先日、能登でまた震度5強の揺れの地震があって、建物がグシャッと倒壊する動画が流れた。あれは輪島市で公費解体を待っていた建物だったという。
石川県では約2万2500棟の「公費解体」を予定していて、うち解体・撤去が済んだのはわずか346棟なのだという。復興が遅れていることは知っていたが、ここまでひどいとは驚いた。なぜこんなに情けない事態になっているのか?
この間、私も能登のことを忘れていたなと反省。現地は圧倒的にマンパワーが足りないらしい。政治も報道も復興が進まない原因を分析して、もっと支援を強めないと。
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朝ドラの「虎に翼」では、GHQが幣原首相に指示した「五大改革」(①女性の解放、②労働者の団結権の保障、③教育の民主化、④秘密警察制度の廃止、⑤経済の民主化)を具体化する一環として、新しい民法を作っている。婚姻、家族などに関する当時の保守派の意見が、今の自民党右派と同じなのには笑ったが、それはさておき、これを見て思い出したことがある。
ロシアがウクライナに全面侵攻を始めた直後、「ウクライナはどうせ勝てないのだから、多くの犠牲者を出さないように、早く降伏した方がよい」とテレビでコメントした識者が一人ならずいた。「勝ち目がないなら、さっさと手を上げれば、命は助かるし、敵も悪いようにはしないはず」というわけだ。SNSなどでは少なくない人がこの意見に賛成していた。
こういう考え方が出てくる一つの要因は、日本人が降伏・被占領について「良い」イメージを持っていることだろう。「虎に翼」でも連合軍の占領を好意的に受け止めている様子が出ている。
GHQは善意であり、国民を苦しめてきた日本の抑圧構造を打ち壊し、日本を民主化し、戦後の飢餓を食糧支援で救ってくれた・・。敗戦後、かなり多くの人が「日本は負けて良かった」と思ったという。
しかし、降伏、被占領について良い印象を持つというのは、世界ではきわめて稀だと自覚した方がよい。そしてこれは作られた占領のイメージだということも。
先日、「強いられた沈黙~発掘 沖縄の戦争犯罪記録」(NHKBS)という番組があった。戦後27年におよぶアメリカの施政下での、沖縄住民に対する犯罪の凄まじさは、まさに「鬼畜」といっても過言ではなく、観た後は怒りがおさまらない。
当時の沖縄では多い年で1400件(一日にほぼ4件!)の米兵の犯罪があったという。沖縄ではいまも米兵の犯罪が続くが、敗戦後は日本全土が「オキナワ」だったのだ。どれほど酷かったか想像がつく。しかし、GHQの占領政策にとって都合の悪い情報は徹底的に統制され、報道は許されなかった。国民の目から膨大な「不祥事」が隠されたのである。これについてはまた書こう。
(つづく)
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曽我ひとみさんの単独インタビューを昨日の「ウエークアップ」で放送していた。先日のNHKの単独インタビューに続くものだ。実は、拉致被害者本人への単独取材は控えるよう、22年前の帰国直後に「取り決め」があり、それが解除されぬまま、ずるずると今に至っている。ひとみさんへの単独取材がスクープのように放送されているのはそういうわけだ。
ひとみさんと一緒に拉致されたお母さんのみよしさんの消息は、いまだに北朝鮮から明かされていない。みよしさんは生きていれば今92歳。一日も早く、との思いはひとみさんも切実だ。
進展がないまま時間だけが過ぎ、未帰還の認定拉致被害者の親で生存しているのは、横田早紀江さん(88)と、有本恵子さんのお父さんの明弘さん(95)だけ。
「救う会」と「家族会」は2月、「親世代が存命のうちにすべての拉致被害者の一括帰国が実現するならば、北朝鮮に対する日本独自の制裁の解除に反対しない」とする新たな活動方針を打ち出した。そして「親世代が存命のうちに帰国が実現しない場合は、強い怒りをもって独自制裁強化を求める」としている。「親世代が存命のうちに」と時間的制約をつけただけで、「全拉致被害者の即時一括帰国」という条件に変わりはない。
何とか早く!とせっつかれて岸田首相が「条件を付けずに首脳会談を」と北朝鮮に提案。これに対して、北朝鮮は金正恩氏の妹、金与正氏が「すでに解決された拉致問題を両国の関係の展望の障害物として置かなければ、岸田首相が平壌を訪問する日も来るだろう」と声明を出し、日本側が「全く受け入れられない」と応じてストップしている。こんなふうに表で両者がコメント合戦して事態が進むはずはない。
小泉訪朝をおぜん立てした元外務省アジア大洋州局長の田中均氏は、今の政府の動きを危惧する。
「こういうふうに政権が追い詰められて、それで北朝鮮のような国と協議・交渉するのはとても危険なこと。足元をみられてしまう」
「北朝鮮のような国と」という表現に、実際に北朝鮮と渡り合った実感が出ている。
田中氏は、小泉訪朝の1年前、2001年9月に小泉首相に北朝鮮との交渉をやってもいいかと自ら提案したという。当時は外務省から首相に対して「やりましょう」と提案する主体性があったのかと感慨深い。
小泉首相の「極秘でやってくれ」との命を受け、秘密裏にミスターXという人物と30回にわたる交渉を行った。その顛末は本ブログでも紹介した。
なんども決裂しそうになったが何とか関係をつなぎ、いよいよ大詰めを迎える。しかし、ミスターXは、小泉首相が訪朝する前にはどうしても拉致被害者の安否を出さない。田中氏は、首相が行けば向こうは必ず安否情報を出してくると思うが、平壌に着くまで安否も分かりませんよと小泉首相に告げると「自分が行くしかない」と訪朝を決断したという。首脳会談で金正日総書記が拉致の事実を認め、「誠に忌まわしい出来事で、率直にお詫びしたい」と謝罪、5人の拉致被害者を出してきたのだった。
北朝鮮とのギリギリの交渉を経てきた田中氏の経験には学ぶべき教訓がいくつもあると思う。その一つは、拉致に直接は関係のない人道問題に取り組み、それで信頼関係を築きながら交渉を進めていったことだ。
02年2月には、北朝鮮に「スパイ容疑」で拘束されていた元・日経新聞社員を無条件解放させた。また、同年5月、中国瀋陽の日本領事館に脱北者5人が駆け込んだ事件については、5人をフィリピンに出国させ(翌日、韓国への亡命が認められた)人道問題としては解決をみた。
横田滋さんと早紀江さんは、めぐみさんの娘、ウンギョンさんが現れたとき、一も二もなく「孫に会いたい」と思った。当然の人情である。しかし「救う会」は、面会に強く反対した。「会えばお母さんは死んだと言わされ、拉致問題解決が『お終い』になってしまう」というのだ。
孫と会いたいとの封印してきた思いが叶ったのは、あれから12年も経った2014年のことだった。
そして、肉親の面会という人道問題がストックホルム合意という大きな外交的成果につながったのである。
(つづく)