新宿の紀伊国屋書店で、拙著『ウクライナはなぜ戦い続けるのか~ジャーナリストが戦場で見た市民と愛国』(旬報社)が表紙面を飾られているという。

 友人が撮影して送ってくれた。表紙面が飾られるのは話題になっていたり、店員がお勧めの本だという。できるだけ多くの人に読んでいただきたい。
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日本の戦争のメモリアル・デーといえば、8月に集中していて、6日、9日、15日といえるだろう。前の二つは広島と長崎の原爆投下、そして「終戦」の日だ。
一方、同じ枢軸国だったドイツのメモリアル・デーは、ヨーロッパ戦勝記念日(ドイツが降伏した日)の5月8日かと思いきや、きょう1月27日と30日だという。
1945年1月27日のアウシュビッツ解放の日と1933年1月30日のヒトラー内閣樹立の日(ナチ党総統のアドルフ・ヒトラーが首相に任命されて内閣が成立した日)だ。
戦争の記憶の中身が、日本の方は被害と戦争終結、ドイツの方は加害責任と戦争の時代の始まりと全く逆である。(森達也「極私的メディア論」創1月号参照)

ポーランド南部の広大な土地に建設されたアウシュビッツ強制収容所は、ホロコーストの中心的な役割を担ったとされ、ガス室などで虐殺された人は110万人に上り、うち100万人がユダヤ人だったという。
ユダヤ人以外にも、ロマ(ジプシー)や社会主義者、さらには同性愛者や先天的な障害を持つ人も虐殺された。



トランプ大統領は「常識にもとづく革命」をやるというが、少数者、弱者を排除し抑圧することを「常識」とする逆流が世界中で起きているように見える。
加害への反省はいまこそ重要だと思う。
加害の記憶を欠落した日本の平和主義が、実はかなり薄っぺらいものなのではないか。拙著『ウクライナはなぜ戦い続けるのか~ジャーナリストが戦場で見た市民と愛国』(旬報社)は戦場ルポであるとともに、ウクライナ戦争に向き合うことで、日本人の戦争と平和、国家と国民、生きて死ぬ意味を問い直す問題意識で書いた。
最後は宣伝になりますが、ご関心ある方はぜひお読み下さい。