なぜ?「左翼のダブルスタンダード」②

 映画「ガザからの報告」上映とトークのイベントに参加してきた。

 パレスチナを30年以上取材してきたジャーナリストの土井敏邦さんが取材した2本の映画上映のあと錦田愛子氏(慶応大教授)、ハディ・ハーニ氏(明治大講師)、手島正之氏パレスチナ子どものキャンペーン)を交えてトークと質疑応答があった。猛暑のなか、午前10時から夕方5時までという長時間にもかかわらず、東京・日比谷図書文化館の定員200人のホールが満席になり、関心の高さを見せていた。

朝からうだるような暑さ(日比谷図書文化館)

ホールは満席だった

 土井さんが90年代前半から撮りためたガザの貴重な映像から、つい先月に撮影された現在の惨状までが上映され、そこに土井さんたちの解説が加わってガザに関する知見が深められた。

 土井さんのマスとしての「パレスチナ人」なんていない、いるのは我々と同じ個々の人間だという視点からの取材には大いに共感を覚えた。また、ガザ現地で奮闘するボランティアが我々に向けて発した「こんな地獄のような状況がいつまでもつづくのは、世界がこれをホラー映画の中の出来事のように見ているからでしょうね」という言葉は、我々への痛烈な批判であり、胸を突かれた。会場からも私たちは何ができるのか、という問いが発せられた。

 とても有意義なイベントだったが、土井さんとは意見を異にする点が一つあった。

 土井さんは、ハマスがあんな攻撃をやったからこの惨劇が起きた、「なんてことしてくれたんだ」とハマスを恨むガザ住民が多い、1日にユダヤ人を1200人も殺害したら、報復で破滅的なことになるのは目に見えていたはずだとハマスを批判した。

 私は、民間人殺害などは戦争犯罪として非難されるべきだが、越境攻撃自体はイスラエルによる封鎖と暴力支配に対する正当な抵抗権の行使で責められるべきではないと思っている。帰り際、土井さんには私の意見を伝えた。こういうイベントは生で議論ができることも魅力である。
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 ダブルスタンダード二重基準は「対象によって異なった価値判断の基準を使い分けること」(Goo辞書)。

 アメリカが国際法のルールや人権の名のもとに、ロシアの侵略に対するウクライナの抵抗を支援する一方で、ガザでは第二次大戦後類をみないジェノサイドを続けるイスラエルを全面的に支えることがひどい二重基準であることは明白だ。だからこそ、アメリカでは若いユダヤ人たちまでが立ち上がってバイデン政権にNOを突きつけているのである。

 一方、ガザの惨状に涙を流さんばかりに同情し、拳を振り上げてイスラエルを糾弾して軍の撤収を求めるのに、ことウクライナ戦争になると、ロシアに侵略をやめて軍を引けと要求するのではなく、逆にゼレンスキー大統領にはやく戦闘をやめよと譲歩を勧めたりする人たちがいる。

 その一人が加藤登紀子だ。

takase.hatenablog.jp

 明らかにダブルスタンダードなのだが、こういう人が「平和」「人権」を唱える左翼、リベラルなのだからたちが悪い。

 この「左翼のダブルスタンダードにはいろいろなバリエーションがある。

 アメリカのNATO東進策で圧力をかけられロシアはウクライナ侵攻を余儀なくされた、つまりアメリカがロシアを戦争に追い込んだなどという、ロシアを被害者扱いする、謀略論と見まがう言説までみられる。

 これは私にデジャヴを誘う。「先の大戦」は、ABCD包囲網で追い詰められた日本がやむをえず自存、自衛のために強いられた戦争である(日本はいじめられた被害者だ)という理屈があったな。(笑)

 「左翼のダブルスタンダード」のバリエーションについてはおいおい具体的に批判するとして、まず今回は、私がまっとうだと思う見方を提示しておこう。

 「左翼のダブルスタンダード」をまっこうから批判するのは、ベトナム戦争と米軍が使用した枯葉剤の影響について取材を続けている報道写真家の中村梧郎さんだ

 実は中村さん、5日の本ブログで紹介した「Ceasefire Now! 今こそ停戦を」「No War in Our Region! 私たちの地域の平和を」の意見広告にカンパをしたという。だがその広告を読むと「代理戦争論」になっており、ロシア軍の占領地からの撤退は一言も言わず、ウクライナに譲歩せよと求めていることに疑問を呈し、以下のように論じている。

 《長期化するウクライナ侵攻について、「ゼレンスキーが武器を要求するから犠牲者が増えるのだ。ウクライナは戦争をやめるべき」と主張する見解も拡がった。それは、とりもなおさずロシアを擁護し、彼らの侵略を免罪する役割を果たした。これは、侵略戦争とそれに対する抵抗戦争を同列に扱って、「どちらにも反対」という考え方に立っている。だが侵略を行なう側は、自らの軍事的優位を背景に「俺の言うことを聞け」とばかりに軍隊を侵入させる。そして領土の割譲も迫る。防衛する側は必死で国と国民を守るしかない。ここで糾弾されるべきは侵略戦争であり、それへの抵抗はあくまで正義の防衛戦争であるということだ。侵略とそれに対する抵抗を同列のものと見てはならない。対等な戦争ではないのだ。

 ウクライナ政府は、家族と国土を守り抜くための兵器が欲しいのだ、と一貫して求めてきた。敵国を侵略して占領するための兵器はいらないとも言っている。防衛・抵抗戦争を続ける側のまともな要求である。》(『記者狙撃~ベトナム戦争ウクライナ』、P223-224)

 ロシアとウクライナが対等でないのは、国力特に通常戦力が桁違いなのに加え、ウクライナ核兵器を放棄してロシアに移管したため、ロシアだけが核戦力を(しかも世界一)もつことではっきりしている。さらに言わずもがなだが、ロシアは国連の常任理事国として国際的な政治、外交力がウクライナとは段違いである。この戦争は、一方的な侵略戦争である。

 《抵抗するウクライナは首都キーウがミサイルやロケットで攻撃され続けても、モスクワをミサイルで本格的に攻撃しようとはしていない。(略)これは両者の対等な戦争ではない。圧倒的な軍事力を持つ侵略軍に対して、侵略された側の人々が国を守ろうと必死に抵抗している(レジスタンス)の戦いなのである。》(同P225)

 《「戦争反対」「平和を守れ」という言葉のスローガンは、しばしば戦争をしているどちらも怪しからんという理解に陥りがちだ。だがこうしたケンカ両成敗論は、必死で抵抗戦争を続ける側にあきらめを強い、侵略した側が“やり得”となることにつながってしまうアメリカやNATOが背後でうごめいているにせよ、侵略戦争」には断固反対、「抵抗戦争」は断固支持、の原則に立ち帰って考えなければならないのではないか。攻撃され犠牲となり続けているウクライナの民衆がかわいそうだ、だからすぐに停戦せよ、という善意の運動も起きている。だが同じ要求を掲げているのがロシアなのである。(略)「いますぐ戦争をやめよ」は、和平を求めているようで実はロシアの手の内なのである。》(同P225-226

『記者狙撃~ベトナム戦争ウクライナ』花伝社2023年

 中村梧郎さんは、ベトナム戦争で解放区に潜入して「戦場の村」を長期連載し、ベトナムへの偏見とたたかった朝日新聞本多勝一記者「強盗の側(中村注・侵略)が一方的に悪い、強盗に入られた(侵略された)側の抵抗は100パーセント正しい」という言葉も挙げているが、ベトナム戦争当時、この戦争を終わらせために、侵略者アメリカを撤退させることをめざすアメリカはベトナムから手を引け!」はほぼすべてのリベラルに共有されたスローガンだった。あれから半世紀、侵略とそれへの抵抗の区別もつかない「リベラル」が登場している。

 中村さんが指摘するように、ウクライナ戦争が長引くにつれ、この「左翼のダブルスタンダード」は見過ごせない広がりを見せている。

 先日、伊勢崎賢治(例の「声明」の発起人)はXでこう発信した。

ぬちどぅたから(命こそ宝)
侵略者に抵抗するためでも
国家の正義に
市民を動員させてはなりません
たとえ一部の市民がそれを望んでも、です

伊勢崎氏のXより


 「ぬちどぅたから」をこのような主張の決め台詞に使うことは、この言葉への冒涜だと私は思う。

 なぜこんな妄論がまかり通るのか。そこには日本の左翼がもつ構造的な弱点が与っていた。

(つづく)