが届いた。

 桂木さんは一つの例として、夫から妻への離縁状、「三行半(みくだりはん)」をあげる。これが夫が好きなように妻を追い出すことができた専横を示す、というのは誤解だという。詳しく解説してくれた。

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差出申一札(差し出し申す一札)
一.此度(このたび) とも女と申(もうす)女 我等勝手に付
  離別致(いたし)候 然ル上は向後何方(いずかた)え縁組候共(そうろうとも)我等方にて差構無之(さしかまえこれなし) 如件(くだんのごとし)

 嘉永六丑
   八月一日
                 政之助
                 ともとの(殿)

 江戸時代は庶民が離婚する場合、三行半を夫から妻に出すことが義務づけられていたという。以下、桂木さんの解説。

「離縁状の多くが三行と半分に分かち書きしたので、三行半と言われます。ポイントは、離縁した以上は、その女性がどこの誰と結婚しようと、元亭主の側は一切関知しないのでご自由にという部分です。これさえあれば、女性は自由に再婚できましたので、今日よりも離婚ははるかに簡単だったようです。
 これは離縁状というより、再婚のための女性が勝ちとった証明書と位置づけた方がいいような気がします。」

 この事情を知って、妻「あんた、はやく三行半書いてよ」、夫「わかったよ、いま書くよ」みたいなやり取りを想像するとおかしい。

 桂木さんは、こうした大らかな女性のありようが失われた背景について、「明治以降政権を握った薩長の下級武士の価値観が女性の地位を低めたと言っていいと思います」としている。
 地位や階級による大きな違いは、外国人の眼にも明らかだったようで、武士階級の封建的な道徳が、近代化のなかで強化、増幅されていった面があったようだ。
 鹿児島は桂木さんの出身県で、男尊女卑の地というイメージがあるが、今はどうなのだろう。

 ついでに、江戸の男たちはみな「イクメン」だったようだ。
 『逝きし世の面影』より。
「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。(略)
毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀に腰を下して、それぞれ自分の腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。その様子から判断すると、この朝の集りでは、子どもが主な話題となっているらしい」(英国人女性旅行家イザベラ・バード

「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピッドが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕にだかれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物をだいて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる」(初代駐日英国公使オールコック

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『逝きし世の面影』P392

 男が子どもの面倒を見るのは、妻に言われたからでも、義務感からでもない。女も男も好きなように生きていたのだろう。
 そんな風景をもう一度みたいものだ。

150年前、日本女性は世界を魅了した

 きのう森喜朗氏が五輪組織委会長を辞任の意向との速報。

 吹き出物やがて傷口開くもの (奈良県 伊谷剛)朝日川柳11日

 だからもっと早くに辞めればよかったのに。
 しかし、日本サッカー協会JFA)相談役の川淵三郎氏(84)が森氏の後任というのがまた問題だ。

 まず、森氏が川淵氏に会って「頼むよ」と後任を託し、川淵氏が「涙を流され、おれも泣いちゃった」と引き受けたという。
 《この日の面会の同席者によると、川淵氏は森氏に会うと『お気の毒に』と涙を流し、森さんのこれまでの思いも背負ってやっていきたい。バトンを引き継がないといけない」などと決意を述べたという。》(朝日新聞12日)
 そして川淵氏は森氏に「相談役」で残ることを願って引き受けてもらったという。

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同じ穴のムジナ?

 もう浪波節。川淵氏は、何が問題なのか全く分かっていない。
 不祥事で去る人が後任を「禅譲」で決め、本人が組織に力を持った形で残るというのだ。まるで森氏の主導権で事が進んでいく。多くの人も納得できないだろう。

 一週間かばった輩(やから)の立場なし (要京都 土屋進一)12日朝日川柳

 森氏の「謝罪」で幕引きを図った輩はどうする?
 菅首相のリーダーシップは今回もゼロ。これだけ大きな国際問題になっているのに、またまた「後手」にまわった。

 今回の森氏辞任は、もちろん国内外の批判がベースにあったにしても、決定打になったのは米テレビ局のNBCからの引導だったというのが、いかにもお金第一で動くオリンピックらしい。

 スポーツジャーナリストの二宮清純氏が、昨夜の「ニュース23」に登場して、国際五輪委員会(IOC)の収入の7割がNBCからのテレビの放映権料であり、そのNBCが辞任すべしと主張したのがIOCを動かし、辞任に至ったと解説した。

www.nbcnews.com

 NBCのサイトを見たら「森氏は辞任しなければならない」との見出しの記事で、
「(IOCにとって)肝要な試練は、正しいことをやることであり、森氏に辞任させることだ。野卑な行為を見過ごすことは、もっと野卑な行為を招くだけである」
“the key test is whether the IOC will do the right thing and force Mori to resign. Ignoring boorish behavior only begets more boorish behavior.”
と非常に強く主張している。これではIOCはひとたまりもない。
 森氏の辞任劇は、オリンピックの本質も一部垣間見せている。

 とここまで書いてきて、一転、川淵氏が会長職を辞退するとのニュースが入ってきた。「密室」で決めることなどへの批判が噴出して、「禅譲」がつぶれた格好。これも当然だ。
 3月から聖火リレーが始まるというのに、このすったもんだでは、「五輪中止!」の声がますます大きくなりそうだ。
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 今回の騒動で、男女格差(ジェンダーギャップ)の国別ランキングで、日本が153カ国中121位と下位に低迷し、主要7カ国(G7)では断トツの最下位であることが話題になった。女性の権利、地位、活躍度では圧倒的な後進国なのだが、この状態を、「昔を引きずっている」からだと思っている人が多いと思う。

 私の愛読書、渡辺京二『逝きし世の面影』は、江戸末期から明治初期にかけて日本を訪れた欧米人の目に写った日本を紹介している。これをひもとくと、日本の女性は実に自由で活発、初めて見る外国人にも物おじせず、加えて愛くるしいと激賞されている。

「アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国に比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が、東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている」(福井藩校で教えたグリフィス)

 庶民の女性のほうが地位が高いという、階層による違いも指摘されている。
「農民の婦人や、職人や小商人の妻たちは、この国の貴婦人たちより多くの自由と比較的高い地位をもっている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず。夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である」(明治6年に来日し明治44年まで滞在したチェンバレン

「日本の婦人は作法や慣習の点で、ずいぶん中国女性と違う。後者にとっては、外国人の顔を眼にするや否や逃げ去るのがエティケットなのだが、日本の女は逆に、われわれに対していささかの恐怖も気おくれも示さない。これらの茶屋では、彼女らは笑顔で近づいて来てわれわれをとり囲み、衣服しらべにとりかかる。握手することさえ覚えてしまうのだ」(プラントハンターとして1860年(万延元年)に来日したフォーチュンが名所の梅屋敷に立ち寄ったさい)

 江戸の庶民には、男言葉と女言葉の差がほとんどなかったという。
 高齢の女性と湯屋の番頭との会話;
 女性「オイ番頭さん、おいらの上がり湯がないよ」
 番頭「そこに汲んどきましたぜ」
 女性「めくらじゃあるめえし、汲んである湯が見えねえでどうする」

 飲酒喫煙もほぼ自由だった。
 離婚歴は当時の女性にとってなんら再婚の障害にはならなかった。その家がいやならいつでもおん出る。それが当時の女性の権利だった。

 慎み深く従順な日本女性などという定型化したイメージは吹っ飛ぶと渡辺京二はいう。

「徳川期の女ののびやかで溌溂としたありかたは、明治に入ってかなりの程度後退したかに見える。しかしまだその中期ごろまでは、前近代的性格の女の自由は前代の遺薫をかおらせていたのである。」(渡辺京二

 となると、いま残っているのは明治期から作られた近代版男社会の遺制なのではないか。

 最後に、外国人をとりこにしたかつての日本の女たちについて。
「開国したこの国を訪れた異邦人の“発見”のひとつは、日本の女たちそれも未婚の娘たちの独特な魅力だった。ムスメという日本語はたちまち、英語となりフランス語となったオイレンブルク使節団の一因として1860年初めてこの国の土を踏み、62年領事として再来日、72年から75年まで駐日ドイツ大使をつとめたブラントのいうように『ムスメは日本の風景になくてはならぬもの』であり、『日本の風景の点景となり、生命と光彩を添え』るものだった」

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『逝きし世の面影』の表紙は、英国の詩人アーノルドの「街をゆく『ムスメ』」

 この当時の日本女性は実に魅力的だったようである。これを復活させよう。

「日本政府はその強さをきちんと使ってほしい」(在日ミャンマー人)

 「朝日新聞」のGLOBEに懐かしい顔が載っていた。

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7日のGLOBEより

 旧知のドキュメンタリー監督の竹内亮氏だ。去年まで私が主宰していた「ジン・ネット」でも何度も番組制作をお願いしたディレクターだ。南京在住で、いま中国でブレイクしている「時の人」である。

 実はかつて、彼を主人公に「情熱大陸」(毎日放送)を制作したいと企画書を書いて番組に提案し、ボツになって実現しなかったという因縁がある。こんなにビッグになるとは思っていなかったが・・。

 竹内氏は取材で知り合った南京出身の中国人女性と結婚したあと、日本人、中国人お互いがよりよく知りあうような仕事をしたいと妻の実家のある南京に移住。日本のテレビ番組向けの取材やコーディネーションをやっていた。その当時、私も取材や調査をお願いしたことがある。重宝がられて仕事は途切れずにあったが、妻に「何のために中国に来たの?」と問われ、日本からの依頼仕事は断って初心に返り、めざすべき道を探した。

 しばらく模索が続いたが、転機になったのは、彼が2015年に中国のネット動画サイトではじめた「我住在这里的理由」(私がここに住む理由)というシリーズ。
 日本に住む中国人、中国に住む日本人の視点からそれぞれの国の社会を伝えるというコンセプトで、初回は浅草の中国人漫画家を主人公にした。
 両国の人に見てもらうため、字幕は日本語と中国語の両方をつけた。これが注目されて活動を拡大、現在は社員40人を抱える企業を率いるまでになった。(すごい!)

 5~6年前、彼が中国人の若い女性リポーターをつれて東京を取材中にばったり会ったことがあった。聞けば、日本のいろんなお店を中国人リポーターが「突撃取材」する番組を作っているという。
 「『アポなし取材』っていう手法、まだ中国では新鮮なんですよ。中国は動画関係のITでは日本よりずっと進んでいますけど、番組制作ディレクションのノウハウではまだ日本人として勝負できます」と語っていた。

 去年は、都市封鎖された武漢の人びとを追った1時間のドキュメンタリー「好久不見、武漢」(お久しぶりです、武漢がヒット。「微博」やYoutubeなどで公開されると年末までに再生回数4000万回を超えた。この作品は日本はじめ海外でも注目されている。

 彼の番組には、両国の市民同士が分かり合える空間がある。人間ってどこに住んでいても愛すべき存在なんだなと思わせてくれる。
 ますますの活躍を祈っている。
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 ミャンマーでは軍のクーデターに対する抗議が広がっている。一部でデモ参加者が銃撃されたとの情報もあり、心配だ。

 ミャンマーは「インパール作戦」などの戦争のエピソードで知られるように、現代史でも日本との関係が深い国だ。
 日本軍の敗残兵が次々に飢えと病気で倒れたさい、現地の民衆が助けてくれたことはよく知られている。『ビルマの竪琴』のように、戦後も自分の意思で現地に残った兵士もいた。私自身、そのまま現地で家庭をもって暮らした元日本兵二人をヤンゴンで取材したことがある。
 私の伯父もビルマ戦線でマラリアに罹って死にかけた。やはりビルマ人のやさしさに惹かれ、晩年、戦友とビルマを訪れる一方、ビルマ人の留学生や研修生の身元引受人になって家に呼んだりしていた。伯父もいわゆる「ビルキチ」(ビルマ気違い―ビルマが好きでたまらない人)の一人だった。

 アウンサンスーチー氏の父親のアウンサン将軍は、「建国の父」の英雄だが、日本軍の「南機関」のもとで反英独立戦争を開始、現在のミャンマー国軍の前身の「ビルマ国民軍」を日本軍の指導下で作っている。

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アウンサン(wikipedia

 日本政府は、軍事政権時代も欧米とは一線を画して、関係を切らずに関与政策を続けてきて、国軍とのパイプもある。

 一方、将軍の長女のアウンサンスーチー氏は、父の歴史を研究するため、2年間かけて日本語を習得し、1985年10月から翌年7月までの約9か月間、国際交流基金の支援で京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として日本に滞在していた。日本人の知己も多い。

 つまり日本は、国軍側にも民主派側にも特別な関係を持っているわけだ。
 外務省前のクーデター抗議デモに集まった大勢の在日ミャンマー人たちの姿に、日本政府への大きな「期待」が感じられる。

 さらに国民レベルでの「親日」が日本の強みだとの声がある。
 先週の「報道特集」に在日ミャンマー人のチョウチョウソーさんが登場して「日本政府は、自分の力をあまり使ってないと思う」と語っていた。

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報道特集より)

日本の企業がミャンマーに入っているのは、ミャンマー人は反対してない。
中国なら、(入ってきたら)みんな嫌だって、そういう声が出てくる。
日本は嫌だって一切聞いたことがない。それが日本の強さ。
その強さをきちんと使ってほしい

 同じ番組で、上智大学根本敬教授が、今回のクーデターの背景と結果についてこうコメントした。
 5年前(2015年)、NLDが圧勝した時に、憲法ではアウンサンスーチーは大統領になる資格がないので(外国籍の家族を有する者は大統領になれない-スーチー氏は英国人と結婚し子どもがいる)、軍としてはスーチー氏は大統領になれないと当然のように思っていた。
 ところが、圧勝したNLDは「国家顧問」という事実上国のトップの役職を作り、スーチー氏がそれに就いた。国家顧問は大統領にまでアドバイスできる。これに国軍は驚いてしまい、猛反対するが、それでも5年間は国軍からいえば我慢した。
 スーチー氏が2度目の国家顧問になるというのは耐え難い。スーチー氏と彼女への国民の人気に対する恐怖心もあり、このままでいくと彼女やNLDが主張し、国民の多くが支持している憲法改正、軍の政治的な権限を弱体化させる憲法改正が通ってしまうような状況もありえると考えた。それが国軍の思惑だという。

 また、ミャンマーの軍事政権に対しては、米国のクリントン政権の2期目とブッシュ政権のときはかなり厳しい経済制裁を実施した。その結果、米国資本と米国を市場に選んだ外国資本がミャンマーに入らなかったから、中国の経済的な影響力が強くなった。
 今回、もし制裁が始まれば、いわゆる西側の国々の資本は去っていく。そこを狙って中国がさらなる経済進出をする可能性はある。

 すでに2009年、中国はミャンマーとパイプラインの建設で合意し、大きく地政学的に取り込もうとしているようにみえる。ただ、軍事的な影響力まで中国がミャンマーに及ぼすかというと、可能性はゼロに近い。というのはミャンマー国軍は、国軍なりの愛国心と誇りを持っていますから、外国軍と組む、もしくは外国軍が自分の国の領土を通過するということに対する非常に強い警戒感を持っているので。―と根本教授は指摘する。

 ミャンマーの人々の期待に応えられるのか。日本政府の外交力が試されている。

都合悪い時だけ人事不介入

 きのうの朝、NHKの「おはよう日本」をつけていたら、知った顔が現れた。

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8日の「おはよう日本

 京都の新電力「テラエナジー」の代表、竹本了悟さんが、電力価格の高騰のニュースで取材に応じていた。
(テラエナジーについてはhttps://takase.hatenablog.jp/entry/20210110

 竹本さんとは去年、Zoomで直接にお話した。高い志で新電力を運営していることを知り、私のうちも電力をテラエナジーに切り替えたのだった。

 テラエナジーなどいくつかの新電力は、市場価格に連動する価格設定をしている。市場価格連動型の方が、使用者は通常、使用料が安くなるのだが、その調達価格が通常の15倍という異常な高騰で、先月の請求書は目の玉が飛び出るほど高額だった。

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1月は日本全体が震災級の異常事態になっていた(4日の「ニュース9」)

 竹本さんはNHKのインタビューで
「これほどの高騰リスクをお客様が抱えてしまわなきゃいけないということには、弊社としても何らかの手だて、対策をうたなければならないなと」
「市場価格で調達するというところは少し減らしていって、しっかりわれわれもアプローチしていこうと」と答えていた。

 700社近い新電力の多くは追い詰められており、「楽天でんき」は先月26日から新規申し込みの受け付けを一時停止した。
 また、秋田県の新電力「かづのパワー」は採算が採れなくなったとして今月14日で電力の小売事業を停止した。やはり危惧したとおり、実際に行き詰まる新電力が現れた。年末からすでに震災なみの異常事態が起きていたのに、政府は手を打たなかった、そのつけが出てきた。

 ここにきてようやく市場価格が下がっているが、今後これが繰り返されてはならないし、窮地に陥っている新電力へは支援してほしい。
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 粗大ごみまだ使えると取っておき (埼玉県 鈴木雄二)

 都合悪い時だけ人事不介入 (静岡県 櫻井恵里子)

 9日朝刊の「朝日川柳」より

 東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗氏は会長を辞任するつもりだったのに、周りが必死に止めたという。これじゃ、ますます世界から軽蔑されるだろうな。

日本オリンピック委員会(JOC)での女性理事を巡る3日の発言は、瞬く間に国内外へと波紋を広げた。森氏によると、4日午前、東京・晴海の組織委に森氏が到着すると、遠藤利明副会長や武藤敏郎事務総長ら幹部が集まってきた。「(辞任の)腹を決めた」。森氏がそう伝えると、周囲から「とんでもない。みんな納得しない」などと翻意を促された。安倍晋三前首相らからも電話があったという。》(東京新聞9日)

 その光景を想像するに、醜悪で気分が悪くなる。

 「東京新聞」が組織委の理事にアンケート調査をしたら、辞任すべしという人は誰もいなかったという。
森喜朗会長の女性蔑視発言を巡り、本紙は、会長を解職する権限を持つ組織委の全理事34人(森氏を除く)の意向を探った。回答した14人からは辞任を求める声は出ず、退任を求める世論との開きが鮮明に。今夏の東京大会開催まで半年を切る中、穏便に済ませようという事なかれ主義や、もたれ合いの体質がにじむ。》(東京新聞9日)

 森氏の発言を「国益には芳しくない」と言った菅首相、8日の衆院予算委員会で、野党に森氏に辞任を促すよう求められると、「私が進退を問題視すべきではない。組織委の中で決定してもらう」と、自身は無関係であることを強調。
 これについて東京新聞は、厳しく批判している。
組織委が政府から独立した公益財団法人であることを理由に挙げるが、政府からの独立した審議を法律で定められた日本学術会議の新会員に関しては、一部候補の任命を拒否した。今回は対照的な対応となった。
首相は組織委の顧問会議議長でもあり、組織委の定款では、顧問会議は法人の運営に助言できる》という。

 国益に関わるなら、毅然とした措置をとったらどうですか、菅首相
 どこまでいっても事なかれ、では支持率が落ちっぱなしも当然だ。
共同通信社が6、7両日に実施した全国電世論調査によると、女性蔑視発言をした東京五輪パラリンピック組織委員会森喜朗会長に関し、会長として「適任とは思わない」との回答が59・9%に上った。「適任と思う」6・8%、「どちらとも言えない」32・8%だった。菅内閣の支持率は38・8%で前回1月調査から2・5ポイント続落し、初めて40%を割り込んだ。不支持率は3・1ポイント増の45・9%となった。
 放送事業会社に勤める菅義偉首相の長男による総務省幹部4人の接待問題では、首相の説明に「納得できない」が62・0%で「納得できる」30・8%を大きく上回った。
 今年夏の東京五輪パラリンピックの開催形式を尋ねたところ、観客数制限が49・6%、無観客が43・1%、通常通りが3・4%だった。開催は「中止するべきだ」が35・2%、「再延期するべきだ」が47・1%で、合わせて80%以上が見直しを求めた。「開催するべきだ」は14・5%。》

 民意ははっきりしている。
 森氏は解任、五輪の7月開催はなし。 

 

 

日本政府はミャンマーの人々の声に応えよ

 きのう、練馬区大泉学園駅近くの古本屋「ポラン書房」を訪れた。おとぎ話のような看板の前に行列ができている。店じまいを知って駆け付けた常連さんたちだ。

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メルヘンのような看板の「ポラン書房」。屋号は店主がちゃらんぽらんな生き方をしてきたことと、宮沢賢治の童話に出てくる「ポランの広場」からとったという。

 朝鮮半島問題で知られた「毎日新聞」の鈴木琢磨さんの記事が出、SNSでも閉店が惜しまれていた。私も古本屋めぐりは好きなので、どんなお店かと行ってみたのだ。

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2月1日「還暦記者 鈴木琢磨の『ああコロナブルー』」

 行列で順番をまって中に入ると、「学生時代にお世話になって、懐かしくて寄りました」と店主に話しかけている人がいた。たくさんの思い出もあるのだろう。

 本たしかにいい品揃えだ。閉店セールで3割引きになることもあり、連日多くの人が押し寄せて、すでにだいぶ漁られていたのだろうが、それでもオーソドックスで本格派の本がたくさんあった。

 店主夫妻は同じ大学の「べ平連」の同志だったという。ご主人の石田恭介さんは山形県出身とかで、同郷の井上ひさしさんを慕っていたそうだ。私ともご縁があるわけだ。

 37年も続けた店舗をたたむ決心をしたのは昨夏だったという。
 「コロナで1カ月半ほど休みましたが、再開後も客足は戻らず、売り上げが落ち込んだまま。家賃の支払いが困難になり、『多少とも値下げを』とオーナーに相談しましたが、のれんに腕押しの状態で」。パソコンに向かっていた妻の智世子さんがぽつりと一言こぼす。「いい本が出なくなった。それも致命的」毎日新聞「ああコロナブルー」より)

 地域の古い飲み屋や喫茶店なども次々に店をたたんでいく。コロナがこうやって「文化」をどんどん削ぎ落していくのかと思うとやるせない。

 なお「ポラン書房」は今後はネットの通販を手掛けるという。

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 ミャンマーの軍事クーデターの報には「まさか」と驚くと同時に大きな失望をおぼえた。

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公務員の抗議行動。3本指を上げるのはタイの運動と同じ。(国際報道)

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医療関係者は抗議のため業務を放棄している

 ミャンマーは、独裁からの民主化を平和裏におこなうことに成功した。その後の国づくりがうまく進めば、他の独裁国へのお手本になれると大いに期待していたからだ。

 私は、ミャンマー少数民族カレン族、カチン族、ラカイン族、タイヤイ族(モンタイ軍)の反政府武装勢力の支配区とABSDF(全ビルマ学生民主戦線)の部隊を取材しており、また民主化前にアウンサンスーチー氏を3回取材(うち2回は単独インタビュー)していて、この国の民主化には特別な思い入れがある。

 日本人ジャーナリスト、長井健司さんの殺害への抗議活動の呼びかけ人にも名を連ねて、東京のミャンマー大使館に抗議したり、外務省に要請に行ったりもした。

takase.hatenablog.jp


 ミャンマーの人々の強い思いを直接に見聞きしているだけに、一夜にして民主化プロセスをぶち壊した国軍への怒りがわく。

 おさらいしておくと―
 軍事政権が続いていたビルマ(当時の国名)に1988年民主化を要求する大衆運動が起きた。国軍はこれを武力で弾圧し、たくさんの市民が命を失った。
 1990年には総選挙が行われ、スーチー氏率いる国民民主連盟 (NLD) が圧勝するが国会は一度も開かれず、国軍は民主化勢力を弾圧。
 その後、断続的に国民の抗議と国軍の弾圧が繰り返され、2007年9月には反政府デモを取材中に日本人ジャーナリスト、長井健司さんが治安部隊に射殺されている。
 2010年11月、スーチー氏の自宅軟禁が解かれ、11年には前年の総選挙(NLDは参加していない)にもとづいた国会が開かれ、形の上では軍事政権から民政移管された。
 15年11月8日、民政復帰後初めての総選挙が実施されNLDが圧勝。しかし、憲法の規定で、スーチー氏の大統領就任がかなわず、かわりに大統領にはNLDのテイン・チョー氏がなった。スーチー氏は国家顧問、外務大臣、大統領府大臣を兼任して政権の実権を握る。

 去年11月の総選挙でもNLDが396議席と圧勝し、国軍系政党はこれまでより議席を減らして33議席と惨敗した。いまの制度では、選挙なしで国軍には全664議席の4分の1の166議席が与えられるが、それでもNLDは楽に多数を確保できる。

 クーデターで全権を握った最高司令官のミン・アウン・フライン氏は、2016年に5年間延長された総司令官の任期切れが迫り、引退が目前となって焦りが募ったとも言われている。
 2010年以降の民主化は、国軍がスーチー氏らに妥協する形をとり、スーチー氏も国軍を立てながらで、だましだましやってきた感がある。例えば、民主化以前の国軍の行為(弾圧を含む)について個々の軍人の責任を問わないなどNLDも相当妥協してきた。
 二つの勢力が妥協しながら進めてきた10年の民主化が、ここにきて崩壊した。こうなった以上、ミン・アウン・フライン司令官はちょっとやそっとでは折れないだろう。

 ミャンマー国内では抗議活動が広がっているという。またかつてのような流血の事態にならぬよう祈る。
 その分、海外からの抗議を強めなくてはと思う。
 いま、どこで人権弾圧があってもグローバルな問題として扱われなければならないが、ここでいつも出てくるのが中国。現在でもミャンマーの最大の貿易相手国であり投資国で、今後ますます影響力を強めるだろう。これが軍政を長期化するのではと危惧されている。

 そもそも今回のクーデターには国軍の経済利権も関係しているとの見方がある。国軍とつるんだ企業は以前から中国と合同でビジネスを行ない、それが軍人を肥え太らせてきたといわれる。

 私自身、2013年、中国雲南省から徒歩でカチン州の武装勢力司令部を訪れたとき、その周辺の山の奥に、建設されたばかりの工場や重機で掘削されている土地を目撃した。聞けば中国と国軍系企業のレアアースプロジェクトだという。中国と国軍の密着ぶりを見た思いがした。
 カチン州では、軍政下で中国が始めた巨大プロジェクト、ミットソンダム建設が、民主化がはじまった2011年に住民の反対の声に押されて中止になり、いまだに両国の懸案事項になっている。中国との関係は政治力学に直結する。 日本企業は433社がミャンマーに進出しているが、さっそく動きがでた。
 《キリンホールディングス(HD)は5日、ミャンマーでのビール事業に関し、国軍系企業との合弁を早期に解消すると発表した。クーデターで実権を掌握した国軍の資金源となっている可能性を人権団体や国連から指摘されていた。既に合弁解消を申し入れており、今後別のパートナーを探して同国での事業継続を目指す。》(時事5日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020500641&g=eco
 撤退する欧米企業もあるだろうが、その穴を埋めるのは中国だろう。

 日本政府はどうするのか。
 実は今回のクーデターで全権を握ったミン・アウン・フライン氏を日本政府は2019年に日本に招き10月9日には安倍首相が会っている。

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これは2017年8月の訪日のとき。その後19年10月にも日本に招かれた。

 問題は、18年9月に国連人権理事会がまとめた報告書は、ロヒンギャへの人権侵害でフライン司令官らを国際法廷に訴追すべき容疑者だとして名指しで非難し、国連は19年、ミン・アウン・フライン氏他3人の国軍指導者を制裁対象としたが、日本政府の招待はその後だったのだ。

 国際社会から非難の声が上がるなか、在日ミャンマー人たちも行動を起こした。2月1日には東京・青山の国連大学前に1000人ほどが、3日には外務省前に3000人が集結し、拘束されたアウンサンスーチー氏の釈放を訴えた。

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集まった在日ミャンマー人たち

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抗議する在日ミャンマー人(報道特集

 2010年以降、国軍が民主化に踏み切ったのは、これ以上、国際社会から孤立すると国が持たないと判断したからだとされる。そこで、軍の政治的影響力を保持する仕組み(国会の4分の1の議席を軍人に割り当てるなど)を作った上でNLDを合法化した。
 だから在日ミャンマー人たちは、今回も国際社会の圧力、そして日本政府の行動に期待している。

 日本外務省のHPには菅政権成立後の去年10月27日の日付で以下のような「人権外交」をアピールしている。
国連憲章第1条は、人権及び基本的自由の尊重を国連の目的の1つとして掲げ、また、1948年に世界人権宣言が採択されるなど、国連は設立以来、世界の人権問題への対処、人権の保護・促進に取り組んできています。日本は、アジアでの橋渡しや社会的弱者の保護といった視点を掲げつつ、国連の主要人権フォーラムや二国間対話を通じて、国際的な人権規範の発展・促進をはじめ、世界の人権状況の改善に貢献してきています。

www.mofa.go.jp

「アジアでの橋渡しや社会的弱者の保護」を具体的にどうやっていくのか、注視していきたい。

黒人への過去の「医療実験」がワクチン接種に影響

 きのう久しぶりに都心に出た。

 私は痛風の発作を何度もやっていて、尿酸コントロールのために定期的に赤坂のクリニックに通わなくてはならない。
 そのついでに、久しぶりに吉永春子さんのお墓参りをした。「お春さん」はTBSの名物プロデューサーで、忖度しない鋭い舌鋒は恐れられもしたが、私にとっては恩人だった。

takase.hatenablog.jp

 吉永さんが眠るのは、赤坂不動尊のとなりの「赤坂浄苑」という永代供養の納骨堂。駅前墓苑というだけあって、赤坂見附駅から歩いて3~4分の近さだ。
 手続きしてエレベーターのドアのような扉の前でしばらく待つと、扉が静かに開いてお墓が現れる。

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お香をあげてお参り

 一人でお参りをすませた。
 「死」を意識すると、なるべく志を曲げることなく生きたいものだなあと思う。
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 東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会森喜朗会長の女性蔑視発言。謝罪会見を見る限り、まったく反省していないし、何が問題なのか理解していない。彼の心の中ではずっとせせら笑っている。
 辞任相当だ。いや、むしろ解任だ。

 今朝のワイドショーも各局、森発言をやっていて、TBSには「ロンブー」の田村淳が出ていた。

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 《東京オリンピック聖火ランナーを辞退すると発表した「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さん(47)が4日、レギュラー出演するTBSテレビ「グッとラック!」でこの件について触れ、「強引に五輪をやって、誰が幸せになるんだろうと感じた」などと語った。

 淳さんは、大会組織委の森喜朗会長が「人気タレントは人が集まらないところで走ったらいいんじゃないか。誰かが、田んぼで走ったら一番いいんじゃないか(と言っていた)」などと発言したことに、「農家の方に失礼だし、人を集める必要がないのであればタレントは身を引くべきだ」などと3日にユーチューブで意見を表明していた。

 番組で淳さんは「僕が怒っているのは、有名人が田んぼを走ればいいということよりも、(森会長の)どんな形であっても必ず五輪をやるんだ、ということが理解できなかったので、それに参加するのは辞退したいということです」と説明。

 これまでも五輪の延期を主張してきた淳さんは「何が何でもやるんだと、国民を鼓舞して、強引に五輪をやって、誰が幸せになるんだろうと感じたんで、辞退を伝えました」と話した。

 番組は森会長が女性蔑視とも受け止められる発言をした件も伝え、淳さんは「僕は次の会見で、身を引くという会見にしてほしいなとは思います」「周囲の人も誰も言わないんですかね。だとしたら周囲の人もいじめを見てて何も言わない人と一緒のような構図なんですけどね」などと発言した。》https://mainichi.jp/articles/20210204/k00/00m/040/020000c
 しっかり良識あるコメントをしていた。

 政府は幕引きにやっきだが、辞めるまで追撃すべし。
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 最近印象に残ったコロナ関連の海外ニュースから。

 アメリカでは黒人の35%が新型コロナワクチンの接種に“否定的”で、白人やヒスパニックの26%よりはるかに高いという。(去年12月、カイザーファミリー財団調べ)

 この医療不信は、黒人や有色人種に対する「医療実験」が繰り返されてきた歴史が関係しているという。

 1930~1970年代、「梅毒に感染し、治療をしないまま放置されると、どのような経過をたどるのか」を調べるため、黒人男性600人を約40年、治療せずに「観察」を続けたそうだ。感染者は梅毒だとは知らされず、ただ“血液に問題がある”とだけ言われていた。研究所は感染者を監視するシステムを作り、感染者をどこまでも追跡し、治療を受けさせないようにした。(タスキギー大学歴史遺産博物に資料がある)

 1972年、内部告発でこれが明るみに出た。しかし、政府が謝罪したのはそれから25年もあとのことだった。

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政府が謝罪したのは1997年になってからだった(NHK国際報道より)

 実験対象になった男性が全員亡くなったが、子どもたち孫たちが記憶を受け継いでいるという。こういうセンシティブな過去の記憶があるからには、黒人が共感できる情報発信が問題だという。

 「これが情報です、従ってください」では、マイノリティの人びとには通用しない。誰がどんなメッセージを送るかが重要だとされる。いま黒人の医療関係者らにネット動画に出てもらってワクチンへの不信を丁寧に解いているという。

 黒人へのこれほどあからさまに不当な扱いが70年代まで続いていたとは驚きだった。私たちが思うより黒人差別は根が深いなと思った。

 逆に、森喜朗発言などは欧米の人にとって大きなショックかもしれない。「日本がまだそんな差別を許しているなんて・・」と。

 また、メッセージの送り方が大事だという点。そもそもメッセージを送れないリーダーを持つわが国としては、別の方法を工夫しなくては・・。
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 「ノルウェーでワクチンを接種した高齢者33人が死亡」のニュースが流れた。ワクチンアレルギーの強い日本人を震えあがらせるに十分な情報だが、TBS「報道特集」がこれを冷静に扱っていた。

 ノルウェーのニーハマル駐日大使がインタビューにこう答えている。
 「ワクチンを接種すると、気分が悪くなり、数日微熱が出ることがある。これが弱っていた体に大きな負担になったのではないかとの見方がある。あくまでその可能性があるだけで確認されたわけではないが。

 政府から、亡くなった人々がとても高齢で、非常に体力が弱っていたし、そうした人の多くは、いずれにしても毎週、数百人亡くなっているということが、かなり正確に説明されたから国民は混乱していない」

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二ーハマル駐日大使(報道特集より)

 報道によると亡くなったのは75歳以上の重篤な基礎疾患を持つ人たちだったという。

 忽那(くつな)賢志医師(国立国際医療研究センター)によると、ワクチン接種後、接種した部位の痛み、倦怠感、熱などの副反応は非常に強いという。6~8割の人にそういう症状が見られ、特に2回目の接種の方がそういう副反応が出やすいが、それは体内で抗体ができつつあることの証しでもあるという。

 副反応が思ったより強く、また多くの人に出るようだ。
 日本での接種では、このあたりは十分に広報しつつ、コロナを予防し集団免疫を作るという「効能」とのバランスを考慮に入れる必要がある。体の弱い高齢者がワクチン接種後に亡くなったからといって、パニックにならぬようにというノルウェー政府の説明も冷静な対応でよいと思う。

 日本の医療行政は、かつての子宮頸がんワクチンの「副反応」騒動を見ると、ちょっと騒がれるとすぐに腰が引けたりと、ブレが激しすぎる。あくまでもエビデンスにもとづいた落ち着いた対応をしてほしい。

心身耗弱となる入管の長期被収容者たち

 きのう3日が立春だった。

 きょうは関東で、春一番が観測史上最も早く吹いたというが、全く気がつかなかった。まだ寒さはきびしいが、日は少しづつ長くなってきている。
 駅前の八百屋に、福島のフキノトウ、山形のウルイやタラの芽が並んでいた。ハウス栽培のものだろうが、それでも春が近いと感じさせる。

 ロウバイが咲いている。

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 通りかかった高齢の女性が立ち止まってじっと見ている。
 「寒いけど、花に慰められますね」と話しかけ、一緒にながめた。

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 きのうは裁判を傍聴に、水戸地裁土浦支部に行ってきた。

 先日紹介した、茨城県牛久市の東日本入国管理センターの施設を自身の糞尿で汚したとして起訴されたイラン国籍の男性の第一回公判があったのだ。

takase.hatenablog.jp

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毎日新聞」1月22日夕刊

 午後2時半からの公判はコロナ対策で定数の半数の9人しか傍聴ができず、抽選になった。幸運にも私は中に入れたが、マスコミで報じられたこともあり、傍聴希望者が多かった。

 被告人はヤドラ・イマニ・ママガニさん(54)で、在留資格がないとして2016年7月から牛久入管に収容されていた。去年春から、牛久入管ではコロナ対策で仮放免(一時解放の措置)を進め、300人以上いた被収容者がおよそ100人まで減ったが、ママガニさんは対象外で収容が続いていた。

 起訴状では、医務室そばのトイレに入り、隠し持ったビニール袋に自らの糞尿を入れそれに水をまぜ、トイレから出てそれをまいて壁や天井を汚した建造物損壊罪とされた。  
 マガニさんは、起訴内容については異議を申し立てなかった。

 被収容者に毎週面会して支援している「牛久入管収容所問題を考える会」(牛久の会)の田中喜美子さんが情状の証人に立った。田中さんはママガニさんとの面会を続けていて事情をよく知っている。
 田中さんによると、いま仮放免されない被収容者のなかでは、収容が理由なく続いていることのほか、とくに医療関係者から非人道的な対応をされていることへの不信、不満が募っているという。
 ママガニさんは手紙でも訴えてきており、7月ごろから憔悴した様子がはっきりしてきたので、田中さんはなるべくひんぱんに面会するようにつとめていたという。
 田中さんによれば、他の被収容者のあいだでも、担当医と准看護師が、症状を訴えてもろくに診ない、薬を突然取り上げたりする、お前の運命は俺たちが握っているなどの暴言で脅迫したりむりやり口を手でこじあけたりして、ストレスが募っているという。

 医療にかかわる不満が募っていることは私自身が聞いている。
 きのう午前中は牛久の被収容者に面会してきたのだが、ある中東出身の男性(3年半近く収容されている)は心臓が悪く、外の病院(牛久愛和総合病院)の専門医から「ニトロペン舌下錠」を処方された。ところが入管の医師が「必要ない」と薬を出してくれないという

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牛久の入管。梅の花が咲いていた。

 彼は面会室のアクリル板ごしに、私に3枚の書類を見せてくれた。

 1枚目は9月16日付けの処方で「ニトロペン舌下錠」に入管の医師がつけた大きな赤いバッテンがある。「処方しない」というわけだ。

 そこで彼は外の病院の医師に訴えた。すると医師は「ニトロペン舌下錠」が必要だとする病院の書類を出してくれた。日付は10月2日。

 それを入管の医師に見せたところ、10月21日の処方に「ニトロペン舌下錠」に再び大きな赤いバッテンがついてきた。結局、「ニトロペン舌下錠」は処方されなかったのだ。入管内の被収容者の医療はそうとうに問題がありそうだ。

 1月24日のブログに紹介したママガニさんの手紙は、田中さんに宛てたものだが、漢字も正確に使った文章で窮状を訴えている。
 「精神的にも肉体的にも色々追い詰められて、毎日辛いです」
 「ここの内で不正を行なっていることを警察署に訴えたいです」

 田中さんによれば、実は、牛久の入管では、被収容者が自分の排泄物を壁に塗るという事件はこれまで何度も起きていた。それほど、被収容者が精神のバランスを崩しているということだ。
 これまでは、そういう事件を起こした被収容者は「茨城県立こころの治療センター」に送られて治療を受け、そのあとは仮放免されてきたのが、今回は刑事事件にされたわけで、入管がさらなる強硬姿勢に転じていることを示している。

 田中さんは、ママガニさんは、本来とても真面目できれい好きであり、世話好きな人であり、当時は心身耗弱状態だったこと、事件のあと「大変なことをしてしまった」と悔いていたことをあげて、情状の酌量を求めた。
 ママガニさんは、「解放されたら、お年寄りのためのボランティア活動をしたい」と言っているという。

 今回起訴状にある「損害」およそ85万円は、支援者たちがカンパで集めたという。入管の収容制度をはじめて知って国辱ものだと驚き、ママガニさんを支援している人もいるという。

 いま牛久には、7年という長期に収容されている人もいる。刑事罰としても重いが、もっと辛いのは、いつ出られるかが分からず、基準も示されないこと。

 私がこれまで面会したおよそ20人の被収容者のほとんどは睡眠導入剤精神安定剤抗うつ剤を常用していた。ふつうの精神状態ではいられなくなるのだ。

 さらに広くこの問題を知らせていかなくてはと思った。