きのう、練馬区の大泉学園駅近くの古本屋「ポラン書房」を訪れた。おとぎ話のような看板の前に行列ができている。店じまいを知って駆け付けた常連さんたちだ。
朝鮮半島問題で知られた「毎日新聞」の鈴木琢磨さんの記事が出、SNSでも閉店が惜しまれていた。私も古本屋めぐりは好きなので、どんなお店かと行ってみたのだ。
行列で順番をまって中に入ると、「学生時代にお世話になって、懐かしくて寄りました」と店主に話しかけている人がいた。たくさんの思い出もあるのだろう。
本たしかにいい品揃えだ。閉店セールで3割引きになることもあり、連日多くの人が押し寄せて、すでにだいぶ漁られていたのだろうが、それでもオーソドックスで本格派の本がたくさんあった。
店主夫妻は同じ大学の「べ平連」の同志だったという。ご主人の石田恭介さんは山形県出身とかで、同郷の井上ひさしさんを慕っていたそうだ。私ともご縁があるわけだ。
37年も続けた店舗をたたむ決心をしたのは昨夏だったという。
「コロナで1カ月半ほど休みましたが、再開後も客足は戻らず、売り上げが落ち込んだまま。家賃の支払いが困難になり、『多少とも値下げを』とオーナーに相談しましたが、のれんに腕押しの状態で」。パソコンに向かっていた妻の智世子さんがぽつりと一言こぼす。「いい本が出なくなった。それも致命的」(毎日新聞「ああコロナブルー」より)
地域の古い飲み屋や喫茶店なども次々に店をたたんでいく。コロナがこうやって「文化」をどんどん削ぎ落していくのかと思うとやるせない。
なお「ポラン書房」は今後はネットの通販を手掛けるという。
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ミャンマーの軍事クーデターの報には「まさか」と驚くと同時に大きな失望をおぼえた。
ミャンマーは、独裁からの民主化を平和裏におこなうことに成功した。その後の国づくりがうまく進めば、他の独裁国へのお手本になれると大いに期待していたからだ。
私は、ミャンマーの少数民族のカレン族、カチン族、ラカイン族、タイヤイ族(モンタイ軍)の反政府武装勢力の支配区とABSDF(全ビルマ学生民主戦線)の部隊を取材しており、また民主化前にアウンサンスーチー氏を3回取材(うち2回は単独インタビュー)していて、この国の民主化には特別な思い入れがある。
日本人ジャーナリスト、長井健司さんの殺害への抗議活動の呼びかけ人にも名を連ねて、東京のミャンマー大使館に抗議したり、外務省に要請に行ったりもした。
ミャンマーの人々の強い思いを直接に見聞きしているだけに、一夜にして民主化プロセスをぶち壊した国軍への怒りがわく。
おさらいしておくと―
軍事政権が続いていたビルマ(当時の国名)に1988年民主化を要求する大衆運動が起きた。国軍はこれを武力で弾圧し、たくさんの市民が命を失った。
1990年には総選挙が行われ、スーチー氏率いる国民民主連盟 (NLD) が圧勝するが国会は一度も開かれず、国軍は民主化勢力を弾圧。
その後、断続的に国民の抗議と国軍の弾圧が繰り返され、2007年9月には反政府デモを取材中に日本人ジャーナリスト、長井健司さんが治安部隊に射殺されている。
2010年11月、スーチー氏の自宅軟禁が解かれ、11年には前年の総選挙(NLDは参加していない)にもとづいた国会が開かれ、形の上では軍事政権から民政移管された。
15年11月8日、民政復帰後初めての総選挙が実施されNLDが圧勝。しかし、憲法の規定で、スーチー氏の大統領就任がかなわず、かわりに大統領にはNLDのテイン・チョー氏がなった。スーチー氏は国家顧問、外務大臣、大統領府大臣を兼任して政権の実権を握る。
去年11月の総選挙でもNLDが396議席と圧勝し、国軍系政党はこれまでより議席を減らして33議席と惨敗した。いまの制度では、選挙なしで国軍には全664議席の4分の1の166議席が与えられるが、それでもNLDは楽に多数を確保できる。
クーデターで全権を握った最高司令官のミン・アウン・フライン氏は、2016年に5年間延長された総司令官の任期切れが迫り、引退が目前となって焦りが募ったとも言われている。
2010年以降の民主化は、国軍がスーチー氏らに妥協する形をとり、スーチー氏も国軍を立てながらで、だましだましやってきた感がある。例えば、民主化以前の国軍の行為(弾圧を含む)について個々の軍人の責任を問わないなどNLDも相当妥協してきた。
二つの勢力が妥協しながら進めてきた10年の民主化が、ここにきて崩壊した。こうなった以上、ミン・アウン・フライン司令官はちょっとやそっとでは折れないだろう。
ミャンマー国内では抗議活動が広がっているという。またかつてのような流血の事態にならぬよう祈る。
その分、海外からの抗議を強めなくてはと思う。
いま、どこで人権弾圧があってもグローバルな問題として扱われなければならないが、ここでいつも出てくるのが中国。現在でもミャンマーの最大の貿易相手国であり投資国で、今後ますます影響力を強めるだろう。これが軍政を長期化するのではと危惧されている。
そもそも今回のクーデターには国軍の経済利権も関係しているとの見方がある。国軍とつるんだ企業は以前から中国と合同でビジネスを行ない、それが軍人を肥え太らせてきたといわれる。
私自身、2013年、中国雲南省から徒歩でカチン州の武装勢力司令部を訪れたとき、その周辺の山の奥に、建設されたばかりの工場や重機で掘削されている土地を目撃した。聞けば中国と国軍系企業のレアアースプロジェクトだという。中国と国軍の密着ぶりを見た思いがした。
カチン州では、軍政下で中国が始めた巨大プロジェクト、ミットソンダム建設が、民主化がはじまった2011年に住民の反対の声に押されて中止になり、いまだに両国の懸案事項になっている。中国との関係は政治力学に直結する。 日本企業は433社がミャンマーに進出しているが、さっそく動きがでた。
《キリンホールディングス(HD)は5日、ミャンマーでのビール事業に関し、国軍系企業との合弁を早期に解消すると発表した。クーデターで実権を掌握した国軍の資金源となっている可能性を人権団体や国連から指摘されていた。既に合弁解消を申し入れており、今後別のパートナーを探して同国での事業継続を目指す。》(時事5日)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021020500641&g=eco
撤退する欧米企業もあるだろうが、その穴を埋めるのは中国だろう。
日本政府はどうするのか。
実は今回のクーデターで全権を握ったミン・アウン・フライン氏を日本政府は2019年に日本に招き10月9日には安倍首相が会っている。
問題は、18年9月に国連人権理事会がまとめた報告書は、ロヒンギャへの人権侵害でフライン司令官らを国際法廷に訴追すべき容疑者だとして名指しで非難し、国連は19年、ミン・アウン・フライン氏他3人の国軍指導者を制裁対象としたが、日本政府の招待はその後だったのだ。
国際社会から非難の声が上がるなか、在日ミャンマー人たちも行動を起こした。2月1日には東京・青山の国連大学前に1000人ほどが、3日には外務省前に3000人が集結し、拘束されたアウンサンスーチー氏の釈放を訴えた。
2010年以降、国軍が民主化に踏み切ったのは、これ以上、国際社会から孤立すると国が持たないと判断したからだとされる。そこで、軍の政治的影響力を保持する仕組み(国会の4分の1の議席を軍人に割り当てるなど)を作った上でNLDを合法化した。
だから在日ミャンマー人たちは、今回も国際社会の圧力、そして日本政府の行動に期待している。
日本外務省のHPには菅政権成立後の去年10月27日の日付で以下のような「人権外交」をアピールしている。
《国連憲章第1条は、人権及び基本的自由の尊重を国連の目的の1つとして掲げ、また、1948年に世界人権宣言が採択されるなど、国連は設立以来、世界の人権問題への対処、人権の保護・促進に取り組んできています。日本は、アジアでの橋渡しや社会的弱者の保護といった視点を掲げつつ、国連の主要人権フォーラムや二国間対話を通じて、国際的な人権規範の発展・促進をはじめ、世界の人権状況の改善に貢献してきています。》
「アジアでの橋渡しや社会的弱者の保護」を具体的にどうやっていくのか、注視していきたい。