小池百合子学歴詐称疑惑によせて④

 16日のTBS「サンデーモーニングに、歌手の加藤登紀子が初めてコメンテーターで出演。

16日のサンモニに出演した加藤登紀子

 何を言うのかと聞いていると、ウクライナ戦争についてコメントした。これがトンデモな内容で耳を疑った。

ウクライナにロシアが侵攻した当初から一刻も早く終わってほしいと言うのが私の思いでした。その最初の時から私は、日本の終戦時のことを思い出されて、つまり、戦争というのはどうやったら終われるのかという。勝ちとか負けとか言ってるかぎりは、誰も終わりたくないってことになっちゃうわけですね。

 日本の戦争も終わると決めれば、敗戦というのが決まっていた、1944年、5年のヒットラーが敗戦したころからは、歴然と日本が敗走することは分っている。そういった時期に誰も指導者が終戦を決められなかった。で、ずるずるずるずると原爆の実験を許し、原爆投下を許し、その間に膨大な空襲を日本のなかで・・。それは日本が最後の日まで戦うと軍部が言い続けて、日本を守るためにやるんだと言ってるんだけど、結局、そのためにどれほどの人が死んだのかということでいうと、ウクライナの場合も、世界中がいま、西側が応援して戦争を続けさせている。ゼレンスキーも最後の日まで戦うみたいな。でも結局、被害に遭っているのはウクライナなんですよね。ウクライナの人々であり、ウクライナの国土です。ほんとに壊滅的な被害を受けてるわけですね。だからやっぱり国際社会は、ほんとに本気で停戦をという方向にウクライナの問題は向き合わなきゃならないと思いますけど。戦争を終わらせた人が勝利者だと私は言わなきゃいけないと思います」。

 これに膳場キャスターが、いかにもごもっともという感じで、「終わらせた人が勝利者、たしかにそうですね」とフォローした。

 加藤氏はウクライナの現在にかつての敗戦間近の日本を重ね、ウクライナはどうせ勝ち目がないのだから、ゼレンスキーは早く降伏せよと言っている。戦争が長引いているのはウクライナが抵抗をやめないから、西側が応援しているからだと。侵略しているロシアを一言も批判せず、ウクライナに膨大な犠牲が出ているのは、抵抗を止めないからだという。

 ちょっと下品な例えで恐縮だが、これって、大男にレイプされかかって必死に抵抗している女性に「抵抗を続けるとケガするからやめなさい」というのと同じだ。割って入って男を制止すべきではないのか。

 良識を疑う加藤氏のような意見は、一部の平和主義者、リベラル派とされる人々がいろんな場で唱えており、見過ごせない。

 後日、本ブログで徹底的に批判する。
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 小池百合子東京都知事と若い頃、カイロで同居していた北原百代氏は、『文藝春秋』5月号で学歴詐称の発端をこう記している。

 進級試験に落ちて憔悴していた小池氏だったが、10月初め、急遽一時帰国した。エジプトのサダト大統領夫人が来日するので「アテンドしろ」と父親に言われたからだった。

「(1976年)11月半ば、カイロに戻ってきたあなたをひと目見て、とても驚きました。別人のように晴れやかな顔をしていたからです。そして荷ほどきをしながら、あなたは

「これ見て」と新聞を差し出しました。

 百合子さんの顔写真が大きく載っている記事を読み始め、私は驚きました。「カイロ大学文学部社会学科を日本人女性として初めて卒業した」などと紹介されていたからです(「サンケイ新聞」1976年10月22日)。

 私は思わず尋ねました。

「そういうことにしちゃったの?」

 あなたは、

「うん」

 と、屈託なく言いましたね。(略)

 そして、明日は帰国するという別れの晩がやってきました。(略)それに続く言葉を、私は今も、忘れることができません。あなたは言いました。

「私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに北原さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」

 それでいい?と、あなたに念押しをされるように言われ、私は頷くよりほかはありませんでした。」(5月号P114-115)

 ここには当時のサダト大統領夫人に小池氏が「アテンド」するため父に日本に呼び戻されたとある。この背景には、小池氏とエジプトの政治権力との特殊な関係があった。(以下の引用は、本連載②で紹介した黒木亮氏のJBpressの記事から)

 小池氏は1973年10月にカイロ大学の2年に編入し入学金も授業料も無料だったと語っている。しかし、これ自体、正規の手続きに違反する不正編入だった疑いが強いという。編入できたのは、小池氏の父親がアブドル・カーデル・ハーテム氏(当時エジプト副首相兼文化・情報相)と知り合いになり、ハーテム氏のコネがあったためだと小池百合子氏自身が認めている

 ハーテム氏はエジプト政界の大物であり、日本との縁も深い。

「1957年に国民議会議員、大統領府副大臣、1959年にラジオ・テレビ担当国務相、1962年に文化相、国民指導・観光相、1971年に副首相兼文化・情報相となり、その後は長らく国民評議会(上院に相当)議長とエジプト・日本友好協会会長を務め、2015年に97歳で没した。

 1974年2月(当時は文化情報担当副首相)には公賓として来日し、田中角栄首相、三木武夫副首相と会談し、宮中で天皇陛下に拝謁した。1982年には日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されている」。

 ハーテム氏は自身の伝記に小池氏との関係を記している。

ハーテム氏は中曽根康弘と1954年以来親交があり、中曽根氏から友人の娘であるとして当時学生だった小池百合子を紹介され、面倒を見ていたこと、小池氏がハーテム氏をGod fatherとか心の父と呼んでいたこと、小池氏に毎月14エジプト・ポンドの小遣いをやっていたことなどが記されている(小池氏は『振り袖、ピラミッドを登る』の250ページに、エジプト政府から毎月12ポンドの奨学金を受けていたと書いている)」。

 一方、「小池氏の著書『おんなの人脈づくり』(昭和60年刊)には、自分の父(小池勇二郎氏)が中曽根氏を昔から知っており、自分自身は小学生の頃くらいに中曽根氏と初めて会い、当時、毎年冬に中曽根氏から群馬の白ネギがどさっと送られてきて兄と食べたことが書かれている」(黒木氏のJBpress連載④より)。

jbpress.ismedia.jp

 ハーテム氏は当時、対日窓口となり一手に日本関係を牛耳っていたとされる。

「ハーテム氏の息子であるターリク・ハーテム氏(カイロ・アメリカン大学の経営学の教授、日本エジプト友好協会会長)に会って話を聞いた。彼によれば、小池家とハーテム家との結びつきは長年にわたる強いもので、小池氏が1992年に政治家になってからも、勇二郎氏は時々カイロの高級住宅地ザマレクにある父ハーテム氏のもとを訪れていたそうである。

 2011年のエジプト革命の際には、百合子氏が父ハーテム氏に電話をかけてきて、同年、リビア訪問の際にスケジュールを調整してカイロに立ち寄ったと言う。ターリク氏自身、勇二郎氏が2013年に亡くなる直前に彼に会い、2015年に父ハーテム氏が死去したときは百合子氏に日本エジプト友好協会を続けるよう勧められ、2017年には日本の百合子氏の家を訪問したという

 ハーテム氏と小池百合子氏はそれくらい親密な関係にあった。そして小池氏のエジプト留学時代、すでにハーテム氏は国内で絶大な権力を持っていた。国立大学の”不正卒業証書”がまかり通るエジプトでのことだ。その気になれば、入学資格のない異国の留学生を、一流国立大学の学部生に押し込んだり、“卒業証書”を与えることなど造作もないことだったに違いない」(黒木氏連載④)

 カイロ大学は対外的信用を維持するため、 “不正卒業証書”の事実には口を閉ざしている。

「過去にそうした不正があったことを認めれば、“不正卒業証書”を受け取った国内外の政治家、有力者、その関係者に影響が及ぶからだろう(特にサダト時代は数が多く、影響は計り知れないのではないかと思われる)。小池氏のようにエジプトに多額のODAを供与している先進国の政治家が実は卒業していないとは口が裂けても言いたくない。
カイロ大学の現文学部長アフメド・シェルビーニ氏は、「カイロ大学では2年前から小池氏に関する書類を出す場合は学長の承諾が必要になった」と言う。

 日本はエジプトに対して2016年までで総額1524億8600万円の無償資金協力(要はお金をあげること)を実施しており、カイロ大学はこれまで、大学付属の小児病院の建設・拡充や看護学部の施設改修資金として、総額で131億4900万円を受け取っている(黒木亮氏の連載⑤)

 カイロ大学文学部(オリエント言語学ヘブライ語専攻、1995年中退)で学んだ経験がある浅川芳裕氏は2018年6月に一連のツイッターで次のように述べている。

「小池氏の詐称疑惑についてカイロ大学に問い合わせれば済む話ではとの質問がくるが、そんなヤワでマトモな大学ではない。(略)大学権力を完全に掌握しているのは軍部・情報部。カイロ大学は1954年、軍部に粛清され革命評議会下に置かれて以来その伝統は続いている。現在、軍事独裁政権トップ(シシ大統領)がカイロ大学長ならびに各学部長の任命権を持っている。学科長は軍部の息のかかった学長の任命。つまり、これまで日本のメディアからの取材に対し、小池氏を卒業生として認めたり、都知事就任を祝福した学長、文学学部長、学科長らは同じ穴のムジナなのだ。

 カイロ大学卒業生・講師として、小池氏を絶賛し、都知事就任を祝福したナサール元学長は現在、県知事の有力候補で、大統領からの任命待ち(無選挙)。学長(学者)は権力のトップには就けないが、大学の自治民主化運動弾圧などでうまく立ち回れば、知事や軍閥企業社長などに天下りできる。

 そもそもカイロ大学を軍部管理下に置いた大元の一人が小池氏の後ろ盾、革命評議会の情報・文化・メディア担当のハーテム氏だった。現シシ大統領は、ハーテムからみれば、軍部時代の弟分タンターウィー(元国軍総司令官、11年革命後の国家元首代行)の部下、つまり孫弟子にあたる人物だ。小池氏の学歴偽証については長年、疑惑が出てきては、日本からのメディアの取材に対して、カイロ大学が卒業を認めることを繰り返しては、収束してきたが、その背後には、こうした小池のハーテム人脈を頂点とするエジプトの軍部・情報部と大学の権力階層構造があることも、念頭に置いておきたい。

 ただ、エジプト上層部・カイロ大学側にしても、何のメリットがなければ、いくらハーテム人脈といっても長年、わざわざ小池氏を擁護する理由はない。小池氏は(正規の学業を修めていないが)カイロ大学卒業(証書取得)がハーテムの権限による特別待遇だとすれば、その見返りは何かということが問題だ。これは、日本の国益にとってより本質的な問題である。小池氏の学歴詐称問題により、エジプトの軍部・情報部に借りがあり、弱みを握られた日本人が仮に現職の東京都知事だったり、長年国会議員、防衛大臣まで務めていたとしたら」。

 エジプト時代の小池氏と何らかの接点のあった人々やカイロ大学関係者を多数取材した筆者も、全く同じ結論を抱いている。」(黒木亮氏の連載⑤)

 なお、浅川芳裕氏ツイッター

 

 「ごめんね。だって、バレちゃうからね」

 48年前に屈託なくついた、若い娘のウソ。

 しかし、ここにきてそのウソは、それを隠し通そうとする工作の過程で、日本の主権、国益にもかかわる大きな問題へと発展してきたのである。

『女帝 小池百合子』より

 真相を知る北原百代氏が真剣に身の危険を案じたのも故なきことではなかった。

(つづく)